《参考》銀座「ルパン」
104-0061東京都中央区銀座五丁目5番11号塚本不動産ビル★地階/03-3571-0750
http://home.u06.itscom.net/lupin/
http://home.u06.itscom.net/lupin/120623asanavi_tvasahi/120623.html
銀座・ルパンは、1928年(昭和3年)に開店致しました。開店に当っては、里見弴・泉鏡花・菊池寛・久米正雄といった文豪の方々のご支援を頂きました。そのお蔭で、永井荷風・直木三十五・武田麟太郎・川端康成・大佛次郎・林芙美子と言った文壇の方々、藤島武二・藤田嗣治・有島生馬・安井曽太郎・岩田専太郎・東郷青児・岡本太郎と言った画壇の方々や、古川緑波・小山内薫・宇野重吉・滝沢修などの演劇界の方々も常連でした。開店当時は、「カフエー」という、女給のサービスでお酒を飲ませる洋風の酒場スタイルでした。それを、現在のようなヤチダモのカウンター・バーに改装したのは、1936年(昭和11年)でした。その時に、控室だった一階も改装してL形のカウンターを作り、営業を始めました。(中略)
1946年(昭和21)1月にコーヒー店として再開、1949年(昭和24)5月に酒類が自由販売になるまでは様々な手立てで酒を仕入れて売るという時代が続きました。その頃は、矢鱈な所で酒を飲むと何を飲まされるか判らないと言う時代でしたが、ルパンなら安心、と作家や出版関係の方々を中心に、大勢のお客様が帰って来て下さいました。その中に★織田作之助・坂口安吾・太宰治など無頼派と言われる作家の顔もあり、また同じ時期に木村伊兵衛・濱谷浩・秋山庄太郎などの写真家の来店も多く、その中の★林忠彦氏が撮影した無頼派三氏の写真は特に有名になりました。
《NEWS》2018.9.28デイリー新潮より
太宰治が愛した「銀座ルパン」10月で90周年を迎える“最古”の文壇バー
酒好きなら、銀座の「ルパン」というバーはご存じかもしれない。「いや、知らない」という人でも、作家★太宰治が椅子の上で胡座をかく写真は見たことがあるのではないか。日本有数の名物バーは2018年10月3日、開店90周年を迎える。そもそも開店から“文士”の応援を受けた。いわゆる“文壇バー”の歴史は当然だと言える。詳しくは公式サイトをご覧いただきたいが、一部を引用させてもらう。《銀座・ルパンは、1928年(昭和3年)に開店致しました。 開店に当っては、里見弴・泉鏡花・菊池寛・久米正雄といった文豪の方々のご支援を頂きました。 そのお蔭で、永井荷風・直木三十五・武田麟太郎・川端康成・大佛次郎・林芙美子と言った文壇(略)の方々も常連でした》まさに「きら星の如く」だが、戦後は更に坂口安吾、太宰治、織田作之助といった“無頼派”も通った。写真家の故★林忠彦氏が店内で織田作之助を撮影していると、反対側に座る男が「俺も撮れよ、織田作ばっかり撮ってないで、俺も撮れよ」と執拗に要求。しかたなく林氏が撮影したのが、あの太宰治の写真だった。公式サイトは《60年代はサトウ・サンペイ・ 小松左京・星新一・後藤明生などの方々の顔が見られました》とあるが、銀座という土地柄、サラリーマンの客も多かった。新入社員からの常連客として知られたのは中山素平だ。1906(明治39)年生まれ。東京商科大学(現・一橋大学)から日本興業銀行(現・みずほフィナンシャルグループ)に入行。61年に頭取に就任し、「財界の鞍馬天狗」の異名で知られた。若い頃はルパンの“社内旅行”——といっても海水浴だが——にも同行したほどだった。店の名物ママとして知られた高崎雪子さんは95年8月16日に逝去。バーだが、和服姿でカウンターの中に立ち続けた。享年88歳。当時の週刊新潮は「銀座『ルパン』を彩った客とママの六十七年」の追悼記事を9月7日号の「CLUB」欄に掲載した。現在は、雪子さんの長男・龍彦さんが店を守る。1940年生まれの77歳。50代の時に雪子さんが大病から復帰したものの、再び店に立つことはできなかった。龍彦さんの姉が店を切り盛りする中、龍彦さんは大手百貨店の社員として定年を迎える。そして、姉からの“バトンタッチ”を受けた。90周年の感想を尋ねると、「面倒くさいことばかりの毎日です」と、まずは諧謔いっぱいの回答だ。「母が再び店に立つため、リハビリに執念を燃やす姿を間近で見ていました。店を畳むのは簡単です。しかし、そんなことをしたら天国の母親が激怒します。それこそ祟られますよ(笑)。だから何より1日でも長く続けられるよう、気負わずに店を開け続けています」有名店だからこそ、“敷居の高い老舗”と敬遠する人もいる。龍彦さんは初めて訪れた客に「入りにくかったでしょう」と声をかけることもあるという。