・・・あえて「コミック」としたのは、過去「マンガ少年」だったからです。少し前置きが長くなるのでご容赦ください。
https://blog.sharp.co.jp/2014/03/13/1065/
・・・生まれた頃1953年に「テレビ」放送が始まり、「貸本」時代から1959年「週刊少年漫画雑誌」時代へと突入します。
※貸本マンガ史研究会 https://blog.goo.ne.jp/kashihonmanga
1960年代「テレビアニメ」全盛期を迎え同時に、1964年「ガロ」創刊以降に青年や成人向けマンガも続々と登場します。
・・・そして活字本(小説)と並行しつつマンガも読み続けていました。しかし、就職と同時にマンガの割合が急激に落ち込み、「氷河期」を迎えました。かろうじて、マンモス的存在として「つげ義春」さんだけが生き続けていました。青年期に大きな影響を受けたこともあって、後生大事にコレクションしていたからでもあります。
・・・「つげ義春」さんと関係があることを知り、「畑中純」さんにお会いして素敵な★木版画も入手することができました。お会いして数か月後、突然亡くなられたいへん衝撃を受けました。そんなこともあって「つげ義春」ならびに「畑中純」コレクションの全てを、★マンガミュージアムに寄贈することにしました。これにて私のマンガ史は一件落着、と思っていました。
◆【京都国際マンガミュージアム】◆
604-0846京都市中京区烏丸通御池上ル (元龍池小学校)/075-254-7414
国内外の漫画に関する貴重な資料を集める日本初の総合的な漫画ミュージアムとして★2006年11月25日に開館した。明治時代の雑誌や戦後の貸本などの貴重な歴史資料、現代の人気作品、世界各国の名作など約30万点(2011年現在)を所蔵している。マンガ学部を持つ★京都精華大学と土地・建物を提供した京都市によって共同事業として整備が進められたもので、現在は市と大学で組織される運営委員会の下、大学が管理・運営している。近世思想史や美術史などを専攻する研究員4人が所属し、まんが文化の研究にあたっている。施設は廃校になった旧・龍池小学校の校舎を改築(一部増築)して利用している。旧・龍池小学校の本館・講堂・北校舎・正門および塀だった建物は2008年7月23日に国★登録有形文化財に登録された。
・・・「マンガ」「大学」そして「文化財」が一体となった素晴らしいミュージアム、寄贈するならここでしょ。
《漫画(comics、cartoon、manga)》
狭い定義では笑いを企図した絵をいい、「戯画(カリカチュア)」の概念と近い。広い定義では、必ずしも笑いを目的としない「劇画」「ストーリー漫画」「落書き」「アニメ」なども含み、幅広い意味を持つ。マンガという表記も漢字以上に広く使われており、特に漫の字がユーモアを想起させることから、広義で用いる場合はその傾向がある。日本では明治時代に輸入された"comic"、"cartoon"の日本語訳として「漫画」という言葉を北澤楽天や今泉一瓢が使用したことに始まって以後、漫画はcomicと同義として扱われる様になり、その意味での「漫画」が昭和初期に普及し、現代における漫画という語へ定着するようになった。
漫画は、簡略化と事象の抽象化が特徴とされる。現代漫画は、映画などの影響を受けて20世紀に世界的に発展した、ストーリーのある「コマ割り漫画」の comics (コミック)と、「一コマ漫画」の cartoon (カートゥーン)に分類することができる。
漫画では情景や人物の動作などは情報伝達の際に、その絵を提示する事で表現されることがある。視覚芸術の一分野に位置付けられるが、1つの画面で完結しない「時間の継起性」において、時間の一瞬を切り取った(近代以降の)絵画とは区別され、1つの画面(フレーム)がコマを指すのか紙面を指すのか不確定なところに、フレームが1つしかない映画との区別がなされる。
本記事においては漫画と表記されているが、「マンガ」や「まんが」と表記される場合、これらの表記は意図的に用いられている場合もある。ただし個々の評論家や研究者によって定義は異なる。
「漫画」という言葉は、字義的には「気の向くままに漫然と描いた画」という意味である。語源は、よくわかっていないが、随筆を意味する漢語「漫筆」が「漫筆画」を経て「漫画」になったとする説と、「漫画(まんかく)」という名のヘラサギに由来するとの説がある。江戸時代には、山東京伝(『四時交加』、1798年)や浮世絵師の葛飾北斎(北斎漫画初版、文化11年(1814年))の作品の序文や題名で、用語「漫画」が「絵による随筆」「戯画風のスケッチ」という意味で使用されている。明治時代になると、今泉一瓢が"caricature"や"cartoon"の訳語として「漫画」を用いた。北澤楽天は"comic"の訳語として「漫画」を使用し、以降はこの意味が「漫画」の最も一般的な用法として定着した。
英語でコマ割り漫画を意味する comics (コミック)は、ギリシャ語で「喜劇」を意味するΚωμικός(コーミコス)から派生した、「滑稽な」を意味する形容詞 comic に由来する言葉である(現代のギリシャ語でも、同じ語源を持ち、おそらくは英語の影響をも受けた用語Κόμικς(コーミクス)が、漫画の意味で使われている)。初期の漫画の多くはほぼ同じサイズのコマを一列に並べた物であり、また、ほとんどは滑稽な内容を扱っていたために、これらのジャンルには comic strip (コミック・ストリップ、滑稽な端切れ)という呼び名が与えられた。それらを一冊の冊子にまとめた物は、 comic book (コミック・ブック、滑稽な本)と呼ばれ、それが短縮されて comic となった。
日本の漫画がほぼすべてが右開きであり、2014年以降の『ファミ通』のような左開きの雑誌でも右開きで掲載される。
現在では日本の漫画および日本風の漫画を指す “manga”や、“tankōbon”(単行本)といった語は欧米にも輸出されている。なおヨーロッパ語圏で"manga"は、日本の漫画のみを指す言葉である。アラビア語では、Manjaと呼ばれている。日本の漫画はアメリカン・コミックスや、フランス語圏のバンド・デシネなどの各国の漫画と比べて、モノクロ表現や独特のディフォルメ、ストーリー性などの異なる特徴を持っている。以前は『AKIRA』国際版の様にアメコミ形式に再構成や彩色が行われる事が多かったが、近年はむしろ日本漫画の特徴を押し出して原書に近い形で出版されている。一方で翻訳は日本独自の文化や擬態語などのために苦労が見られる。
・・・司馬遼太郎「街道をゆく」(竹内街道)から五木寛之「風の王国」(二上山)への活字(小説)としての流れは、さらに世界遺産登録(仁徳陵)という時期的なことも絡まって自然の成り行きでした。ところが、折口信夫「死者の書」(活字)から近藤ようこ(コミック)への移行が、マンガ史を再燃させることになったのです。
《COMICばく》★(1984~1987)
日本文芸社が刊行していた季刊の漫画雑誌。4年間で全15号が刊行された。編集長夜久弘が、休筆から復活した★つげ義春に新作発表の舞台を提供するために作った雑誌である。「ばく」は悪夢を食べるという伝説上の動物「獏」からとったもの。夜久のコミック作家の夢とコミックファンの夢をどん欲に吸収したいとの発想から発刊にこぎつけた。
・・・「ばく」が刊行されたのはまさしく私のマンガ氷河期にあり、今更ではありましたが、やっとのことで(かなりポロポロですが)全巻入手することができました。そして今、ようやくその「玉手箱」が開かれようとしているのですから、驚きです。