《作品No. os06「歩みきたりて」》作:山川冬樹
一人の歌人の足跡を辿る、終戦後、モンゴル抑留中にハンセン病が発覚し、大島で暮らした歌人、政石蒙。政石の足跡を巡って、モンゴル、大島、松野(政石蒙の故郷)を旅し、各地で撮影した映像と遺品によるインスタレーションを制作。
【政石蒙】本名:政石道男(1923~)
http://haps-kyoto.com/haps-press/masaishi/yamakawa_report/
1923年6月15日、愛媛県に生まれる。1942年東京鉄道学校(夜間部)卒業。1944年応召、「満州」に渡る。1947年に発病し、外蒙古人民共和国(現・モンゴル)のアムラルト日本人捕虜収容病院に収容。隔離小屋の生活を余儀なくなれる。このときより作歌を始める。1947年11月復員。家業の手伝いなどの後、1948年7月22日、大島青松園に入所、現在に至る。入所後、短歌会に加わり、1950年、若山牧水創刊の「創作」短歌会、その後「長流」短歌会に所属。1949~1958年、少年寮寮父。歌集『乱泥流』(1964私家版)、短歌・随筆集『花までの距離』(1979私家版)、歌集『遥かなれども』(1990私家版)。
《作品No. os07「海峡の歌/Strait Songs」》作:山川冬樹
近くて遠い大島と庵治(あじ)を結ぶ、大島の対岸、庵治町。かつては自由を求めて大島から庵治へ海を泳いで渡ろうとする人たちが後を立たなかったという。「隔てる海」を「つなげる海」へ。時を超えて両地の間の海峡を泳いで渡り、その記憶をインスタレーション展示。
《大島会館》
娯楽センターとしての劇場。演劇や作品展,敬老会のお祝いの会などが行われる。昔は映画館としても使用された。敬老会や春と秋に行われるカラオケ大会には,庵治第二小学校の子どもたちも出演している。
《NEWS》2019.4.24山陽新聞より
国立ハンセン病療養所大島青松園(高松市・大島)で、入所者が700人前後に上った約60年前の同園を再現したジオラマが完成した。瀬戸内海の離島も現場となった隔離政策の歴史を広く伝えようと入所者自治会が企画し、高松市のNPOが中心となり制作。大島も会場となる瀬戸内国際芸術祭2019(瀬戸芸)が開幕する26日から、同園社会交流会館で公開する。150分の1スケールで縦6・2メートル、横2・4メートルの大作。24畳の部屋に12人が暮らしたという独身寮をはじめ、医療施設や心のよりどころとなった宗教施設、島で生涯を終えた人の納骨堂といった各建物が、狭い島に立ち並ぶ様子を表現した。地図や写真、建築図面を参考にしながら、発泡スチロールや鉄道模型作りの材料で組み上げた。時代設定した1958年前後は、ハンセン病患者を見つけて療養所に収容する各県の「無らい県運動」を背景に入所者数が戦後ピークだったころ。人権侵害の歴史を刻むジオラマは入所者自治会が2017年に発案し、交流を続ける瀬戸芸サポーター組織のNPO瀬戸内こえびネットワーク(本部・高松市)がボランティアの協力を得て作り上げた。同会館では26日、かつての入所者の生活用品を集めた歴史展示コーナーもオープン。大島に渡る時に使ったトランクや数少ない娯楽のハーモニカ、最期を迎える時に備えて仕立てた着物などを紹介し、故郷を離れた園での一生を想像できるようにしたという。同園は今年開設110年。1日現在の入所者数は53人で平均年齢84歳。入所者自治会の森和男会長は「展示を通じ、多くの人に隔離政策の実態を知ってもらえたら」と話している。
《NEWS》2019.4.25朝日新聞デジタルより
ハンセン病、隔離生活の歴史伝える 学びの場が開館へ
高松市の国立ハンセン病療養所・大島青松園に2019年4月26日、ハンセン病の歴史や島の暮らしを学べる★「社会交流会館」がオープンする。高齢化で入所者が少なくなるなか、「大島の姿を未来に正しく伝えたい」。学芸員の池永禎子さん(44)が、準備を進めている。青松園は110年前の1909年4月に開設。国の誤った隔離政策のもと、ハンセン病患者らを強制的に入所させ、ピーク時には700人超が暮らした。現在は高齢化が進み、53人の平均年齢は84歳を超える(いずれも1日現在)。島の歴史や自身の経験を伝える語り部も少なくなった。国は、園に残る記録や生活用品を資料として保存し、訪れた人に知ってもらうため、社会交流会館を整備。2016年には、交流の場となるカフェなどが先行オープンした。