珈琲物語(1) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・この年齢になって「珈琲が好きです」と、少しは自信を持って言えるようになりました。若いころから珈琲が好きでずいぶん飲んできましたが、味わうというよりガブ飲みに近い状態でした。幼少期は「牛乳」より「コーヒー牛乳(主にいかるが)」でしたから、風呂上がりの水分補給という感じで、珈琲そのものに興味をいだいたのは中学1年生。まだ木造校舎が残っている頃で、1階の一番奥まったところに「技術室」があり、その横にある「準備室」から、いつも良い薫りが漂ってきたのです。アマチュア無線部に在籍したこともあって、その薫りの元がMJB緑缶であることはすぐに知れました。

《いかるが牛乳》

http://www.ikarugamilk.co.jp/

いかが いかるがだけの味 やっぱり いかるが いかるが牛乳

 

 

《MJB》

https://mjb-coffee.co.jp/

1881Max Joseph Brandenstein (マックス)と共同経営者であるJohn C. Sigfried がサンフランシスコのカリフォルニア通りにてライスや紅茶、敷物(ござ:英語でmattingとなっている)などの輸入会社を設立。

1885Maxの弟Manfred Brandenstein(マニー)とAlfred AdelsdorferがWashington Manufacturing Companyを設立。コーヒー、紅茶、スパイスの輸入を始めると同時に事務所の2階でコーヒーの焙煎と包装を行う。

★MJBのブランドはこの頃から/マックス(Max Joseph Brandenstein)の頭文字縮めてMJB。当時サンフランシスコのコーヒー業界では、先発のフォルジャー(Forger)とヒルス(Hill's Brothers)があり、これらに割って入るため覚えやすい簡潔なブランド名が必要だったことからMJBというブランドを冠したと思われます。またヒルス家は「ピルグリム・ファーザーズ」の末裔である古い家柄の出でしたが、ブランデンシュタインは、ドイツ系ユダヤ人だったためあえて名字を表さなかったとも伝わっています。どちらにしてもブランデンシュタインという名字は発音しにくいためブランドネームとしてはそぐわなかったことでしょう。一族の名前の方も後にブランステン(Bransten)と改名しています。

 

・・・喫茶店に出入りするようになったのは高校生になってからで、砂糖とミルクは欠かせないという点では「珈琲牛乳」の延長線上です。「ウィンナー珈琲」を飲む楽しさを覚えたり、さらに友達や彼女との付き合いで様々な「喫茶店」に出入りするようにもなりました。京都★イノダ、大阪ではもっぱらJAZZ喫茶でした。たまの贅沢は珈琲専門店でドリップの「サントス」なんかを気取ったり、大学の下宿生活でようやく自分で珈琲を淹れるようになりました。しかし、なかなか美味しい珈琲を淹れることはできません。

 

《イノダコーヒー》

604-8118 京都市中京区堺町通り三条下ル道祐町140番地/075-241-0915

https://www.inoda-coffee.co.jp/

当社は創業1940年、会社設立1958年という歴史のある会社です。

《茜屋珈琲店》

650-0012兵庫県神戸市中央区北長狭通1-9-4/078-331-8884

https://www.akaneyakobe.com/

 

・・・「心斎橋店」がなくなってからは、「三宮店」に時々お邪魔します。就職して職場では「インスタントコーヒー」を日に10杯近く飲みましたから、やっぱりガブ飲みです。しかも砂糖とミルク入り、大人になっても「珈琲牛乳」から卒業できていなかったわけです。喫煙歴は長く、ある手術をきっかけにピタッと止めたことと、加齢の影響からか味覚と食事の量が変化してきました。ある日、本当に気紛れに「砂糖抜き」で飲んでみましたら、それ以来「砂糖入り」が甘くて甘くて飲めなくなってしまいました。「コーヒーフレッシュ(メロディアンミニ)」を入れていましたが、砂糖抜きにしてからは「牛乳」を入れるようになりました。やっぱり「珈琲牛乳」かなあ、

 

 

