平瀬露香(25) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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《蔵書印》「櫻蔭文庫」 

平瀬露香大阪屈指の富豪、両替商千草屋に生れる。名は春愛、通称亀之助、別号は桜蔭、三亥子、千種廼家など多数。艇応二年二十八歳で家督を相続、七代目となる。維新の後、平瀬一族を統合して設立した第三十二国立銀行の頭取となり、日本火災保険会社社長、大阪博物場初代場長等の役職に名を列するが、一切の実務につかず、生涯を風流韻事に送り、稀代の粋人、数寄者としてきこえた。禅、漢学、国学、和歌等諸学を修めたが、中で神道を重んじ、中教正にまでのぽった。能は金剛流、茶は官休庵、不昧の二流を極め、書画、俳諧、音曲等百芸に通じ、維新後急激に衰頬した各種芸能を擁詭、その伝統を支えた。明治四十一年没。平瀬家の蔵書は昭和十六年村口書房、中尾松泉堂を札元として売立られた。反町茂雄編『紙魚の昔がたり昭和篇』によれば、この時処分された蔵書には「千種文庫」なる小型の朱印が押されていた由であるが、未見。『にぎはひ草』元和二年刊

 

 

●国文学研究資料館 

https://www.nijl.ac.jp/

●佛教大学図書館 

https://bird.bukkyo-u.ac.jp/collections/?collection=tankakusousho

●早稲田大学図書館 

https://www.waseda.jp/library/

※「蔵書印譜私稿」/文:大江令子 

http://jairo.nii.ac.jp/0069/00037192

 

《蔵印》 

「砧青磁平水指/銘:青海波」蔵:金沢市立中村記念美術館 

920-0964石川県金沢市本多町3-2-29 /076-221-0751 

http://www.kanazawa-museum.jp/nakamura/

当館の歴史は、金沢で酒造業を営む実業家で茶人の中村栄俊氏(1908~1978)が創立した財団法人中村記念館に始まります。氏は1943年(昭和18)表千家流の茶道に入門、茶道具の収集を始めました。同20年の敗戦に痛手を受けた氏は、戦後の日本は文化国家として繁栄していかなければならない、そのために金沢に美術館を作ろうと志を立て、それから精力的な収集が始まり、同40年、「美術品は一個人のものではなく国民の宝である」という信念のもと、収集した美術品を寄贈して財団を設立、中村家住宅を展示棟として現在地に移築・改装、同41年5月、中村記念館が開館しました。その後、同50年7月、所蔵品が金沢市に寄贈され、金沢市立中村記念美術館として再発足、平成元年11月、市制百周年を記念して新館が開館しました。 

●中国では洗と呼ばれる盥形の容器で、日本に伝世してから水指に見立てられたものである。盥形の胴の中程と裾に浮帯が巡り、口縁は6箇所に刻みが入り、刻みを境に6弧が連続する輪花形に成形されている。このような器形は世界的に見ても砧青磁では唯一のもので希少価値が高い。釉色は砧青磁独特の翠青色に少し沈みが加わり、深い発色を見せ、光沢は柔らかく潤いがある。器形の浮帯に釉が厚くたまり、口縁では薄く、釉の濃淡の変化も見所となっている。口縁の輪花形に合わせた黒漆塗の蓋が付き、蓋表に「青海波」の文字が金蒔絵で表してあり、内箱蓋裏に「たらい之水さし/蓋昔ノもく付/(花押)」という茶人の千宗旦(1578~1658)の箱書がある。また、内箱蓋裏に大阪の実業家で茶道具の 収集家として著名な平瀬露香★蔵印がある。昭和23年(1948)「青井戸茶碗 銘 雲井」とともに神戸の菊正宗醸造元嘉納家から出て金沢の中村家へ移り、その年から今年はちょうど60年後にあたっている。砧青磁の名作として、また、金沢の近代実業家の優れた茶道具収集の歴史を伝える名品として文化財的価値が認められる。 

