★「1968年激動の時代の芸術」展
2018年9月19日(水)~11月11日(日)/千葉市美術館
http://www.ccma-net.jp/exhibition_end/2018/0919/0919.html
2018年12月1日(土)~2019年1月27日(日)/北九州市立美術館分館
2019年2月10日(日)~3月24日(日)/静岡県立美術館
http://www.spmoa.shizuoka.shizuoka.jp/exhibition/detail/44
★50年前の芸術はこんなにも熱く激しかった。世界中で近代的な価値がゆらぎはじめ、各地で騒乱が頻発した1968年は、20世紀の転換点ともいうべき激動の年でした。日本でも、全共闘運動やベトナム反戦運動などで社会が騒然とするなか、カウンターカルチャーやアングラのような過激でエキセントリックな動向が隆盛を極めました。近年、この時期に起こった文化現象が様々な分野で注目を集めており、「1968」は国内外で文化史のキーワードとして定着したと言えるでしょう。1968年前後は、日本の現代美術にとっても重要な時期になりました。多くの芸術家が日本万国博覧会★(大阪万博)の準備に協力する一方で、万博に参加しなかった作家や評論家の多くが、この動きを批判しました。また現代美術のみならず、演劇・舞踏・映画・建築・デザイン・漫画などの周辺領域の作家たちも、既存のスタイルを打ち破るような先鋭的な試みを次々とおこない、またジャンルを越えて協力し合ったのです。さらにこの年には、★「もの派」の嚆矢ともいうべき関根伸夫の《位相-大地》が発表され、写真同人誌『プロヴォーク』も創刊されるなど、新たな世代が一気に台頭しました。学生運動やヒッピームーヴメントに代表されるような、既成の価値や体制に異議申し立てをおこなう時代の空気は、芸術家のあいだでも共有されていたのです。本展は、1968年からちょうど半世紀が経過した2018年の視点から、この興味深い時代の芸術状況を、現代美術を中心に回顧しようとする試みです。この時代の芸術を輪切りにして展観することで、新たに見えてくるものがあるのではないでしょうか。磯崎新、赤瀬川原平、高松次郎、0次元、横尾忠則、宇野亜喜良、寺山修司、唐十郎、シュウゾウ・アヅチ・ガリバー、土方巽、林静一、森山大道、関根伸夫ら個性的な顔ぶれが縦横無尽に活躍した時代の熱い雰囲気を、この展覧会で感じ取っていただければと思います。
・・・先日亡くなられた「もの派」関根伸夫さんについて紹介したところですが、《位相-大地》という作品が大好きです。
★1968「位相―大地」制作:関根伸夫(H270×φ220cm)×2、大地
第1回神戸須磨離宮公園現代彫刻展/朝日新聞社賞受賞
http://www.nobuosekine.com/image/phase-mother-earth-1968/
★施工:醍醐建設(株)/製作完了:2008年 11月(期間限定設置)
http://daigo-construction.co.jp/others/401/
★関根伸夫「位相-大地」の再制作/40年の時を経て甦る伝説の作品
会場:多摩川駅前の田園調布せせらぎ公園(東急多摩川線)。
展示期間:2008年 11月1日(土)~9日(日)
http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/2008/11/nobuo-sekine-phase-mother-earth-reborn.html
1968年10月に、神戸の須磨離宮公園で、関根伸夫が「位相 – 大地」を制作しました。深さ2.7メー トル、直径2.2メートルに掘られた穴と、全く同じ高さ、直径に固めて作られた土の円柱で作られている「位相 – 大地」は、「もの派」というアーティストグループの初期の作品に対する大きな分岐点となり、日本戦後美術史の象徴的な作品として認められています。40年ぶりに、「位相 – 大地」の再制作が、「多摩アートラインプロジェクト」において行われました。本展では様々な作家による作品が11月1日から9日まで多摩川駅前の田園調布せせらぎ公園など、東急多摩川線沿線に設置されています。1968年には、その当時に20代の関根ともの派の何人かのアーティストと一緒に手掘りで作品を制作しましたが、今回は★建設会社の応援で再制作されることになりました。1968年の「位相 – 大地」の制作を記録した写真が少ないので、今回TABは2008年のこの伝説的な作品の再制作の様々な段階を記録するフォトリポートを提供します。