《メロディアン》

581-0833八尾市旭ヶ丘1丁目33番地/072-999-3250

https://www.melodian.co.jp/

メロディアンは昭和33年の創業以来、"新鮮さの長期保存"という命題に一貫して取り組んで参りました。ポーションタイプのコーヒーフレッシュはその代表的な成果であり、当社はこの分野の先駆者であると同時に、トップメーカーでもあります。「いつも先手のメロディアン」を合言葉に、差別化戦略で常に一歩先をゆく企業姿勢。今ではポーションタイプだけではなく、新しい分野の開発を次々に行い、先駆者としてのオリジナリティを一段と高めています。「おいしさは、しあわせ」をスローガンに、食文化を通じて人々に感動を与える企業になりたい。この姿勢が続く限り、メロディアンの可能性は大きく広がっていきます。

 

《丸福珈琲店》

542-0074大阪市中央区千日前1-9-1/06-6211-1547

http://marufukucoffeeten.com/index.php

大阪の中心地である “ミナミ” の歴史とともに歩んできた「丸福珈琲店」。重ねた年月だけ、後世に語り継ぐべきエピソードがあります。

http://marufukucoffeeten.com/kinen80/episode.html

 

・・・「カフェ・オ・レ」はフランス語でレはミルク(牛乳)の意味、通常コーヒー50%:ミルク50%。「カフェ・ラテ」はイタリア語の造語で、ラテはイタリア語ラッテからミルク(牛乳)の意味、通常コーヒー20%:ミルク80%、カフェラテのミルクは泡が立たないよう温めたミルクを使用します。どちらもコーヒーにミルク(牛乳)を入れた(混ぜた)もので、日本語に直訳すると「ミルク入りコーヒー」または「コーヒー牛乳」となります。しかし大きな違いはベースになるコーヒーが違います。カフェオレが普通のドリップ・コーヒーがベースなのに対し、カフェラテは高い圧力をかけてすばやく抽出した「エスプレッソ」がベースです。カプチーノもイタリア発でエスプレッソ+ミルクと言うところは同じですが、ミルクの量と質が違います。カプチーノはエスプレッソ3に対してスチームミルク3、フォームミルク(蒸気で泡立てた牛乳)4の割合。つまりミルクがあわ立っているのがカプチーノです。

 

 

《参考》スズキ・カプチーノ

1991年11月発売。軽自動車の枠で、フロントエンジン・リアドライブ(FR)を採用した軽スポーツカーです。1989年の東京モーターショーに参考出品し、当時の鈴木修社長(後に会長)が「発売する」と表明していた。名前の由来はあのカプチーノです。「小さなカップに入ったちょっとクセのあるお洒落な飲物と、この小さなオープンカーのイメージを重ねた」とのこと。(スズキHP 車名の由来より)カプチーノの特徴と言えば、4つのスタイルが楽しめるルーフです。「フルオープン」、「ハードトップ」、「タルガトップ」、「Tトップ」の4種類から天気や気分に合わせて選択可能。ルーフのパーツは取り外してトランクに収納することができます。1998年10月、バブル崩壊に伴うスペシャルティカー市場の低迷と軽自動車の規格変更による車種再編に伴い、セルボモードとともに車種整理の対象となり、生産・販売終了。生産・販売期間が7年間、総生産台数は26,583台であった。惜しまれつつ生産終了となったスズキの軽オープンスポーツカー「カプチーノ」が、約20年ぶりに★復活するという情報が出ています。

 

・・・少し脱線しましたが、アートはもちろんのこと音楽そして自動車にまで、珈琲は人生を彩ってくれています。そして最近の珈琲情報としては、

 

《カルディ》

https://www.kaldi.co.jp/

1977東京都世田谷区代田にて、コーヒー豆を喫茶店に卸す焙煎業としてキャメル珈琲を設立させる。

1986小売店舗の運営を開始する。様々な食材が所狭しと並び、商品を眺めているだけで好奇心が沸いてくるような活気のある店をめざし、下高井戸駅前の小さな駅前市場の一角に記念すべきカルディコーヒーファーム第1号店をオープン。

★カルディ伝説

https://www.kaldi.co.jp/corporate/legendofkaldi/

【井上リエ】

http://pagiru.jugem.jp/

 

 