 

《鑑蔵印》「集散常相願販同好」 

集散は常規なり願わくば同好に頒たん=コレクションが集まりやがて散っていくのは世の常である。だからこれらが好きな人のところに頒かたれることを願う。

 

 

《蔵印》 

「砧青磁平水指/銘:青海波」蔵:金沢市立中村記念美術館 

920-0964石川県金沢市本多町3-2-29 /076-221-0751 

http://www.kanazawa-museum.jp/nakamura/

当館の歴史は、金沢で酒造業を営む実業家で茶人の中村栄俊氏(1908~1978)が創立した財団法人中村記念館に始まります。氏は1943年(昭和18)表千家流の茶道に入門、茶道具の収集を始めました。同20年の敗戦に痛手を受けた氏は、戦後の日本は文化国家として繁栄していかなければならない、そのために金沢に美術館を作ろうと志を立て、それから精力的な収集が始まり、同40年、「美術品は一個人のものではなく国民の宝である」という信念のもと、収集した美術品を寄贈して財団を設立、中村家住宅を展示棟として現在地に移築・改装、同41年5月、中村記念館が開館しました。その後、同50年7月、所蔵品が金沢市に寄贈され、金沢市立中村記念美術館として再発足、平成元年11月、市制百周年を記念して新館が開館しました。 

●中国では洗と呼ばれる盥形の容器で、日本に伝世してから水指に見立てられたものである。盥形の胴の中程と裾に浮帯が巡り、口縁は6箇所に刻みが入り、刻みを境に6弧が連続する輪花形に成形されている。このような器形は世界的に見ても砧青磁では唯一のもので希少価値が高い。釉色は砧青磁独特の翠青色に少し沈みが加わり、深い発色を見せ、光沢は柔らかく潤いがある。器形の浮帯に釉が厚くたまり、口縁では薄く、釉の濃淡の変化も見所となっている。口縁の輪花形に合わせた黒漆塗の蓋が付き、蓋表に「青海波」の文字が金蒔絵で表してあり、内箱蓋裏に「たらい之水さし/蓋昔ノもく付/(花押)」という茶人の千宗旦(1578~1658)の箱書がある。また、内箱蓋裏に大阪の実業家で茶道具の 収集家として著名な平瀬露香★蔵印がある。昭和23年(1948)「青井戸茶碗 銘 雲井」とともに神戸の菊正宗醸造元嘉納家から出て金沢の中村家へ移り、その年から今年はちょうど60年後にあたっている。砧青磁の名作として、また、金沢の近代実業家の優れた茶道具収集の歴史を伝える名品として文化財的価値が認められる。

 

 

《福澤諭吉・勝海舟他自筆書帖「近世名家書画冊」》 

絹本への揮毫16葉を貼り込み 表紙サイズ25×18cm 揮毫部分は絹本 全て墨筆 各紙サイズは20×14cm程。◆書帖の末尾に配された中上川の書に「為平瀬君」とある。各揮毫者の書がしたためられた絹本の用紙に統一性が見られることから、中上川が平瀬氏のために特別に調えた書帖であると考えられる。揮毫した人物たちの錚々たる顔ぶれから推測すると平瀬とは平瀬露香であろうか。大阪の豪商で数寄人として著名な人物であり、能や茶など多くの趣味に秀で、その旧蔵品が売り立てられた際には多くの逸品があった。揮毫内容や揮毫者たちの生没年から判断すると書帖が作られたのは1884年頃か。福沢諭吉は中上川にとって叔父にあたり、中上川自身が学んだ慶應義塾の創設者であることから、福澤の書を冒頭に置いている。 