★関根伸夫「位相―大地」再制作プロジェクト2011
会期:2011年9月22日(木)~10月14日(金)
※ただし10月2日(日)は学内行事のため、一般公開はいたしません。
開場時間:午前10時から午後5時まで
会場:神戸芸術工科大学キャンパス扇形広場
主催:神戸芸術工科大学、神戸ビエンナーレ組織委員会、神戸市
特別協力★株式会社「吉田造園土木」
http://kobe-biennale.jp/_2011/kikaku/sekine/index.html
1968年に第1回神戸須磨離宮公園現代彫刻展に発表された、関根伸夫氏による「位相―大地」は、美術界に衝撃的な反響を呼び起こし、「もの派」を含む日本の現代美術の動向に決定的な影響を与えました。また、現代の都市環境、自然との相互の関係のあり方にも深くかかわり、極めて現代的な意義を持っています。★神戸芸術工科大学では、関根伸夫氏の全面的な協力のもとに、ゆかりの神戸の地において43年ぶりに「位相―大地」の再制作と展示を行い、広く一般に公開します。当時の人々にもたらした、その作品の衝撃的な魅力、土と光、アートと環境との実り豊かな関係を再体験する貴重な機会となります。 若い学生を含めて様々な世代の人々が、本プロジェクトを通じて、今日のアートや環境に対する新しい見方を発見し、新たな創造を生み出す刺激となれば幸いです。プロジェクトは、本作品を原寸で再制作・展示します。
《参考》大阪万博の三井グループ館の庭に関根伸夫が作品「位相-大地」を制作した記事または写真を探している。(【 】内は、当館の請求記号です。)
http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000169550
『半自伝 美術と都市と絵空事』関根伸夫著PARCO出版1985.12【931/115/#】大阪府立中央図書館所蔵
『「位相-大地」の考古学 美術の考古学 第1部』[関根伸夫作]西宮市大谷記念美術館編集、西宮市大谷記念美術館1996【710.8/52N/】大阪府立中央図書館所蔵。以上の2冊には1968年の須磨離宮での作成風景や、インタビューを掲載しています。
オンラインデータベースで、朝日新聞・読売新聞・毎日新聞を「関根」「伸夫」「万博」or「万国博覧会」などのキーワードで検索しましたが、お探しの関根伸夫さんが作品「位相-大地」を制作した記事または写真をみるけることができませんでした。
『三井グループ館 創造の楽園 EXPO’70三井グループ館資料』〔三井グループ館〕〔1970〕(『三井グループ館 宇宙と創造の旅』として所蔵)【807/667/#】では、本文中に記載はありませんが、最後に付録として図面が付けられており、入口と正反対側に「オブジェ(位相彫刻)」と書かれています。(ただし、これが「位相-大地」であるかは不明です。)
『万国博美術展総目録 5 現代の躍動』富永惣一[ほか]編集:日本万国博覧会協会万国博美術館 【905/125/#】では、104ページに関根伸夫作の「空相」1969年を掲載していますが、「位相-大地」の掲載はありませんでした。
時間の都合上すべての資料をみることはできませんでしたが、主要な公式資料をみましたが掲載していませんでした。
参考:『大阪府立図書館蔵万国博覧会関係資料目録』 大阪府立図書館編集 大阪府立図書館 1971.3 【015/903/#】
ただ、ひとつ気になることがあります。『「位相-大地」の考古学 美術の考古学 第1部』では、68年に須磨離宮で共同作成した数名にアンケートをしていますが、吉田克朗・小清水漸・小清水貴子さんへのアンケートには「万博のときの再作成にはご参加されましたか」との設問があるものの、関根伸夫さんへのアンケートにはありません。これは、当然参加していたからかもわかりませんし、当然参加しなかったからかも知れません。同書の「位相-大地の考古学」篠雅廣の注釈に、「「位相-大地」は1970年の万国博美術展で再度制作されました。この時参加された吉田克朗氏によれば、龍谷大学ボート部の学生を作業スタッフにしたので、非常に早く出来たとのことです。また、1978年から京都市立芸術大学構想設計教室の非常勤講師であった小清水漸氏は、学生への課題として「位相-大地」を作らせましたが、彼らは1mほど掘っただけで挫折してしまったそうです。」とあります。ただし、吉田克朗さんは万博での再作成に参加されているようですが1999年に逝去されているようです。『美術手帖』第411号で「作家論=吉田克朗」の特集が組まれているようですが、当館での所蔵はなく大阪府立中央図書館のみ所蔵しています。[事例作成日:平成27年2月17日]