《ホノルルコーヒー》

http://honolulucoffee.co.jp/

ハワイ州コナ地区でしか収穫できない選び抜かれたコーヒー豆を熟練の技を持つローストマスターが腕によりを掛けて焙煎した最高峰のコナコーヒー、トラディショナル(伝統的)なパンケーキ、ALOHA Smile(笑顔)が優しいナチュラルなスタッフのおもてなし、そして日本にいながらハワイに滞在しているような心が落ち着くヴィンテージアロハな空間、その全てが、HONOLULU COFFEEの価値であり、Hawaiian Coffee Placeの証です。

 

・・・たまに無性に飲みたくなるんです「ハワイコナ」、独特の風味でクセになります(なってます)。そして最新が、

 

《銀座カフェパウリスタ》日東珈琲株式会社

104-0061東京都中央区銀座8-9長崎センタービル1F/03-3572-6160

http://www.paulista.co.jp/

明治43年にブラジル共和国サンパウロ州政府よりコーヒー豆の継続的供与と東洋に於ける一手販売権を受け、ブラジル珈琲発売所カフェーパウリスタとして創業。大正2年10月新たに株式会社カフェーパウリスタ(CAFE PAULISTA)として設立。戦時中に当局の指示で現社名に改め、現在に至る。

★作品の中の「パウリスタ」

http://www.paulista.co.jp/paulista/works.html

カフェーパウリスタの開業は明治末期の1911年で、100年以上の歴史を持ち、現存する日本最古の喫茶店です。ブラジル・サンパウロ州から東洋における★サントス豆の宣伝販売を一手に受けた初代社長がオープンした際に、ポルトガル語でコーヒーの意味の「カフェー」、サンパウロっ子という意味の「パウリスタ」をつなげて「カフェーパウリスタ」と命名したのです。大正時代になると、カフェーパウリスタは文化活動の一拠点となり、小泉信三、久保田万太郎、佐藤春夫などの慶應大学の青年文士の溜まり場でした。そして、彼らがカフェーパウリスタにブラジルコーヒーを飲みに行くことを★「銀ブラ」と云い始めたのです。このことは作家の佐藤春夫『詩文半世紀』、評論家の安藤更生『銀座細見』などに、「銀ブラ」という言葉が、慶應の学生に使われていたと紹介していることでもわかります。現在でも、慶應の学生のいた時代のカフェーの趣は、緑の壁紙や鏡に残されているのです。

 

 

・・・道頓堀にも「パウリスタ」がありました。

 

★「森のコーヒー」

http://www.paulista.co.jp/fc/

揺れる木々、やさしい木もれ日。そして落ち葉のつもった大地。コーヒー樹木は他の木々とともにすくすくと枝を伸ばしている。「サント・アントニオ農園」は豊かな森そのものだった。農園の持ち主はジョン・ネット氏。1980年代から農薬・化学肥料不使用によるコーヒーづくりに取り組んできた先駆者のひとりだ。ブラジルの大規模農園は、熱帯雨林を伐採し、そこにコーヒー樹木だけを植える。収穫量を増やすために生産を機械化し、農薬や化学肥料を使う。しかしジョン氏は、農薬はおろか肥料も一切使わないジャングルのようなコーヒー畑で高品質の豆をつくる。まるで奇跡の技だ。「奇跡を行うのは、土だよ。植物の食べものは、良い土だ」ジョン氏さんが教えてくれた。コーヒー樹木はもともと日陰を好む。単作では、直射日光を浴びて木々は病虫害にかかりやすくなり、さらに農薬を使うことになるのだという。 一方、森では日陰樹がコーヒー樹木や土の微生物を守ってくれる。「化学肥料で木々のおなかをいっぱいにしないこと。すると気は根を深く張り、強く育つ」ジョン氏は言う、「森はコーヒーのカーザ(家)だ」と。ジョン氏のコーヒーは、ブラジルコーヒー本来の魅力に満ちていた。自然な甘み、明るい酸味、そして深い味わい…。安全・安心でおいしい農薬不使用のコーヒー、これこそ私が探していたものだ! さっそく日本に帰って販売すると、瞬く間に人気が出た。こうしてパウリスタの看板商品★「森のコーヒー」が誕生した。

 

・・・まだ届いてないので、まさしく「令和の珈琲」でもあります。