戦後という時代(11) | すくらんぶるアートヴィレッジ

すくらんぶるアートヴィレッジ

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

・・・「箱プロ」で「缶バッジ」を作り、調べていると「ピースマーク」のことが出てきましたので、 

 

《ピースマーク》(Peace symbols) 

あるいは平和記号は、平和運動や反戦運動のシンボルとして世界中で使われているマーク。円の中に鳥の足跡を逆さまにしたような形をしている。起源については諸説あり、平和を象徴するハトの足跡のデザインとされることがあるが、事実ではない。イギリスの平和団体の核軍縮キャンペーン(CND)のためにイギリス人アーティスト★ジェラード・ホルトム(GeraldHoltom)が1958年に★「NuclearDisarmament(核軍縮)」の頭文字「N」と「D」を手旗信号で(「N」の両腕を斜め45°で下ろした形と「D」の右手を真上に左手を真下にした形を合体させ、これを円で囲んで)表したものをデザインしたものである。1960年代後半のアメリカのヒッピー運動やベトナム反戦運動と共に平和・反戦の象徴として世界中に広まった。 

 

【Gerald Holtom】(1914~1985) 

https://en.wikipedia.org/wiki/Gerald_Holtom

The CND symbol – one of the world’s most widely known – was designed in 1958 by Gerald Holtom、 a professional designer and artist and a graduate of the Royal College of Art. He had been invited to design artwork for use on the first Aldermaston March. He showed his preliminary sketches to a DAC meeting in February 1958 at the Peace News offices in North London. On Good Friday in Trafalgar Square、 where the march began、 the symbol first appeared in public. 

Gerald、 a conscientious objector、 later explained the genesis of his idea: ‘I was in despair. Deep despair. I drew myself: the representative of an individual in despair、 with hands palm outstretched outwards and downwards in the manner of Goya’s peasant before the firing squad. I formalised the drawing into a line and put a circle round it.’ 

Gerald’s original、 first sketches are now on display as part of the Commonweal Collection in Bradford; while the symbol continues to be used as shorthand for peace and hope. 

 

★2018 is the 60th anniversary of the Campaign for Nuclear Disarmament. 

https://cnduk.org/

※Organic CND Logo T-shirt 

https://cnduk.shop/

https://cnduk.shop/products/organic-cnd-logo-t-shirt

 

 

《参考》イギリス核軍縮キャンペーン(CND)からの平和行進出発式へのメッセージ 

https://www.antiatom.org/Gpress/?p=15777

核軍縮キャンペーンは、日本の2018年原水爆禁止国民平和大行進へのメッセージをお送りできることを嬉しく思います。私たちはみなさんのエネルギーと全ての核兵器の廃絶をめざす決意に敬意を表し、平和の闘いにおけるみなさんの世界的なリーダーシップを称えます。 

今年は1958年に初めてオルダーマストン平和行進が行われ、そして核軍縮キャンペーンが誕生してから★60周年にあたります。CNDは誕生当時、その時代の社会の急進化と強く結びついていました。当時行われた、バークシャー州の核兵器製造施設であるオルダーマストンへの行進は、世界大戦後そして植民地時代後のイギリスの縮図であり、当時の幅広い大衆の抗議と青年の社会に対する反乱の声をはっきりと示すものでした。多くの点において、やがて新しい社会運動へと育つことになる急進的な政治運動は、この反核運動への人々の参加を通じて、初めて形成されたと言えるでしょう。 

