津堂城山古墳(1) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・ブログ「タテモノ」でも藤井寺市を紹介していますが、

 

《参考》「なかなかのまちなか藤井寺」

http://fujiidera-city-promotion.osaka.jp/

2019.3.8.藤井寺市シティプロモーションビデオ完成&公開です!

~変わらないもの 変わっていくもの~

http://fujiidera-city-promotion.osaka.jp/promotion_video_2019

 

 

★「ハレマチビヨリvol.2」於:津堂城山古墳

2019年3月24日(日)10:00-15:00

https://www.city.fujiidera.lg.jp/soshiki/seisakukikaku/miryokusousei/oshirase/9023.html

FRAP(エフ・ラップ)は、藤井寺市の新しい魅力を生み出す取り組みです。正式名称は“FujiideraWrappingPromotion(フジイデラ・ラッピング・プロモーション)”。藤井寺で伝統を積み重ねてきた老舗と、個性豊かな感性で若者から人気を集めるお店・作家が手を取り合い、イベントの開催やコラボ商品の開発を実践。これまで藤井寺に無かった様々な新しい魅力を創り出し世の中に発信しています。

★大きな一歩を踏み出した小さな街「藤井寺」

https://frap-fujiidera.com/about

世界文化遺産登録への大きな一歩を踏み出した小さな古墳の街で 新しい魅力をつくりだすプロジェクト『FRAP:エフ・ラップ』が加速しています。伝統を積み重ねてきた老舗や、個性的なアイデアにあふれたお店、柔軟な発想でものづくりをおこなう作家がひとつになって活動をスタート。様々なお店や人が知恵やアイデアを共有してコラボ商品の開発をしたり、店舗の一部を使って作家の手作り雑貨を販売したり、さらに、お店と作家が一緒にイベントを開催することで今の藤井寺を発信したりと、古くからの歴史ある文化と、新たに育ってきた新しい感性とのこれまでなかった共存が街のいたるところでおこなわれるようになりました。

【寺フジコ】このたび新たにFRAPに参加した新キャラクター“古墳のフジコ”こと、寺フジコさんです。今後は藤井寺のいたる所に登場し、広報室長として街をもりあげてもらう予定です、どうぞよろしくお願いします。

好きなこと:街ぶら、歴史/得意なこと:楽しい事の受信と発信、手旗信号

 

・・・ということで、「寺フジコ」さんに会いに行ってきました。

 

《長尾街道》

https://www.city.fujiidera.lg.jp/kanko/spot/1473214236109.html

長尾街道は、堺市から柏原市を経て奈良県葛城市長尾へ至る街道で、江戸時代には和泉、河内、大和を結ぶ重要な街道でした。また、その道筋は、日本書紀の壬申の乱の記述にみられる「大津道」と推定されています。

★藤井寺市役所前「元禄十四年の道標」

ここより200m西にあった道標を移築。「右ハ ふじい寺 かうや よしの はせミち」「左ハ なら かふり山ミち」と刻まれている。

 

 

《参考》「古市街道」

http://www.pref.osaka.lg.jp/kenshi_kikaku/keikan-ustukushii/100kei-045.html

藤井寺市域は史跡や古墳が多く古代文化発祥の地とも言われ、古代天皇陵や渡来系氏族ゆかりの地名、寺院も多く「河内国府」も設置されていた。葛井寺は百済系氏族の一つ葛井氏の氏寺で7世紀に建立されたとされ、戦国時代の観音信仰の浸透期に西国霊場第5番札所とされた。この周辺は和泉の第4番槙尾寺とも結ばれていた巡礼街道沿いのまちなみで、又、平野から竹之内街道に繋がる★「古市街道」の一部も通り、街道集落として栄えていた。通りに残る白壁の蔵通りは、当時の面影を残し、歴史を感じさせる。

