・・・またまた主題派メンバーがグループ展に出品、久しぶりに北野田「東文化会館」へ。
《東文化会館/文化ホール》
599-8123堺市東区北野田1084-136/072-230-0134
《東文化会館/生涯学習施設》
599-8123堺市東区北野田1077-301アミナス北野田3階/072-234-5691
https://www.sakai-bunshin.com/facilities/east/about/
http://www.city.sakai.lg.jp/yoyakuanai/bunrui/bunka/hallkaikan/higasibunnkakaikan/
東文化会館は、生涯学習施設が平成17年4月8日、北野田駅前の「アミナス北野田」内に、文化ホールが平成19年4月29日に「ベルヒル北野田」内にオープンしました。市民の文化活動や交流の拠点として、また優れた文化・芸術に親しんでいただく場として充実した設備を整えています。
【ひがしアートフェスタ】
http://www.city.sakai.lg.jp/higashi/machizukuri/machizukuri/h30/H30higashiartfesta.html
●チャレンジアート作品展
平成30年12月7日(金)~11日(火)
制作する方と観賞する方がともに身近でアートを楽しめるイベントを開催します。区民の皆さんがチャレンジアートで作成した作品と各講座の講師を担当された講師作品を展示し、12月9日(日曜)には会場で気軽に参加できる体験教室も開催します。7月28日、8月5日に開催したチャレンジアートの下記講座で、区民の皆さんが「森」をテーマに作成した作品を展示します。森の仲間たち/タペストリー/森の仲間たちのお皿/字で森を表現しよう/カッティングボード/葉っぱのお皿とタンブラー
http://www.city.sakai.lg.jp/higashi/machizukuri/machizukuri/h30/h30_art_0728_29.html
・・・素晴らしい取り組み、そして作品に感激しました。
★アートひがし作品展(同時開催)
アートひがし主催の作品展です。アートひがしは東区で活躍する★堺美術協会会員を中心に構成された団体で、チャレンジアートの企画運営を行いました。今回の作品展では、チャレンジアートの講師作品も展示されます。日本画/洋画/工芸/書道/彫刻/写真
★堺市所蔵『福助人形展・第1期』
堺市立東文化会館・2階ロビー(アミナス北野田)
2018年10月~12月末迄
http://www.city.sakai.lg.jp/kanko/bunka/fukusuke/index.html
堺市が企業や各方面から寄贈され所蔵している福助人形の数は、なんと千数百体。姿形は、江戸時代に作られたものから大正期を経て現代作家さんの福助人形まで、見事なまでに多種多様。その中から選りすぐりの福助さん達が、来秋までの1年間、4期に分けて展示される事になりました。1期3カ月毎にお人形が入れ替えられる予定ですので、現在の展示は2018年12月末迄となります。
【福助人形】
元々は、文化元年頃から江戸で流行した福の神の人形叶福助。願いを叶えるとして茶屋や遊女屋などで祀られた。叶福助のモデルとなった人物も実在したと言われており、松浦清★『甲子夜話』にも登場する。当時の浮世絵にも叶福助の有掛絵が描かれ、そこには「ふ」のつく縁起物と共に「睦まじう夫婦仲よく見る品は不老富貴に叶う福助」と書かれている。一説に、享和2年8月(1802年9月)に長寿で死去した摂津国西成郡安部里の佐太郎がモデルである。もともと身長2尺(約60㎝)足らずで大きな頭という特徴があり、近所の笑いものになることを憂いて他行を志し、東海道を下る途中、小田原で香具師にさそわれ、生活の途を得て、鎌倉雪の下で見せ物に出たところ、評判が良く、江戸両国の見せ物にだされた。江戸でも大評判で、(ふぐ)すけをもじった福助の名前を佐太郎に命じたところ、名前が福々しくて縁起がよいと見物は盛況であった。見物人のなかに旗本某の子がいて、両親に遊び相手に福助をとせがんで、旗本某は金30両で香具師から譲り受け、召し抱えた。それから旗本の家は幸運つづきであるのでおおいに寵愛され、旗本の世話で女中の「りさ」と結婚し、永井町で深草焼をはじめ、自分の容姿に模した像をこしらえ売りにだし、その人形が福助の死後に流行したという。加藤元悦の『我衣』には、「(文化元年・1804年)春の頃より叶福助といふ人形を張抜にせし物大に流行して、一枚絵そのほか種々の物に准へて持運び、後には撫牛の如く蒲団を幾枚も重ね、これを祭れば福祐を増すとて、小き宮に入れて売るものあり」とある。大田南畝の『一話一言』には、「享和三年(1803年)冬より、叶福助の人形流行」とある。
・・・少し抵抗のある表現や経緯もありますが、歴史的事実として真摯に受け止めつつ、正しく伝統文化を評価・継承していきたいものです。
《福助株式会社》
明治15年(1882)創業 足袋装束店「丸福」を創業(★堺区大町)
明治33年(1900)商標を「福助」とする
明治41年(1908)「一市一町一店主義」の販売基本方針決定
大正8年(1919)福助足袋株式会社設立(資本金150万円)
昭和3年(1928)大阪道頓堀に大広告塔建設
昭和7年(1932)〜靴下、シャツ、シューズなど業種拡張
昭和12年(1937)創業55周年「社歌」制定 (北原白秋 作詞・山田耕作 作曲)
昭和16年(1941)四国足袋工場新築竣工、足袋製造開始(香川県観音寺市)
昭和26年(1951)民間ラジオ放送にCM第一波流す
以下略
http://www.fukuske.com/contents/profile.html
《参考》「福助ミュージアム」
http://www.fukuske.com/contents/museum.html
《参考》『甲子夜話』(かっしやわ)/松浦史料博物館
(長崎県指定有形文化財)文政4~天保12 (1821-1841)
江戸時代後期に肥前国平戸藩第9代藩主の松浦清(号は静山)が隠居後の文政4年、師である儒学者林述斎(1768~1841)の勧めにより甲子の夜に稿を起こし、天保12年に死去するまでの20年間にわたり書きつづったものである。正篇100巻、続篇100巻、三篇78巻、合計278巻におよぶ膨大な著書となった。分野は当時の自然現象、社会風俗、人物、法制、宗教、外国関係、狐狸妖怪など広範囲におよんで記述されており、江戸時代を代表する情報誌、随筆集として賞賛されている。大塩平八郎の乱、シーボルト事件、鼠小僧の活動の様子なども詳細に記されており、田沼時代から化政文化期にかけての政治・経済・文化・風俗などを知る文献としても重視されている。
「鳴かないホトトギスを三人の天下人(織田信長・豊臣秀吉・徳川家康)がどうするのか」の詠み人知らずの有名な川柳も載せられている。平凡社東洋文庫より、直筆原稿に基づき、正篇6巻、続篇8巻、三篇6巻の計全20巻が刊行されている。
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/i05/i05_00804/index.html
・・・そう言えば、平野「塩伊」さんにも福助人形がありましたね。
547-0045大阪市平野区平野上町2-9-2/06-6791-3059
・・・よくよく見てみると、可愛いですね。