https://www.expo70-park.jp/cause/expo/mitsuigroup/
・・・あらためて、合掌。
《参考》山口勝弘「時空を回遊する想像的行為」
https://www.art-it.asia/u/admin_ed_feature/roxnb6ami7cqhagfqerv
大阪万博「三井グループ館の前の山口勝弘」1970
http://yamaguchikatsuhiro.musabi.ac.jp/tag/%E4%B8%89%E4%BA%95%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97/
1970年大阪に於てアジアで初めての〈万国博覧会〉が行なわれた。3月14日から9月13日までの半年で、64.218.770人もの人々がそこを訪れた。この観客動員数は大変なものである。しかし、残念ながら、この万博は、その後の現代美術の発展に余り影響を与えるまでには力が及ばなかったと思われる。西嶋憲生は、「日本政府が、過多のビデオ実験に補助金を出したにもかかわらず、明日の無い実験であった」とまで発言している(西嶋憲生「Histoire de la vidéo au Japon」、『Vidéo』、Artext(e)s、p.92)。〈万博〉は既に世界中で行なわれ、各国の芸術家を招き、大々的な計画への参加を依頼することも数多くあった。〈大阪万博〉の場合、日本においては前代未聞の、並外れた資金が投じられ、多数の前衛芸術家が動員された。山口勝弘の要約によると、その理由は二つある。「1つの理由は、大阪万博では、直接的な商品展示が禁じられたことである。従って25、芸術的な展示によるパビリオン間の競争が起こった。2つ目の理由は、第1の理由とも関係するのだが、わが国の工業技術社会のハードウエア面は、ほぼ世界的水準に達し、そこで、それらのテクノロジーの利用技術、つまり、ソフトウエアの開発に対する産業界の期待があった」(山口勝弘『ロボットアヴァンギャルド』、p.58)。その意味で、〈大阪万博〉は、60年代に明らかになり始めた傾向を結集したと言える。また、情報社会への道をも示した。そして、当時、科学や社会の様々な分野にコンピュータが普及し、大幅に利用されたことによって、コンピュータ・アートが生まれたと言うこともできる。そのような企画に参加したメンバーには、アーティストのみならず、建築家も多かった。ジョン・ケージ、ロバート・ラウシェンバーグとデーヴィド・チュドアによる〈EAT〉グループのインターメディア的な方法論の影響で、「モニュメント的な建築技術上の実験」が行なわれ、事務所的建築物より、表現的な建築物を作るという傾向が現われた。山口勝弘が言及しているように、〈大阪万博〉は「一種の映像博」であった(『ロボットアヴァンギャルド』、p.59)。〈太陽の塔〉内部の粟津潔による《マンダラマ》、東芝IHI館では泉真也による《グローバル・ヴィジョン》、またせんい館の松本俊夫による《スペース・プロジェクション・アコ》、などもあった。鉄鋼館では武満徹の音楽と、宇佐見圭司のレーザー光線のスペクタクルが発表されていた。山口勝弘は建築家、東隆光と伊原道夫と共に★三井グループ館のディレクションを担当した。全体のプロジェクトは《スペース・レヴュー》と名付けられ、館内の空間、つまりそこで行われるスペクタクルによって、館の建築は構成された。「三井パビリオンでは、建築自体とその内部でおこなわれる催しや展示を分けて考えず、その両面を一体化して、一貫した演出方針に沿って展開される連続した環境の集合体としてとらえられている。
《三井グループ館》
テーマ:創造の楽園/プロデューサー★山口勝弘/環境計画&東孝光
出展者:三井グループ万国博出展者会/設計者:環境計画&東孝光
http://www.moma.pref.kanagawa.jp/storage/museum/exhibitions/2005/yamaguchi060120/event01.html
・・・再制作も含めて、まさしく「伝説の作品」です。「三井グループ館」をいろいろ調べた結果、とうとう「位相-大地」らしきものが写っている写真を発見しました。そして、さらなる伝説へ。