私たちの中心的目標であるイギリスの核軍備撤廃は、未だ達成されていません。しかし振り返ってみると、CNDがどのように運動してきたか、そして海外のパートナー組織が行ってきた活動が、国内でも国際的にも政府の政策と意思決定に影響を与えてきたことは明らかです。何年もの時を経てから政府の文書や当時の日記などを読めば、世論と大衆的動員の圧力が現実に影響を及ぼしたことや、それぞれの世代においてCNDが役割を果たしてきたことがわかります。大気圏での核実験禁止はその重要な一例ですが、中性子爆弾(建物は無傷でも人間を殺すことができる兵器)計画の中止や、ニクソンにベトナムでの核兵器使用を断念させたことなどもそうです。何よりも私たちは、国民の意識の中に、そしてそれを通じて政治指導者たちの意識の中に、核兵器の使用は破滅的で、想像できないほどの悲劇をもたらす、という考えを浸透させることができたのです。私たちはこれからも、核兵器を根絶するまで歩むことを止めず、運動を続けていきます。これが私たちの大義であり、人類の大義なのです。そして私たちは必ず勝利します。ケイト・ハドソンCND事務局長、ブルース・ケントCND副会長 

 

★核兵器の全面的廃絶のための国際デー(9月26日) 

2013年9月26日に国連総会で、「核軍縮ハイレベル会合」が初めて開催されたことにちなんで、国連は9月26日を「核兵器の全面的廃絶のための国際デー」と定めました。 

http://www.un.org/en/events/nuclearweaponelimination/

http://www.unic.or.jp/news_press/features_backgrounders/11357/

“International Day for the Total Elimination of Nuclear Weapons” 

核兵器から解放された世界への道筋は沢山ある。私は全ての国々へそれぞれの流儀で未来像を分かち合い、貢献するようそれぞれ強化していく事を求める。ーアントニオ・グテーレス国連事務総長 

世界的な核兵器廃絶を達成する事は国連の最も古い目標の一つである。それは1946年の国連総会による最初の決議に起因する。普遍的で完全な武装解除は最初1959年の国連総会の検討事項に登り、この分野において核廃絶は最も重要で緊急の国連主題になっている。1975年から、核拡散防止条約の条約締結国の検討会議の主要なテーマであった。1978年、国連総会の最初の武装解除に関する特別会議は最も優先度の高い核廃絶のための効果的な手段を再確認した。そしてそれは全ての国連事務総長によって支持されてきた。いまだに今日、15000の核兵器が残っている。 

 

《参考》ピースサイン 

ボディーランゲージの一種。日本では、微笑みながら顔の近くでV字を外に向かって作り、楽しさや親愛の情を意味する。本来は、勝利のアピールを行うもので、平和を祈るサインとしても用いられている。この場合、真摯な態度で、腕を上方または前方に伸ばし、V字を外に向かって作るため、同時に微笑む場合は、勝利の喜びを意味する。イギリスなどの英語圏では、「V」の形を作るためと「Victory(勝利)」を意味するために、「Vサイン」と言われることが多い。

 

 

《NEWS》2018.8.9朝日新聞デジタルより 

核廃絶への妙案「皆さん、聞きたいですか」あの高田社長が語った 

今年の国際平和シンポジウム「核兵器廃絶への道」(長崎市、長崎平和推進協会、朝日新聞社主催)を7月28日、長崎原爆資料館ホールで開きました。24回目となる今夏のテーマは「持続可能な平和のために」。トランプ米政権が強める核戦略や、採択から1年になる核兵器禁止条約の役割をめぐり、多角的な議論が交わされました。舞台裏とともに報告します。参加者は約210人。当初予定では、一般公募や招待の被爆者らで300人近くになるはずでした。長崎でのシンポを原爆資料館で開くのは初めてで客足への影響を心配したのですが、それよりも列島を襲う猛烈な暑さと台風12号の接近がかなり響いたようです。それでも会場に足を運んでくれた人たちは熱心に耳を傾け、ほとんどの方が最後まで見届けてくださいました。田上富久・長崎市長は開会あいさつで、核兵器廃絶への道を「川の流れ」にたとえ、わかりやすく説明しました。核兵器禁止条約ができて国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」のノーベル平和賞受賞という「前へ進む動き」がある一方、米国のように「核抑止力」を掲げつつ核兵器を使えるものにしようと「流れを止め、反対する動き」が起きていることを紹介。その「底流」では「被爆者なき時代」が訪れようとしていて、先の大戦の記憶も社会から薄まりつつある中、このシンポは「少し立ち止まって、私たちが何をすればいいのかを考えるきっかけになっています」と意義を語ってくれました。 

