・・・さらに「胡蝶」について、
《雅楽》
原義は「雅正の楽舞」で、「俗楽」の対。国内の宮内庁式部職楽部による定義では、宮内庁式部職楽部が演奏する曲目の内、洋楽を除くもの、とされる。多くは器楽曲で宮廷音楽として継承されている。現在でも大規模な合奏形態で演奏される伝統音楽としては世界最古の様式である。ただし、平安時代に行われた楽制改革により大陸から伝来したものは編曲や整理統合がなされ国風化しているためかなり変化しており、主に京都の貴族の間で行われていた宮廷音楽としての雅楽の形態については応仁の乱以降、江戸幕府が楽師の末裔(楽家)をあつめて再編するまでは100年以上ほぼ断絶していたので往時の形態をどこまで継承しているかは不明である。
《舞楽》
舞を伴う雅楽。唐楽を伴奏とする左舞(さまい)と、高麗楽(こまがく)を伴奏とする右舞(うまい)とに分かれる。広義には、倭舞(やまとまい)・東遊(あずまあそ)び・久米舞(くめまい)など、日本の古楽の形式によるものも含む。
・・・雅楽・舞楽に興味を抱いたのは、大阪画壇そして★「菅盾彦」さんを調べている時のことです。
【菅楯彦(すがたてひこ)】(1878~1963)
https://www.pref.tottori.lg.jp/266864.htm
日本画家。鳥取県鳥取市出身。本名は藤太郎。号は、初め盛虎、のち静湖、静香。大阪美術会会員。大阪市名誉市民。浪速の風俗を愛し「浪速御民(なにわみたみ)」と標榜、はんなりとした情趣ある浪速風俗画で★「最も大阪らしい画家」と呼ばれた。
父以外に絵の手ほどきを受けたことはなく、父死後は貧窮に悩みながら独学で画業を進め、大和絵をはじめ円山四条派・狩野派・浮世絵など幅広く研究した。また、歴史に深く関心を寄せ、国学を鎌垣春岡に、漢学を山本憲に学んだ。一時定職につき、明治32年(1899年)から2年ほど、漢学者・藤田軌達の紹介で神戸新聞社で挿絵画家(月給30円)として働いた。明治34年(1901年)から2年間、大阪陸軍幼年学校の歴史科画事嘱託となり、歴史と美術を教え、ここで松原三五郎から洋画法を学んでいる。明治35年(1902年)に画号を菅楯彦とした。これは春岡から贈られたもので、出典は★『万葉集』巻20の防人が詠んだ歌「今日よりは顧みなくて大君の醜の御楯と出で立つわれは」から取ったと推測される。更に復古やまと絵派の冷泉為恭に関心を持ち、為恭風の「菅」の方印を使い始める。明治36年(1903年)第五回内国勧業博覧会に、「兼好法師之図」を出品するが落選している。名妓富田屋八千代を娶って世人を驚かせた。日本美術院恩賜賞受賞。大阪美術会会員。★四天王寺舞楽協会会長。大阪市名誉市民。
《参考》国指定重要無形民俗文化財「聖霊会の舞楽」(天王寺舞楽)
「聖霊会は聖徳太子の御忌にその聖霊をまつる法会で、 4 月 22 日天王寺区の四天王寺で執行される。この法会は王朝時代の舞楽法要の姿を伝えているもので、古式豊かな舞楽が六時堂前の石舞台上で四隅に巨大な赤紙花の曼珠沙華を飾って舞われる。総礼伽陀、四箇法会儀式に織り交じりながら、「振鉾」「蘇利古」「菩薩」「獅子」「迦陵頻」★「胡蝶」などの舞楽が舞われる。四天王寺は、三方楽所の一つに数えられてきた由緒ある舞楽の伝承を持っており、明治初年に楽所を一つにして宮内庁楽部にした後も、その伝統を伝え残して現在に至っている。」(文化庁ホームページ:国指定文化財等データベース より)。文化財「聖霊会の舞楽」の文化庁指定保存団体が天王寺舞楽協会である天王寺舞楽協会より依頼を受けて「天王寺楽所雅亮会(以和貴会)」が演奏する。
●「天王寺楽所雅亮会(以和貴会)」
556-0014大阪市浪速区大国2丁目2-27願泉寺内/06-6641-0084