▼以下は主な部分。(1)福澤諭吉「黒雲吐明月霖雨報晴天々變与人事由来不偶然 印」(黒雲明月を吐き、霖雨晴天を報ず。天変は人事とともに由って来るところ偶然ならず【この天空の変化は人間世界の移り変わりと同様、偶然にそういう結果になったのではなく、必ずそうなる必然性があるのだ。】) (2)勝海舟「臨危敢不屈解難笑拍扇已矣猶傲骨賣劍養残年 海舟 印印」(危うきに臨みては敢えて屈せざれども、難を解きては笑みて扇を拍つ。やんぬるかな、猶傲骨なれども、剣を売りて残年を養うとは) (3)中上川彦次郎「東皇未命駕日夕朱門?誰知武蔵野荻芽一寸青 知謂之誤 為平瀬君 中上川彦」 ◆他に大沼枕山、小野湖山、竹田黙雷、杉聴雨など。日下部鳴鶴、巌谷一六など書の大家も揮毫している。

 

 

《秀吉所持真珠埋め込み刺繍団扇形軍配》朝鮮王朝時代16世紀/蔵:徳川美術館 

http://www.tokugawa-art-museum.jp/exhibits/planned/2016/0105/06/

http://www.tokugawa-art-museum.jp/exhibits/planned/2014/0726/06/

秀吉が所用したと伝わる純金の団扇です。団扇形の枠に緋の紗を二重張とし、300余の天然真珠を縫い付けてあります。重さは約400グラムで柄や枠が純金製です。海外の採掘技術が伝来し、金銀の鉱山開発が飛躍的に発展した桃山時代、天下を統一し国内の主要な鉱山を掌握した「黄金太閤」の時代を反映する遺品といえます。★平瀬露香旧蔵。

 

 

・・・そろそろ、露香さんの「美術」関係を探ってみたいと思います。 

 

《國華社》朝日新聞出版 

104-0045東京都中央区築地 5-3-3築地浜離宮ビル 3階/03-5550-5015  

https://publications.asahi.com/ecs/29.shtml

私ども國華社は、月刊誌『國華』の編輯・発行、並びに「國華賞」の選衡・贈呈を中心とした活動を続けております。雑誌名の由来は、無署名だが文体や内容から天心が執筆したと考えられる創刊の辞の一節、「夫れ美術は国の精華なり」から取られている。『國華』は★1889年(明治22)岡倉天心、高橋健三らによって創刊、以来百十余年の歴史を歩み、世界的にも高い評価を得ている日本・東洋古美術研究誌です。130年近い歴史をもち、現在1475号もの刊行数を誇っています。1859年にパリで創刊されたガゼット・デ・ボザール(Gazette des beaux-arts)が2002年に廃刊された後は、★世界でもっとも古い美術雑誌として知られています。 

http://www.tobunken.go.jp/materials/katudo/120616.html

また「國華賞」は、昭和64年(1989)『國華』創刊百年を記念して創設された、日本・東洋美術史に関するすぐれた研究論文を顕彰する賞で、平成元年の第1回から平成14年度までに32名の受賞者を数えております。さて、國華社では平成14年10月、新たな会員組織「國華清話会」を設立いたしました。本会は、『國華』の円滑なる発行と「國華賞」運営への支援、及び会員の方々のための古美術品の展観、講演会の開催等の活動を通じ、広く美術文化の振興に寄与することを目的とした組織です。発足以来各方面よりご賛同を賜り、企業、美術館、美術商、研究者、収集家その他多数のご参加をいただいております。 

 

 

・・・スゴイ「月刊誌」です。明治22年創刊ですから、もちろん露香さんの所蔵品も登場することになります。 

 

《参考》2013『日本研究』47号/国際日本文化研究センター 

http://publications.nichibun.ac.jp/ja/item/nike/2013-03-29/pub

『日本研究』は、国際日本文化研究センターが年に2回刊行する国際的学術雑誌です。日本文化研究の発展に寄与する内容であれば、どなたでも投稿することができます。投稿原稿は常時募集しており、審査委員による査読を経て掲載されます。平成元年(1989)の創刊以来、現在第57集まで発行しています。 

★『國華』にみる古渡の中国絵画~近代日本における「宋元画」と文人画評価の成立/文:久世夏奈子