・・・「階段」の制作にあたって、高校「美術部」時代の思い出としての「非常階段」をクローズアップしましたが、青春時代を飾った重要なアイテムは「ギター」でした。時は「フォークソング」ブーム、「学生運動」も過激化の一途をたどっていました。社会や大人を強く意識するようになり、ボブ・ディランをはじめとする「プロテスト・ソング」に心動かされた時代です。ちょっと長くなりますが、久しぶりに振り返り心に刻みたいと思います。
《参考》2017.9.22ディスカバー・ミュージックより
プロテスト・ソング特集:人種差別や抑圧、偏見に立ち向かい、不正の告発や反戦のために歌われた歌の歴史とは?
https://www.udiscovermusic.jp/features/power-of-protest-songs
“I thought that if you had an acoustic guitar,
Then it meant that you were a protest singer”
“アコースティック・ギターを手にしてる者は、プロテスト・ソング歌手なのだと思ってた”とモリッシーが歌っていたのは、ザ・スミスの曲「Shakespeare’s Sister」だ。この曲が発表された1985年当時、それはさほど珍しい観点ではなかったかもしれない。プロテスト・シンガーといえばアコギを爪弾くフォーク歌手のことをさすというのは、長い年月をかけ、ポピュラー・カルチャーの中で強固な概念となっていた。その起源は、★ボブ・ディランが「The Times They Are A-Changin’(邦題:時代は変わる)」を始めとする数々の曲を大衆に届け、その後、彼の真似をした歌い手が数え切れないほど誕生し、道義的正しさについて自らの曲を通じて声を上げるようになった、1960年代に遡る。だがそれは、何も新しいことではなかった。自分達の置かれた状況に対し不満を表現する手段として、人は有史以来、音楽を用いてきた。抗議の歌に関する記録は、古くは中世イングランドから残っている。(略)
奴隷は踊ることを禁じられていた一方、歌うことは許されていたからだ。とはいえ、もちろん彼らの主人に批判的でない限りにおいてではあったが。奴隷達は「Swing Low, Sweet Chariot」や「Steal Away」といった歌を、奴隷逃亡支援組織を通じて脱走する際の隠れたメッセージとして使用。私達が今考えるプロテスト・ソングとは異なるかもしれないが、こういった集団的な歌には力があるということが、やがて★ジョーン・バエズの「We Shall Overcome(邦題:勝利を我らに)」や、★ジョン・レノンの「Give Peace A Chance(邦題:平和を我等に)」といった曲が抗議デモ行進の際に歌われるようになった時、世界中に知れ渡ることとなる。(略)
南部の木々は奇妙な果実を付ける/葉は血に染まり、根元には血が滴る
南の風に揺れる黒い体/ポプラの木にぶら下がっている奇妙な果実
★ビリー・ホリデイがニューヨークのクラブに出演し始めた当初、セットリストの最後は常にこの歌で締めくくられていた(この後に歌える曲などなかったのだ)。照明を落とした会場は闇に沈み、一本のスポットライトだけが彼女の顔を照らす。そして彼女がこの曲を歌っている間、ウェイター達は給仕を中断するのだった。その歌唱力とメッセージの力は、聴衆を捉えて離さなかった。そしてビリー・ホリデイとエイベル・ミーアポルの死後もずっと、この曲は生き続けることになる。アトランティック・レコードの創設者で有名プロデューサーのアーメット・アーティガンは、同曲を「宣戦布告……公民権運動の始まりだ」と表現していた。(略)
★ウディ・ガスリーが1940年に書いたある曲は、レコーディングされないまま4年間寝かされていたが、その後、彼の作品中で最も有名な、そして最も長く歌い継がれる曲となった。その「This Land Is Your Land(邦題:我が祖国)」は、アーヴィング・バーリンの「God Bless America」などの歌に代表されるような、戦時中の自国優位主義とウディ・ガスリーが認識していたものに対し、批判を込めたアンサー・ソングとして書かれたものだ。「ここは皆の世界なんだと証明する歌を、私は歌いたくてたまらない」と彼は記している。「向こう側、つまり大金が動く側で仕事を得ようと思えば、私には出来る。そして自分の本音を込めた歌を歌うのを辞め、人々を更に鞭打つような歌を、人々をもっとからかうような歌を、自分にはまるで判断力がないと人々に思わせるような歌を、そんな歌って毎週いくばくかの金を稼ぐことだって出来る。だが私はもうずっと前に、心に決めたのだ。そんな曲を歌うくらいなら、飢えて死んだ方がましだと」。(略)