実際の店内は常連客の笑い声——極めて上品だけれども——が絶えないという極めて“庶民的”な雰囲気だ。「昔からの常連さんも、いまだに訪れてくださいます。観光地というか、聖地というようなイメージで初めて足を運ばれた方もおられます。そこから何人か、必ず常連客になってもらえる。20代の若い方々がカウンターを占拠されたこともあります。外国人観光客もいらっしゃいます。母が作ったのは本物のバーでした。だからこそ、多種多様なお客さまに愛してもらえるのでしょう」(同・龍彦氏)ちなみに10月3日など、特別のイベントを開催する予定はないという。代わりに、90周年の「ささやかな記念品」を用意しているそうだ。名店だからこそ、どうしても「次の後継者」が気になってしまう。失礼な質問に龍彦さんは「子供は男ばかり3人です。何とかなるのではないかと考えています」と微笑を浮かべた。
・・・陽の「地階・地下室」は、陰の「防空壕」につながるなあと思います。
【林忠彦】(1918~1990)
1918(大正7)周南市(旧徳山市)幸町に生まれる。家業は営業写真館。
1939(昭和14)オリエンタル写真学校を卒業。
1940(昭和15)東京光芸社に入社。プロ写真家としてデビュー。
1942(昭和17)華北弘報写真協会を結成、中国へ渡る。この頃『婦人公論』等各誌に発表。
194 (昭和21)山口県に引揚げ後、上京。フリー写真家として20誌以上に作品を発表。
1948(昭和23)『小説新潮』の文士シリーズに★太宰治らを掲載しはじめ、注目をあびる。
1953(昭和28)二科会写真部の創立会員となる。
1957(昭和32)初の写真集『小説のふるさと』を出版。
1961(昭和36)日本写真家協会副会長に就任。(1980年まで)
1979(昭和54)『日本の画家108人』で毎日芸術賞、日本写真協会年度賞受賞。
198(昭和58)『日本の家元』を出版。紫綬褒章受章。
1988(昭和63)勲四等旭日小綬章受章。
1989(平成元) 徳山市市民文化栄誉章受章。
1990(平成2) 72歳 『東海道』を出版。12月18日没す。
・・・「いくたまさん」にやって来ました。私なりの定番(廻り方)があり、そうしないと落ち着かないというか、だからこそ様々な変化(前回との比較)が感じられるわけでもあります。今回の最大は、何と言っても「おださく」であります。
《第6回「織田作まつり」》
2019年10月20日(日)於:生國魂神社境内
543-0071大阪市天王寺区生玉町13-9/06-6771-0002
主催:オダサク倶楽部
https://ja-jp.facebook.com/OdaSakunosuke/
共催・協力:なにわ名物開発研究会 五代友厚プロジェクト
Gazeboll、+b(プラスベー)、大阪大学落語研究会、夫婦善哉、天下茶屋あられ。招福庵
後援:生國魂神社
企画:恩田雅和(天満天神繁昌亭支配人/オダサク倶楽部顧問)
2014年から始まった織田作まつりも、おかげさまで、6回目を数えることとなりました。今年の織田作まつりは10月20日(日)、生國魂神社で開催します。今年は午前に初の試みとして大阪大学落語研究部の協力を得て、「阪大寄席」を開催します。メインテーマは漫才作家の秋田實を取り上げ、和太鼓も入れてまつり気分を盛り上げ、さらにパワー・アップをはかります。
《1》公開プログラム(無料)
●午前11時30分より/オダサク・マルシェ
会場・織田作之助銅像前 特設テント◎織田作之助に関連する食品
◎織田作之助に関連した書籍、落語関係書籍などを販売します。
●午後1時より/オープニングセレモニー
織田作之助銅像前にて神事
106回目の誕生日を祝い、 大阪の文化・上方芸能の発展を祈念する神事を行ないます。和太鼓雅が初登場!
《2》有料プログラム
●午後2時より/記念講演会・オダサク寄席 (有料・社務所2階にて上演)
あいさつ/聞き手 オダサク倶楽部代表:井村身恒
◆第1部 記念講演:秋田費と織田作之助 戦争と笑い
☆トークライブ・藤田富美恵(作家・秋田貴氏長女)・井村身恒(オダサク倶楽部代表)
★お座敷芝居・NPOななの絵本『私設人事相談所』
―中入り―
◆第2部 オダサク寄席・林家染左「猫の忠信」(落語)お囃子 大阪大学落語研究部
・・・「お~さか」と言えば「おださく」であるわけですが、「おわらい」の聖地でもあり、それらを支えてきた「おてら」や「おみや」を廻らないわけにはいきません。ということで、久しぶりに「たにまち」(寺フェス)します。「お~さか」の「さか」を歩くわけです。続きは、ブログ「おおさかアート」で紹介します。お楽しみに。