オープニングは、「平和の創造」を旗印にするサッカーJ1「V(ヴィ)・ファーレン長崎」社長で通販大手ジャパネットたかた創業者★高田明社長と、田上市長による特別対談でした。とても話し上手なのに、市民の前でざっくばらんに語る機会があまりないという田上市長に舞台に上がってもらうのが、最初のねらいでした。そんな市長と響き合い、長崎発で平和の話をできるオピニオンリーダーはだれか。白羽の矢を立てたのが、高田社長でした。高田さんは「僕にむずかしい話ができるかなあ」と少し不安がられていましたが、最後は市長が背中を押してくれて「縁談」がまとまりました。事前の打ち合わせでは、とても物静かで穏やかな話しぶりでしたが、いざスポットライトを浴びると、あのユニークな「高田トーク」が飛び出しました。新作の★「平和祈念ユニホーム」を見せながら、ユニセフの公式ロゴマークをメインの胸元に入れた点をアピールし、ジャパネットのロゴは背中にまわしたと言って笑わせる。そして、「愛と平和と一生懸命」をうたうチームの使命として「長崎発で日本、世界へ平和を伝えたい」「小さなことでもアクションを起こすことで長崎、日本を変えていけるんじゃないか」と真剣な表情で語りかける。さらに期待を裏切らず、ユニホームは「1万5500円でございます」とオチをつけて喝采を浴びました。

 

 

★2018シーズン「平和祈念ユニフォーム」2018.6.29 

https://www.v-varen.com/news/67027.html 

このたび、V・ファーレン長崎は、「平和祈念ユニフォーム」を作成し、着用することとなりましたので、お知らせいたします。V・ファーレン長崎には、「サッカーを通してたくさんのワクワクを生み出しながら、未来に夢と平和をつなげていきたい」という想いがあります。この想いを伝えるため、2015年より夏季限定にて平和祈念ユニフォームを着用してJリーグを戦っております。長崎県民にとって平和を考える大事なこの季節に、その想いを伝えるために、本年はユニフォームの胸部分に支援に取り組む国連児童基金「unicef」のロゴを掲出し、平和の尊さに想いを馳せながらプレー致します。 

◆デザインコンセプト/岡本一宣デザイン事務所 

日本の伝統的な平和の象徴である「折り鶴」をモチーフにしました。折り紙という静的なものを大胆に使うことで、躍動感のあるデザインを目指しました。折り紙の幾何学的な直線のイメージを生かしてスピード感を表現しています。クールな配色は、熱い戦いに、冷静な戦いを期待します。 

https://shop.v-varen.com/uniform.html 

【岡本一宣】(1951~) 

アートディレクター、グラフィックデザイナー、出版プロデューサー 

1951年長崎市生まれ。武蔵野美術大学造形学部卒業。1979年岡本一宣デザイン事務所設立、2010年一般社団法人ナガサキベイデザインセンター設立。雑誌、書籍、写真集などの一般誌から企業誌、カタログのデザインなど出版メディア全般をベースに日々活動。組織や企業のブランディングに伴う、ロゴマークデザインや広告制作などブランディング・デザインにも携わる。「美は存在の力」を信念に拠点である東京から、長崎をはじめとして活動の幅を広げている。作品集に「岡本一宣の東京デザイン」「岡本一宣のピュア・グラフィック」(美術出版社)。

 

 

