・・・以前「イメージ図」を描きましたが、さらにイメージを膨らませるために、
《お伽草子》著:太宰治/青空文庫
https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/307_14909.html
「瘤取り」★「浦島さん」「カチカチ山」「舌切雀」の4編を収める。1945年(昭和20)10月25日、筑摩書房より刊行された。初版発行部数は7,500部、定価は3円30銭だった。
「前書き」や「瘤取り」の冒頭部分において、著者が★防空壕で原稿を書いていることが描かれているが、実際に本書は各地で罹災しながら書き続けられ、同時に出版の作業も進められた。
初版刊行後、原稿の所在は長らく不明だったが、日本近代文学館が全編がそろった完全原稿を発見し、★2019年4月6日から6月22日まで特別展「生誕110年太宰治創作の舞台裏」で一般公開された。原稿は400字詰め原稿用紙を半分に切った200字詰めで計387枚。前書きには「猿蟹合戦」の文字を消し「舌切雀」に書き換えた跡があり、また、「瘤取り」の原稿では「アメリカ鬼、イギリス鬼」だった表現が初版では「××××鬼、××××鬼」と伏せ字にされ、1946年の再版では「殺人鬼、吸血鬼」と改められている。
・・・以上の経緯も含めて、玉手箱プロジェクト企画「記憶の玉手箱」にとてもふさわしい。と思うわけです。
《NEWS》2019.4.5産経新聞より
太宰治の「お伽草紙」の完全原稿発見、初公開へ
小説「人間失格」などで知られる作家の太宰治(1909~48)が戦時中に執筆した代表作の一つ「お伽草紙」の直筆完成原稿が見つかり5日、報道陣に初公開された。修正の跡などから戦中戦後の混乱ぶりも伝わる貴重な資料。6日から日本近代文学館(東京都目黒区)で始まる特別展「生誕110年太宰治創作の舞台裏」で一般公開される。作品集「お伽草紙」は日本の昔話をモチーフにした「瘤(こぶ)取り」「浦島さん」「カチカチ山」「舌切雀」の4編からなる。太宰は本土空襲を逃げ延びながら執筆。疎開先の甲府市の家を焼け出された際も完成原稿を手に避難したとされ、昭和20年10月に初版が刊行された。原稿の所在は長く不明だったが、同文学館が数年前に個人が所蔵しているのを見つけ調査していた。青森県近代文学館にすでに所蔵されていた同作品の原稿の一部は、雑誌掲載を見込んで別の出版社に送ったものの可能性がある。新たに発見された原稿はペン書きで、200字詰め原稿用紙387枚。前書きには「猿蟹合戦」の文字を消し「舌切雀」に書きかえた跡があり、別の構想があったことがうかがえる。また「瘤取り」には「アメリカ鬼、イギリス鬼」という記述も。この部分は戦後に出た初版で「××××鬼、××××鬼」と伏せ字にされ、昭和21年2月の再版で「殺人鬼、吸血鬼」と改められた。出版に至る過程でさまざまな配慮があったことが分かる。東京大の安藤宏教授(日本近代文学)は「激しい空襲をかいくぐって書き継がれた作品。書き換えのプロセスそのものが戦中戦後の混乱を物語っており興味深い」と話している。
《参考》「太宰治検定」
本物の太宰さんに会えました。太宰を判断するのは『お伽草紙』を読んでからにしてください。/ピース・又吉直樹
昭和23年3月、世界は太平洋戦争の渦中、まさに命がけで小説を書くことと向き合っていた中で誕生した『お伽草紙』は、単なる昔話のパロディーではなく、昔話の手法を駆使した新しい小説です。★「ムカシ ムカシノオ話ヨ」という、誰しもが慣れ親しんだ筋書きを通して太宰が伝えたかったものは、古びた教訓ではなく、当時を生きる人々にこそ意味を持つ問題提起でした。そして今を生きる私たちにも、また。
・・・この「ムカシ ムカシノオ話ヨ」という響き、カタカナ表記だからさらにイメージが膨らむ。
《NEWS》東洋経済オンラインより
21世紀の太宰治、その言葉はSNSで「拡散」する熱狂的な信望者とアンチを生み出した作家