http://www.ne.jp/asahi/fudoki/fujiidera/06)bunkazai/4)kaido/mukashino-kaido.html

古市街道は、文字通り古市村(現羽曳野市)の竹内街道との交点を起点とする街道で、現藤井寺市域の野中村・藤井寺村・岡村・小山村・津堂村を通過して平野郷(現大阪市平野区)に向かい、さらに大坂の街に通じる道でした。藤井寺市域では、別名「大坂道」とも呼ばれていたようです。葛井寺や辛國神社、★善光寺・産土神社・専念寺のそばを通っているルートから見ても、近代以前の古市街道は、この地域のメイン通りであったことがわかります。現代に至って、大正年間に街道を横切って鉄道が開通すると、駅の横を通るこの街道は最も人通りの多い道となりました。時代が進むに連れてこの通りには商店が並び出し、やがて商店街の形態となっていきました。他方、公共施設を見ると、この街道沿いには、小学校・町役場・公民館・警察署(自治体警察)・郵便局などが並びました。葛井寺への参詣道でもあったこの街道は、鉄道利用者の集まる道となり、通勤・通学・買い物・公用等、多様な利用者が行き交うメインストリートとなったのです。

 

《小山善光寺》

583-0033藤井寺市小山1-16-39/072-954-2951

https://www.city.fujiidera.lg.jp/kanko/spot/kankospotall/1459305787022.html

浄土宗知恩院派に属する寺で、織田信長の河内攻めの時に一旦焼失、慶長年間(1596~1614)になって現在の位置に再建されました。ここには有名な「本田善光の伝説」が伝わっています。推古天皇の御代、本田善光が信州への帰途に拾った阿弥陀如来像を背負って小山の里の小さな堂に宿泊した際、住職がその仏像を所望しましたが聞き入れられませんでした。そこで、三日三晩念仏を唱えたところ二体になり、その一体が善光寺、もう一体が長野の善光寺の本尊となったと語り伝えられ、「元善光寺」「日本最初の善光寺」として知られています。本尊の一光三尊仏は秘仏で、毎年4月24日にご開帳があります。(藤井寺市観光協会HPより)

 

 

《小山の常夜燈》

藤井寺市報によると元は天王寺区空堀町にあったものが後に小山善光寺向かいの街道脇に移され、明治24年に現在の場所に移築されたといわれている。正面に「大神宮」、「文政十三年」とあり、伊勢神宮への御蔭参りの最大のピークであった時期に製作された。

 

《産土神社》

583-0033藤井寺市小山4-7-9

http://www.fujiidera-kanko.info/volunteer/modelkosu2.html

室町時代に神宮寺として再建され、祭神を牛頭天王としていましたが、現在は産土神社として素戔鳴命と櫛稲田姫を祀っています。本殿は一間社流造で、主要部分は創建当時の状態をよく留めており、藤井寺市内で最古級の神社建築として貴重です。絵馬も必見です。

 

《清円寺》

583-0033藤井寺市小山4-7-12/072-955-3362

1693年(元禄5)「寺社数改帳」に志紀郡小山村の守護神、小山牛頭天王と隣接するお寺天王山「清圓寺」が記載され、神社神紋、清圓寺仏紋も同じく五仏に唐花と成っております。

 

 

《津堂城山古墳》

http://academic3.plala.or.jp/fujinan/fujisi/kohungun/kofun/siroyama.htm

4世紀後半に、古市古墳群の中で最初に造られた前方後円墳です。この古墳の位置は、羽曳野丘陵の低位段丘上にあり、古市古墳群の中では最も北側にある古墳です。墳丘の長さ208m、前方部の幅117m、後円部の直径128mで、くびれの部分には造出しと呼ばれる出っ張りがあります。 「城山」という名は、中世の室町時代にこの古墳が城として利用されたことによると考えられますが、城山とい名の古墳は全国にいくつもあり、区別するために所在地の地区名(旧村名)である「津堂」の名を付けて呼んでいます。

 

 

★史跡城山古墳ガイダンス棟「まほらしろやま」

https://www.city.fujiidera.lg.jp/rekishikanko/bunkazaishisetsu/1387869484942.html

津堂城山古墳は、4世紀末に古市古墳群の中で最初につくられた墳丘長208メートルをはかる大型の前方後円墳です。「まほらしろやま」では、出土した埴輪や土器を展示し、イラストや写真でわかりやすく津堂城山古墳を解説しています。また、古墳の周囲には花しょうぶ園や草花園があり、四季折々の花を楽しむことができますので、お越しの際は、ぜひ散策してください。

 

・・・それでは「ハレマチビヨリ」へ。