「天王寺楽所」は、京都・奈良とともに、古代にさかのぼる長い伝統を有している。明治維新の際に楽家の楽師たちが東京へ召される事態となり、天王寺舞楽の伝統が危うく途絶えかけたものの、これを憂いた有志が「聖霊会」保存グループとして明治17年に「雅亮会」を結成した。明治23年には初代会長小野樟蔭のもと、会則を整えて事務所を浄土真宗本願寺派願泉寺に設置して天王寺舞楽の伝承団体として地盤を確固たるものとした。それ以来、民間雅楽演奏団体として、今日まで天王寺舞楽の伝承・研鑽を続けてきた。天王寺舞楽は、仏教法会における雅楽・舞楽として伝承されてきた もので、4月22日の四天王寺の聖霊会舞楽大法要は、古代の仏教法要の盛儀を伝えるものとして国の重要無形民俗文化財の指定を受けており、大らかで力強い舞態を特徴とする。四天王寺における篝の舞楽(8月4日)や経供養舞楽法要(10月22日)、住吉大社での卯之葉神事、観月祭の舞楽に参仕。その他広範囲にわたる国内各地の依頼公演をこなす。津村別院の報恩講の奏楽も毎年雅亮会が担当している。一年に一回大阪フェスティバルホール等での自主公演会を催し、6月には津村別院をお借りして毎年雅楽ゼミナールを開催。海外公演としては、昭和5 年のアメリカ・カーネギーホール公演を皮切りに、ヨーロッパ各国、ニュージーランド、韓国、中国、チェコ(大統領臨席)など豊富な経験を持つ。大阪府芸術祭賞、大阪府民劇場賞、大阪文化賞、大阪府知事表彰など、数多くの受賞歴を持つ。また、初代会長小野樟蔭は上方芸能人顕彰を受け、楽頭であった小野功龍は平成26年に日本芸術院賞・恩賜賞を受賞している。
2019年3月14日午後6時より
大阪国際交流センター/観覧は無料です。
★第65回「篝の舞楽」(天王寺舞楽協会主催)
日時:2019年8月4日午後7時開演
会場:四天王寺講堂前庭(雨天時は五智光院)入場料 1,000円
演目:振鉾(合鉾)北庭楽 安摩・二ノ舞 蘭陵王 長慶子
・・・実際に雅楽を観たことがなかったので、「雅楽伝習所発表会」に参加させていただいたことがあります。残念ながら、まだ「胡蝶」を観てませんので、いつかそのうちに。
《胡蝶》
蝶をモチーフにした舞楽。胡蝶楽、胡蝶の舞とも呼ばれる。高麗楽(三韓楽の一つである高麗楽(高句麗の民族音楽)では無く、渤海楽・三韓楽を中心に平安時代に編集された音楽様式)・右方の舞に属するが、渤海や朝鮮半島が起源なのではなくて高麗楽の様式に則って日本で作られた曲。迦陵頻の番舞(つがいまい)として作られたため、迦陵頻を形式や装束のベースにおいている。曲の調子は高麗壱越調(唐楽の平調と同様)。作曲は藤原忠房、振り付けは敦実親王。童舞として作られ、原則として4名の少年が舞う。神社では巫女や少女が舞う場合もある。平絹白地の袴の上に、緑系統の地色に蝶を散らした尻長の紗の袍を着て、手には山吹の枝を持つ。足には絲鞋を履き、背と胸に、牛革、又は重ね貼りした和紙に胡粉を引き紅や緑青で蝶の羽を描いた翼と胸当てをつける。頭に鍍金した唐草模様の宝冠(雅楽では、山形の額飾りと側頭部に二本の剣形の飾りを備えた金属製のヘッドバンドを指す)をつけて二本の山吹の枝をはさみ、図画資料では髪は下の輪のみの角髪に結うことが多い。化粧は稚児と同様の白塗りの厚化粧が原則となるが、しない場合や薄化粧の場合もある。★源氏物語「胡蝶」などを見ると、この衣装をつけさせた童子に宴会の際の舟を漕がせることなども行われていたらしい。
《源氏物語「胡蝶」》
https://www.nijl.ac.jp/search-find/articles/gallery/200804.html
『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。第24帖。玉鬘十帖の第3帖。巻名は紫の上と秋好中宮が贈答した和歌「花ぞののこてふをさへや下草に秋まつむしはうとく見るらむ」及び「こてふにもさそはれなまし心にありて八重山吹をへだてざれせば」に因む。
《胡蝶の夢》
中国の戦国時代の宋国(現在の河南省)生まれの思想家で、道教の始祖の1人とされる人物の荘子(荘周)による、夢の中の自分が現実か現実の方が夢なのかといった説話である。荘子の考えが顕著に表れている説話として、またその代表作として一般的にもよく知られている。
