・・・「なにわ叢書」がおもしろそうなので、何冊か注文しました。またまた「積読」がタワー状態です。さて、
《参考》「叢書(そうしょ)」
要は、シリーズのこと。「双書」とも書く。①多くの書物を集めてまとめたもの。②出版社が同じ形式・体裁で編集し、継続的に刊行する一群の書物。シリーズ。ちなみに、叢書の「叢」とは★「くさむら」とも言う。①草が群がり生えている所。②群がり集まる。多くのものの集まり。
・・・「くさむら」「道草」、そして何事も調べて「納得」です。
・・・山沢栄子さんの本を読んでいると、いろいろなカメラや機具の名前が登場します。
《ボックス・カメラ》(box camera)
機構の簡単な★箱型のカメラ。多くは単玉レンズで固定焦点、シャッターや絞りも簡単なもの。
・・・今回の玉手箱プロジェクト制作にピッタリです。この機会にいろいろ調べてみました。
《カメラ=写真ではない》2018.8.23ライフ「データのじかん」より
★意外と知らないカメラのはじまり、そして写真のはじまり。
https://data.wingarc.com/photo-and-camera-11494
カメラといえば、いまでこそ「写真を撮る機械」と思われていますが、写真とカメラは別々に進化してきた技術です。開発されたのはカメラの方が古く、写真技術は近世になってから発展しました。カメラの基本構造である「箱のなかに風景を投影する」という★ピンホールの原理は、実は古代ギリシャや中国ではよく知られていました。その原理は、窓のない暗い部屋の壁に1点の小さな穴(ピンホール)を開けて光を集め、その光線を反対側の壁に投影すると、外の風景がさかさまになって写るというものです。(以下略)
《参考》スマホで写せる★ピンホールカメラ組み立てキット『暗箱:ANBAKO』
https://www.photohouse.co.jp/news/20170422/
《写真乾板》(photographic plate)
http://www.kitamura.jp/photo/tanekiyo/2013/ta138.html
写真術で用いられた感光材料の一種で、写真乳剤(臭化カリウムの溶液と硝酸銀の溶液をゼラチンに加えてできる、光に感光する物質)を無色透明のガラス板に塗布したものである。ガラス乾板(がらすかんぱん)あるいは単に乾板(かんぱん)と呼ばれる場合も多い。
★【伊藤悠吾】(1991~)
愛知県津島市出身。「イトウ寫真舘」4代目長男として生まれる。上智大学経済学部経営学科を卒業後ロンドン芸術大学大学院写真学科に進学。卒業後、現在は東アジアを中心に【ダゲレオタイプ】【湿板コロディオンプロセス】【乾板コロディオンプロセス】など写真創成期の写真技法を用い活動している。レトロ、懐古、好古といった観点ではなく、“Digital Photography”の時代になった今だからこそ認識できるようになったこれら古典写真技法の持つ新たな側面を“Physical Photography”と名付け、その周知を目的とした撮影・活動をしている。
★《参考》「チェキ」フィルムをクラシックカメラで使える?
http://diary.awane-photo.com/2015/150602.htm
・・・機会があれば、ぜひチャレンジしてみたいものです。
《参考》「明治日本の産業革命遺産」より
http://www.japansmeijiindustrialrevolution.com/documentation/recoveryofdryplates.html
新日鐵住金㈱八幡製鐵所(2015年世界文化遺産登録)には、1897年、官営製鐵所開庁以来、製鐵所建設の様子、高炉など個別工場の建設工事や、竣工時の様子、また、製鐵所を訪れた国内外の要人たち等を撮影した★ガラス乾板(ガラス上に感光液などを入れた乳化剤を塗布して撮影した、現在のネガフイルムに相当するもの)が約5300枚残っています。ガラス乾板の寸法は、10inch×12inch(254mm×305mm)で、情報量はとても大きく、実に数億画素もあります。今回、これらガラス乾板に撮影された映像を最新の技術(技術的詳細は、隣のタブレットをご参照ください)を用いて、すべて高解像度のデジタル情報にすることができました。八幡製鐵所にはガラス乾板のほか、当時の図面や古文書が温度、湿度を厳格に管理された史料室に保管されていますが、これらもデジタル化され、後世に貴重な情報を残すことが可能となっています。
・・・さて、私が買ってもらった最初のカメラは、
《フジペット》
★1957年(昭和32)に、フジフィルムが自社のフィルム販売拡張を計る為、今までカメラを使ったことがない人にでも簡単に扱えるというコンセプトで発売した、初心者向けブローニー判フィルム使用の低価格カメラです。デザインは東京芸術大学教授・田中芳郎氏です。その頃はデザインの専門家がカメラをデザインするということは珍しいことだったようです。当時の定価は1,950円で、ボディカラーは“赤・青・緑・橙・黒”、5色のカラーがありました。レンズはシングルメニスカス70mmF11固定焦点で、シャッター速度は1/50秒単速、★お天気マークで絞りを変える(絞り値はF11、F16、F22に対応)という、シンプルな操作のカメラで、撮影の際にはレンズ鏡胴の脇の★左右のレバーを順に押すだけという非常に簡単な操作とプラスチック製の軽量ボディが初心者に広く受け入れられ、なんと100万台を超えるという当時としては記録的大ヒットとなったことでも有名です。発売当初は1種類だったフジペットも、販売が続くにつれ2種類のバージョンが追加されます。35mmフィルムを使用する「フジペット35」、そしてセレン光露出計を装備した「フジペットEE」。どれも大変個性的なデザインをしているカメラです。
・・・2アクション操作のため、被写体の人物がシャッターを押したと思って動いてしまうこともあり、子ども心に頭の痛いカメラでもありました。当時父が使っていたカメラは「二眼レフ」で、憧れていました。続いて買ってもらったのが、「オリンパスペン」です。
《オリンパス・ペン》(Olympus Pen )
★1959年にハーフサイズカメラとして発売され、その後に派生機種・後継機種が発売されてシリーズ化された。後年には派生シリーズとして一眼レフカメラの「オリンパス・ペンF」シリーズが世に出ている。ペン・シリーズは普及型の「ペンEE3」が1986年まで生産され、長くオリンパスの大衆カメラ需要を担った。さらに2009年には、本名称を冠したデジタルカメラのシリーズも発売している。デジタルカメラ版は厳密にはフィルムカメラ版の派生・後継機種ではないが、フィルム版旧ペンシリーズと同コンセプトの元に、同シリーズを引き継いでいる。2012年現在、現行の機種はデジタルカメラのシリーズのみとなり、フィルムカメラのシリーズは販売終了となっている。
・・・その後は、しばらくカメラから離れていたので、記憶に残っていません。大人になってからは「ビデオ」の方に浮気して、中年になってから「一眼レフ」カメラへ。そして、近年はもっぱら「デジカメ」、進化が凄まじくもう10台以上買い換えています。それでは、玉手箱プロジェクト作品「カメラ」を紹介します。