ジョン・レノンは1980年、プレイボーイ誌のインタビューで、「何年もの間ずっと、ビートルズのツアー中は、ベトナムのことや戦争について尋ねられても何も言わないようにと、(マネージャーのブライアン・)エプスタインに止められていたんだ」と、バンドのマネージャーについて語っていた。「だけどあるツアーで、僕はこう言ったんだ。『これからは、戦争に関する質問には答えるつもりだよ。それを無視することは、僕らには出来ない』ってね。僕はどうしても、ビートルズに何か発言させたかったんだ」。そのザ・ビートルズの発言とは、彼らがベトナム戦争には賛同していないということであった。彼らの曲は時を経るにつれ、より公然と自分達の意見を反映したものになっていくが、その最初となったのが、若い世代にとってスローガン的な役割を果たした「All You Need Is Love」であった。そして、1968年のシングル「Revolution」では、時事問題に対する彼らの立場を直接訴えている。ジョン・レノンはその1年後、プラスティック・オノ・バンドのシングル「Give Peace A Chance(邦題:平和を我等に)」をリリース。これはベトナム反戦運動のデモ行進で歌われるよう意図してジョン・レノンが書いた、あからさまなプロテスト・ソングであった。「僕は心の奥底で、密かに「We Shall Overcome」の後を引き継ぐような曲を書きたいと思っていたんだ」と、ジョン・レノンは後に振り返っている。「なぜかは分からないんだけどね。みんながいつもあの曲を歌っていて、それで思ったんだよ、『今の人々を代弁する曲を、どうして誰か書かないんだろう? それこそ僕のやるべきことだ、僕らのやるべき仕事だ』とね」。(略)
人々が政治について、再び盛んに語るようになったこの時代、プロテスト・ソングの力がもう一度、新たに活用され始めている。ピート・シーガーやジョン・レノンから渡されたバトンを受け取り、路上で合唱されるような新しい賛歌を生み出すアーティストが今後出てくるかどうか、現時点では不明だ。しかし、これまでずっと常にそうであったように、人々の関心を高め、共通の目標を分かち合う手段として、音楽が用いられることは確実視されている。「プロテスト音楽の核心は、世界の軸を動かすのではなく、人々の意見や観点を変えるところにある」と、著書『33 Revolutions Per Minute』の中でリンスキーは説明する。「そして、自分達が生きている時代について何かを語り、時には自らの発言が、別の時代のある瞬間、別の誰かに訴えかけることもあるということを知るところにあるのだ」と。その時にこそ、サム・クックが歌う「A Change Is Gonna Come」の予言が現実となり、変化が訪れるのである。
・・・長いので途中端おりましたが、なかなかいい文章なので、ぜひ全文読んでみてください。高校・大学時代を通してずいぶんギターを弾いてきましたが、今ではホコリをかぶってしまっています。そして、
《SING/シング(英題:Sing)》
http://www.nbcuni.co.jp/movie/sp/sing/
2016年に公開されたアメリカ合衆国の3Dコンピュータアニメーション・コメディ映画。イルミネーション・エンターテインメント製作。日本では2017年3月17日より公開された。
・・・孫たちのおかげで、楽しいアニメ映画が遠慮なく何度も観れて、嬉しいお爺ちゃんなのです。これまで良く観ていたのは「カーズ」「トイ・ストーリー」、もちろんその他いろいろありますが、今もっとも熱いのが「シング」、声優陣がユニークで歌が素晴らしい。いっしょに観ていた孫娘が、ヤマアラシの「アッシュ」にはまって、ギターが欲しいとおねだりしています(もうすぐお誕生日)。
・・・アッシュの弾いているギターは「Archer SS12F Electric Guitar Transparent Red」らしい。そして、歌ってギターをかき鳴らすシーンは「バックトゥザフューチャー」を彷彿とさせる。
《映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」》
http://www.tapthepop.net/extra/67783
指を怪我したギタリストに代わってマーティ・マクフライが、ダンスパーティーの会場でチャック・ベリーの「ジョニー・B・グッド」を歌いながら、赤いギブソン「ES-345TDC」をかき鳴らす。
・・・このブログを書いているだけで、心が躍りだす。たまらんなあ。