《参考》『死者の書』
●古代エジプトのものと、チベットのものが知られている。 死者の書(英語綴りBook of the Dead)は古代エジプトで死者とともに埋葬されたパピルスの巻き物。おもに、絵とヒエログリフで構成。チベット死者の書はチベット仏教の教典。
★『死者の書』は、釈迢空(折口信夫)による小説、およびそれを原作とした川本喜八郎の人形アニメーション。それをもとにした野田暉行の無伴奏混声合唱曲。
●寺山修司が1974年に出版した評論集のタイトル。
●ジョナサン・キャロルが1980年に発表した小説(The Land of Laughs)の日本語版タイトル(東京創元社。浅羽莢子訳)。
【折口信夫】(おりくちしのぶ)1887~1953
https://www.kokugakuin.ac.jp/article/96337
民俗学者、国文学者、国語学者であり、釈迢空と号した詩人・歌人でもあった。彼の成し遂げた研究は「折口学」と総称されている。柳田國男の高弟として民俗学の基礎を築いた。みずからの顔の青痣(あざ)をもじって、靄遠渓(あい・えんけい=青インク)と名乗ったこともある。歌人としては、正岡子規の「根岸短歌会」、後「アララギ」に「釈迢空」の名で参加し、作歌や選歌をしたが、やがて自己の作風と乖離し、アララギを退会する。1924年(大正13年)北原白秋と同門の古泉千樫らと共に反アララギ派を結成して『日光』を創刊した。
柳田が民俗現象を比較検討することによって合理的説明をつけ、日本文化の起源に遡ろうとした帰納的傾向を所持していたのに対し、折口はあらかじめマレビトやヨリシロという独創的概念に日本文化の起源があると想定し、そこから諸現象を説明しようとした演繹的な性格を持っていたとされる。
※「マレビト」「ヨリシロ」
マレビト(稀人・客人)は、時を定めて他界から来訪する霊的もしくは神の本質的存在を定義する折口学の用語。折口信夫の思想体系を考える上でもっとも重要な鍵概念の一つであり、日本人の信仰・他界観念を探るための手がかりとして民俗学上重視される。
日本の古神道の由来の民間信仰・神道の根底には、あらゆる物に神・精霊や魂などのマナ(外来魂)が宿ると考える自然崇拝があった。その意味では、依り代とは、森羅万象がなりうるものである。一般的に、マナは太陽、山河、森林、海などから来て物、特に石や木につくとされ、そのような物を祀る磐座(いわくら)信仰や神籬(ひもろぎ)信仰が始まっていった。そのようにして祀られる巨石・岩や高木には、現在も注連縄が飾られる。また、日本の神として古事記や日本書紀にある人格神(人の形や人として捉えられる神)にも、根底に同じ考え方があり、所縁のある物や象徴する物(中が空洞の物体が多い)に依り憑いて具象化する(太陽神を象徴する鏡、髭籠等)ことで力を及ぼすと考えられたようである。
★『死者の書』著:折口信夫/青空文庫
https://www.aozora.gr.jp/cards/000933/files/4398_14220.html
彼(か)の人の眠りは、徐(しづ)かに覚めて行つた。まつ黒い夜の中に、更に冷え圧するものゝ澱んでゐるなかに、目のあいて来るのを、覚えたのである。した した した。耳に伝ふやうに来るのは、水の垂れる音か。たゞ凍りつくやうな暗闇の中で、おのづと睫(まつげ)と睫が離れて来る。
《参考》「岡野弘彦」(1924~)
http://www.keio-up.co.jp/kup/gift/orikuchi.html
三重県一志郡美杉村(現・津市)生まれ。代々神主の家に、父・弘賢の長男として生まれる。川上尋常小学校、神宮皇學館普通科を経て、1948年(昭和23)★國學院大學国文科卒。1946年(昭和21)学生時代から釈迢空(折口信夫)主宰の短歌結社「鳥船社」に入社、1947年(昭和22)からは折口家に同居、その死を看取った。
《人形アニメーション「死者の書」》作★川本喜八郎2006(1925~2010)
http://chirok.jp/product/content2/dead.html
奈良の當麻寺に伝わる中将姫の蓮糸曼荼羅伝説と大津皇子の史実をモチーフにした折口信夫の小説「死者の書」を原作とする。彼岸の中日、千部写経に取り組む藤原南家の姫、郎女(いらつめ)は二上山に沈む夕日の中に浮かび上がる尊者の俤を見る。若くして非業の死を遂げた大津皇子のさまよう魂を、郎女の一途な信仰が鎮めていく。執心と解脱というテーマを繰り返し描いてきた川本は遺作となったこの作品で解脱を描いた。
《NEWS》2010.10.21奈良新聞より
川本監督の遺作公開へ/人形アニメ映画「死者の書」
日本を代表する人形美術家、アニメーション作家で今夏に亡くなった川本喜八郎さんが監督した人形アニメーション映画「死者の書」が、10月30、31日、11月6、7日の4日間、中将姫伝説ゆかりの★当麻寺中之坊(葛城市当麻)で追悼上映される。同作は川本監督の遺作で、折口信夫の原作をもとに、藤原南家の郎女(いらつめ)=中将姫=の一途な信仰が大津皇子のさまよう魂を鎮める物語を映画化した。当麻寺中之坊の松村実昭院主は「川本監督はこの作品を映像化することを悲願とし、中之坊で祈願するなどされた集大成の作品。ぜひ多くの人にご覧いただきたい」と話している。料金は中之坊拝観料込みで1500円。各日午前11時、午後2時の2回上映。問い合わせは★桜映画社、電話03(3478)6110。
http://www.sakuraeiga.com/kihachiro/index2.htm
◆【飯田市川本喜八郎人形美術館】◆
395-0044長野県飯田市本町1丁目2番地/0265-23-3594
《マンガ「死者の書」》作★近藤ようこ2015~16
http://museum.kokugakuin.ac.jp/event/detail/2016_orikuchi_exhibition.html
日本幻想文学屈指の傑作を漫画化。古代へと誘う魂の物語。時は八世紀半ば、奈良の都・平城京が栄えた頃――。二上山の峰の間に、荘厳な俤びとの姿を見た藤原南家の娘・郎女は、館から姿を消し、女人禁制の万法蔵院に入り込む。「姫の咎は、姫が贖う」――長期の物忌みに入った郎女の元に、五十年前、謀反の罪で斬首された滋賀津彦の亡霊が訪れる。その、白玉が並んだような、白い骨ばかりの指を見た郎女は――。日本民俗学の基礎を築いた折口信夫の傑作小説を、近藤ようこが初読四十年にして、宿願の漫画化。古代へと誘う魂の物語。
【近藤ようこ】(1957~)
1957年5月11日、新潟県新潟市にて生まれる。小学校のとき、白土三平★「カムイ伝」を読んでショックを受け、漫画を描き始める。1973新潟県立新潟中央高等学校に入学。高橋留美子と共に漫画研究会を設立し、副部長として活動。その一方、国文学者で民俗学者の折口信夫★「死者の書」を読んで衝撃を受け、民俗学を学ぶことを志す。1976★國學院大學文学部日本文学科に進学。1979大学在学中★『ガロ』に短篇「ものろおぐ」を投稿し、1979年5月号に掲載された。同年、『劇画アリス』に掲載された「灰色の風景」で実質的にデビュー。
・・・ファンになってしまいました。