2000年代後半から現在にいたるまで、太宰治がまた広く親しまれている。2009年から始まった★「太宰治検定」や、芸人、作家★又吉直樹さんが主宰するイベント「太宰治ナイト」。マンガ『文豪ストレイドッグス』(作・朝霧カフカ、作画・春河35)やスマホゲーム「文豪とアルケミスト」では、太宰治はじめ「文豪」たちがキャラクター化されてもいる。かつて破滅的な無頼派として熱狂的な信奉者とアンチを生み出した太宰治は、いまどのようなかたちで受け入れられているのだろうか。太宰リヴァイヴァルの立役者のひとり、作家★木村綾子さんとともに探求した。現在の太宰リヴァイヴァルのきっかけには、10年前の没後60年(2008年)、生誕100年(2009年)というタイミングが関わっている。実際、2009年には、太宰治生誕100年という売り文句とともに映画『ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ~』(根岸吉太郎監督)が、翌年には、やはり太宰生誕100周年を記念して『人間失格』(荒戸源次郎監督)、★『パンドラの匣』(富永昌敬監督)が、それぞれ公開されるなどの盛り上がりを見せた。そんななか、当時、タレント活動をおこないながら大学院で太宰治の研究をしていた木村綾子さんも、『いまさら入門太宰治』(講談社+α文庫)という太宰入門書の執筆をはじめ、太宰リヴァイヴァルに貢献する。なかでも、木村さんが企画運営に携わる「太宰治検定」は大事な動きである。2009年に始まった「太宰治検定」は、区画整理で失われていく青森県五所川原(太宰の故郷)を再興する意味合いがあり、親族である実行委員長の津島克正さんおよび津島家の協力のもと進められた。そして「太宰治検定」は、太宰に関する正確な知識を得るための窓口として、多くの太宰ファンを巻き込むこととなる。これまでに『津軽』『富嶽百景』★『お伽草紙』、太宰の人となりなどを題材にした試験がおこなわれており、毎年、幅広い年齢層のファンが『太宰治検定公式テキスト』を片手に検定会場をおとずれた。木村さんは、「太宰治検定」について次のように述べる。「太宰治検定を企画するなかで、わたしも五所川原に行きました。太宰が見た景観がなくなってしまうと思うと悲しかったです。また、克正さんの紹介で長女の津島園子さんにお会いすることもできたし、ご親族のかたから直接太宰の話を聞くこともできました。だから、検定はライフワークにしたいという思いで関わっています」「太宰治検定」は、新しい太宰ファンを獲得するとともに、従来の太宰ファンを振り向かせる好企画だった。そしてそれは、運営側の木村さんにとっても大事なものになったようだ。さて、没後60年・生誕100年というタイミングでにわかに盛り上がった太宰治。そんな近年の太宰リヴァイヴァルでは、これまでの暗くじめじめとした側面ではなく、どこか憎めないチャーミングな側面が発見されている。木村さんは当時のことを次のように振り返る。「わたしはもともと、太宰治の笑える部分や、中期の短編に惹かれたところがあったので、そういう部分を自分の声で届けたいという思いはありました。映画『ヴィヨンの妻』の公開時も、わたしが太宰に通じるなと思う人に選書を頼んで書店に書棚を作ってもらうなど、いろいろやらせてもらいました。この時期は、わたしがこういうことをやっても許されるような雰囲気があったのかもしれません。とはいえ、批判もけっこうありました。だから、ひとつひとつが賭けでしたね」2009~2010年くらいは、木村さんの発言にもあらわれているように、暗い太宰から明るい太宰へ移行する過渡期だったと言えるかもしれない。2009年に出版された『太宰萌え 入門者のための文学ガイドブック』(岡崎武志監修、毎日新聞社)も、執筆者のひとりである木村さんいわく、「タイトルで遊んだりすることで、いかに太宰治が面白いかを示そうとした」ものだった。(以下略)
・・・ということで、太宰治検定テキスト「お伽草子」著:木村綾子を購入いたしました。
【木村綾子】(1980~)
http://bookandbeer.com/profile/%E6%9C%A8%E6%9D%91%E7%B6%BE%E5%AD%90/
作家・本屋「B&B」スタッフ。1980年7月19日静岡生まれ。明治大学政治経済学部卒業後、中央大学大学院にて文学修士課程修了。文学修士号取得。雑誌の読者モデルを経て、2005年よりタレント活動を始める。現在は小説・エッセイ・評論など文筆業をメインに活動中。太宰治関連の著書、テレビ番組やイベント出演多数。2009年から「太宰治検定」実行委員として企画運営を行う。
《参考》写真家:林忠彦
「おい、俺も撮れよ。★織田作(織田作之助)ばっかり撮ってないで、俺も撮れよ。」銀座のバー「ルパン」での林と太宰の出会いである。当時、新進気鋭の作家であった太宰治に偶然会った林はしめたと思い、かろうじて1個だけ残っていたフラッシュバルブを使い、ワイドレンズがなく引きがないので、便所のドアをあけ★便器にまたがりながら夢中で撮影したという。この一年後に太宰治が入水自殺を図ったためこの写真は貴重な一枚となり、注文が相次ぎ、林忠彦の出世作といえる作品となった。
・・・太宰さんらしい。まったくの偶然ですが、先日、生國魂神社で「第6回織田作祭り」に出くわしたところです。