・・・TV「科捜研の女」をたまたま観てたら、先日お邪魔した「kitone」さんが登場しました。やっぱり、ロケに使用されるほどの素敵なお店だということですね、納得。
《木と根(kitone)》
600-8401京都市下京区燈籠町589-1F1/075-352-2428
《科捜研の女18》第6話「狙われた天才昆虫学者」
2018年11月29日(木) 20:00~20:54
昆虫学者の言う過去の罪とは何なのか?現場には、羽に記号が描かれた一匹の渡り蝶が…。蝶の鑑定でマリコが明かした衝撃の真相とは?昆虫学者の花森栄一(岩松了)が襲われ、意識不明の重体。花森は「6年前の罪を自白する」と話していたという。現場には羽に記号が描かれた★蝶の標本が・・・
・・・今回の物語に登場した「アサギマダラ」について、
《参考》「八ケ岳の東から」HPより
★驚異の飛翔2200キロ「アサギマダラの神秘」
http://home.r07.itscom.net/miyazaki/zakki/asagimadara.html
・・・さて「大山崎(山崎)」の話に戻りましょう。
《離宮八幡宮》
618-0071京都府乙訓郡大山崎町大山崎西谷21-1/075-956-0218
http://rikyuhachiman.org/
平安時代(794~)の始め、清和天皇が太陽が我が身に宿る夢を見、神のお告げをお聞きになりました。そのお告げとは国家鎮護のため、九州は宇佐八幡宮より八幡神を京へ御遷座せよというものでした。そこで清和天皇は僧の行教にそれを命じます。天皇の命を受け、八幡神を奉じて帰京した行教が山崎の津(当時淀川の航海のために設けられていた港)で夜の山(神降山)に霊光をみました。不思議に思いその地を少し掘ってみると岩間に清水が湧き出したのでここにご神体を鎮座し、社を創建することにしました。貞観元年(859)国家安康、国民平安を目的とする「石清水八幡宮」が建立されました。ここは嵯峨天皇の離宮である「河陽宮」の跡地であったため、後に社号が「離宮八幡宮」と改称されました。
貞観年間(859~)、時の神官が神示を受けて「長木」という搾油器を発明し荏胡麻(えごま)油の製油を始めました。当初は神社仏閣の燈明用油として奉納されていましたが次第に全国にこの業が広まり、離宮八幡宮は朝廷より「油祖」の名を賜りました。また、油座として離宮八幡宮は油の専売特許を持ち栄えてゆきます。
諸国の油商人は離宮八幡宮の許状無しには油を扱うことはできませんでした。
http://rikyuhachiman.org/
《参考》「油祖の像」/日本植物油協会HPより
http://www.oil.or.jp/trivia/shinbutsu.html
・・・まずは「天満宮」で「大山崎町」についての全体的な説明を聴かせていただき、宮司さんから貴重な古文書などの紹介がありました。
いざ、「待庵」へ。
《豊興山「妙喜禅庵」》(臨済宗大本山東福寺派)
618-0071京都府乙訓郡大山崎町字大山崎小字竜光56/075-956-0103
https://www.eonet.ne.jp/~myoukian-no2/index.html
★平成30年12月から平成31年4月頃まで、被災した待庵および書院の修復のため、拝観を一時停止いたします。
・・・おっと、滑り込みセーフでした。お寺の中もちろん「待庵」は撮影できませんので、様々な資料等を駆使しながら紹介します。
「妙喜庵」の寺号は、宋の大慧禅師の庵号からつけられたもので、連歌の祖である山崎宗鑑が住んでいたとの説があります。この庵には、なんと言っても国宝の茶室「待庵」があることにつきます。待庵は、日本最古の茶室建造物であると同時に、千利休が作ったと信じうる唯一の現存している茶室です。
《参考》四百年前社寺建物取調書「妙喜庵」京都府立総合資料館
http://www.pref.kyoto.jp/gbunsho/y_top/page/p244.html
《参考》「窓研究所」
窓研究所は、「窓は文明であり、文化である」の思想のもと、窓と建築に関する多角的な知見の収集・発信に取り組むとともに、研究助成、文化事業の助成・開催をおこ なっています。窓研究所の主要な事業である「窓学」は、2007年にYKKAPの主宰のもと開始された研究活動です。現在に至るまで、窓に特化した学際的な研究を、国内外の研究者・建築家とともに多角的に展開してまいりました。2013年には「窓学 」を専門に推進する部署として「窓研究所」が設置され、国内外での出版、展覧会や研究会の開催などを通して、広く研究成果を公表し、建築、都市、社会への貢献をめざしてまいりました。2018年7月には、窓学および建築文化に関する研究を公益的な観点からおこなうため、「一般財団法人窓研究所」として活動を開始いたしました。窓研究所は、研究活動および文化活動を振興するとともに、社会への啓発をおこな うことで、将来にわたって豊かな窓と建築文化の発展に寄与するべく、事業の充実をはかってまいります。
★茶室の窓/第1回 「妙喜庵待庵」
https://madoken.jp/culture/%E4%B8%89%E4%BA%95%E5%B6%BA%E5%BB%BA%E7%AF%89%E5%AE%B6/4125/
《参考》火学舎「北風茶房」
380-0913長野県長野市川合新田3456/026-221-1442
★国宝・待庵原寸大復元茶室製作の苦労話
http://www.muengama.com/taianhiwa/index.html
《参考》待庵「六本木ヒルズ」2018原寸再現/制作:ものつくり大学
http://mirutake.fc2web.com/18/521taian/taian.htm
・・・待庵「二畳隅炉」、利休が待庵を建てた時はまだ台目は確立しておらず、最初に隅炉、次に向切、そして台目切と発展させていきました。待庵は冬は隅炉の二畳、夏は襖を取り払い三畳で使っていたようです。そのような使いかたや、棚を釣った小壁の柱など後の台目茶室の原形というか、「小宇宙」が広がっていました。腹が立つほど、スゴイです。