夢の中で胡蝶(蝶のこと)としてひらひらと飛んでいた所、目が覚めたが、はたして自分は蝶になった夢をみていたのか、それとも今の自分は蝶が見ている夢なのか、という説話である。この説話は「無為自然」「一切斉同」の荘子の考え方がよく現れているものとして有名である。「無為自然」を荘子の言葉でいえば「逍遥遊」となり、それは目的意識に縛られない自由な境地のことであり、その境地に達すれば自然と融和して自由な生き方ができると荘子は説く。荘子が他の説話において提出してきた「是と非、生と死、大と小、美と醜、貴と賎」などの現実に相対しているかに見えるものは、人間の「知」が生み出した結果であり、荘子はそれを「ただの見せかけに過ぎない」という。
《胡蝶の夢》著:司馬遼太郎
『朝日新聞』朝刊に、1976年11月11日から1979年1月24日まで連載された。徳川幕府の倒壊と15代将軍慶喜の苦悩、また戊辰戦争での軍医としての松本良順、順天堂出身の関寛斎の姿があざやかに描き出される。その一方で、記憶力と語学習得力は抜群ながら、人間関係の構築のまずさで不利を被っている島倉伊之助(後の司馬凌海)の姿が、この両者とは違った形で描かれている。幕末から明治維新の時期を政治でなく、医療の目から、またその医療を通しての身分制度批判という観点から見た作品である。初版は新潮社、のち新潮文庫(全4巻)で刊行。『全集 41・42』(文藝春秋)でも刊行されている。
《参考》大阪大学(平成25年度)入学式・総長告辞「夢は叶えるためにある」より
どうすれば「物事の本質を見極める能力」を養うことができるでしょうか?荘子の中に次のような一節があります。昔荘周夢に胡蝶となる。栩栩然(ききぜん)として胡蝶なり。自ら愉みて志に適えるかな。周たるを知らざるなり。俄然として覚むればすなわち蘧々然(きょきょぜん)として周なり。知らず、周の夢に胡蝶となるか、胡蝶の夢に周となるかを。夢の胡蝶が今の自分を夢見ているのか、それとも今の自分が夢で蝶になっているのか?さらに、荘子は、何が真実かという問いかけに対して、この世の中には絶対的に真実といえることはない。ものの見方を変えれば、例えば己を「これ」と呼び、他を「かれ」と呼ぶ、しかし「かれ」からは己も「かれ」、「かれ」も「これ」である。このように物の見方は、立場をかえればなにが正しく、なにが誤りであるとは言い難い。さらに、このような相対的な物の見方が問題なのではなく、★そのようなことはどうでもいいと荘子は言う。どちらにしても★あるがままの今を楽しむことが全てである。この考え方からは、過去と未来、そしてそれを仲介する今の瞬間、この瞬間が全てであると言っているように、私には思われます。この荘子の考え方の中に、「物事の本質」というものを垣間見ることができます。荘子は★「不知の知」が重要と説きます。善と悪、正義と不正義、美と醜、などなど、物事の対立はもちろん見方を変えれば全く反対になる、しかしこのような判断はあくまでも「知」のなす技であり、人間が「知」を捨てられない限り「知」の限界を超えられない。「知」の所産である価値判断によって人間の自由なあり方を束縛し歪曲する。「知」を超える、「知」から分かつこと、すなわち、あるがままを、あるがままに受容すること。これが「不知の知」と説かれています。皆さんがこれまで学んできた知識はすべて、ある一面からみた知識に過ぎません。荘子が言うように物事は見方を変えれば全く異なる姿が見えてきます。皆さんもこれからは様々な問題意識をもって、ある事柄を一面から見ることなく、様々な観点から見る努力をして欲しいと思います。そこに物事の本質を観ることができます。
・・・「胡蝶の夢」、含蓄のある寓話です。
《参考》Forbes JAPAN連載
『バタフライ・ドクトリン -胡蝶の夢-』著:波多野聖★イラスト:日月沙絵
http://www.visiontrack.jp/news/?artist=3568
・・・惚れ惚れする、素晴らしいイラストです。