《シンボルの源泉》文:桑山弥三郎 

★平和の使者ハト 

https://www.typography.or.jp/symbol/001.html

平和ポスターには白いハトが登場する。ハトは平和のイメージでありシンボルである。いつから平和の使者としてハトが用いられるようになったのか。人間の心像としてハトがふさわしいのか、所によっては他の動物が、例えば驚くことに牛や豚の方が平和と結び付けられている。平和とハトの結びつきは古くノアの時代にさかのぼる。西暦前2370年、大洪水を生き長らえるためノアを含めたその家族8人は箱船を建造する。箱船は長さ133m幅22m高さ13mという巨大な木造建造物で、文字通りの箱船であった。長さと幅の割合は6対1で現代船舶と同じである。神からの詳細な計画を授かって初めて成功する。内部は3階になり、総面積は約8、900平方メートルになった。屋根は4%の勾配をつけて張り、採光窓を付けていた。木材はイトスギを使い組み合わせて、すき間をふさぐために外側からも内側からもタールで覆った。箱船が完成すると動物たちをつがいで2匹ずつ入れ、約1年間の食料を収納した。大雨が降り続いて、大地を覆い、箱船がアララト山上に到着して下船するまで約1年間かかる。それまでにノアはハトを放して、外の様子を見る。創世記は「ノアは自分の造った箱船の窓を開けた。そののち一羽の渡りがらすを放ったが、それはずっと外を飛びつづけて、水が地から乾くまで行ったり来たりしていた。後に彼は、水が地の表から引いたかどうかを見るために、一羽のはとを自分のところから放った。だが、はとはその足の裏をとどめる所をどこにも見いだせなかった。こうして水がまだ全地の表にあったため、それは彼のところへ、箱船の中へ戻って来た。そこで彼は手を出してそれを捕まえ、自分のところへ、箱船の中へ入れた。そして彼はさらにあと7日待ってから、もう一度そのはとを箱船から放った。その後、はとは夕方ごろに彼のところへやって来たが、見よ、むしり取ったばかりのオリーブの葉がそのくちばしにあった。それでノアは、水が地から引いたことを知った。そこで彼はさらにあと七日待った。それからそのはとを放ったが、それはもはや彼のところへ再び戻っては来なかった」。(創世8:6-12 新世界訳)ノアはハトがもち運んできたオリーブの葉を見て、下船できる明るい希望をいだく。このことからハトは世界の多くの所で、将来平和に生活することが出来る希望を与えるシンボルとなった。ハトは平和や希望の他に愛、真理、真実、知恵、信心深さ、英知、聖霊、復活、再生、清浄、純朴、正直、新生などの象徴として使われることがある。

 

 

★戦後の1952年、日本専売公社(現日本たばこ産業)は新しいたばこ「ピース」のパッケージデザインをアメリカの大デザイナーに依頼する。そのレイモンド・ローウィ は日本人の好む色、紺を用いて平和日本を象徴するオリーブをくわえた金色のハトのデザインをしたことは、日本のデザイン史に刻まれる出来事であった。このデザインは50年以上後の今日でも形を少し変えて使われている。ハトのシンボルデザインは多く、その中からオリーブの葉をくわえたシンボルを選んでみた。平和のシンボルの他の形も多用されている。ニューヨークの国連ビルの前にある公園には新しい彫刻作品が展示してあるが、現代の平和を象徴するシンボルである。日本を代表するシンボルに紋章があり、その中にはハトもある。ハトは西暦1180年頃の平安末期、出陣の時に士気を鼓舞するために放鳥された。ハトは戦いの時勝利を祈願する神である★八幡宮の使者として、戦勝を知らせる鳥になった。皮肉にもノアと紋章は正反対の源泉になる。しかし武士の登場前の藤原期には植物観賞が盛んになり、植物とハトが組み合わされた寓生(ほや)紋が出現する。寓生紋は日本が戦国時代になる前の平和な良き時代の象徴であった。

 

・・・「アートが世界を救う」なんて大それたことは思わないけれど、反戦・平和を呼び掛けていくにあたって、シンボルやサインそしてアートは有効(友好)ですよね。