《宰相山公園》大阪市天王寺区玉造本町
https://nippon1000parks.blogspot.com/2012/10/1691000.html
公園名にもなっている宰相山という地名は、明治の地図では字宰相山と記されており、1965年までは宰相山町という町名でした。これは冬の陣の折に、真田幸村が守る「真田丸」を攻めた越前宰相・松平忠直が陣を置いたという伝承に因むと言われていますが、一緒に攻めた前田利常(前田宰相)の陣だったという説もあります。
《参考》「三光神社」
543-0013大阪市天王寺区玉造本町14-90/06-6761-0372
反正天皇の時代の創建と伝えられる。創建以来、武内宿禰の末裔の武川氏が神職として奉職し、現在は86代目と伝える。社伝によれば、寛文元年(1661)に一旦現在地の南東の鎌八幡の隣に遷座し、宝永3年(1706年)に再び現在地に戻ったという。かつては「姫山神社」と称し、一帯は「姫の松原」と呼ばれていた。中風封じの神として有名な陸前国宮城郡青麻(現宮城県仙台市宮城野区)の三光宮(現青麻神社)を勧請し、そちらの方が有名になった。明治15年(1882)の『大阪名所独案内』に三光宮を勧請した旨が書かれており、勧請はそれ以前ということになる。明治41年(1908)姫山神社に境内社・三光宮を合祀し、社名を「三光神社」とした。3柱の神を祀ることから「三柱神社」とも、「日月山神社」ともいう。鎮座地の丘は宰相山とも真田山ともいう。かつては大坂城の出城「真田丸」が置かれ、大坂の陣のときには真田信繁が大坂城から当地までの抜け穴を掘ったといわれ、社殿の下に残っている。境内には黒田屏風に描かれた真田信繁を元にした像がある。千田嘉博によると、現在残っている抜け穴は真田信繁がつくったものではなく、真田丸を攻めた前田軍の塹壕の痕跡の可能性が高いとしている。
★三光神社「片足の鳥居」
https://jinken-kyoiku.org/heiwa/ch-sankoujinja.html
《真田山旧陸軍墓地》
543-0013 大阪市天王寺区玉造本町14-83
★「真田山陸軍墓地維持会」事務局
542-0083 大阪市中央区東心斎橋2-1-1
タカラベルモント株式会社内/06-6211-5971
明治4年に設置されたこの真田山旧陸軍墓地は、全国で80箇所以上つくられた陸軍墓地の中でも最古の歴史を持ち、旧日本陸軍の歴史・文化を後世に伝える遺跡・遺物としても極めて貴重な存在となっています。当法人は昭和22年の創設以来、多くのボランティアの皆様に支えられながら、これら墓碑をはじめとする墓地の維持保存、慰霊祭の実施による、当墓地に埋葬・納骨せる戦没者の崇敬と世界の平和を祈念する思想の普及に寄与すべく活動しております。
大阪は日本陸軍創設の地として位置づけられ、明治2年から大阪城を中心に軍関係施設が次々と設けられ、明治4年この地に墓地が創設されて、日本で★最初の陸軍墓地となりました。現在の墓地の面積は4,550坪(約15,000平方メートル)を越え、明治6年の徴兵令以前に属する士官・兵士の墓碑にはじまり、西南戦争、日清・日露・第一次世界大戦から第二次世界大戦にいたるまでの5,100基以上の墓碑が並び、8,200余の遺骨を納めた納骨堂を擁しております。また、将校・兵士だけでなく軍事物資の輸送・その他下働きとして雇われた軍役夫や日清戦争や第一次世界大戦で捕虜となった清国兵・ドイツ兵の病死者の墓碑など、当墓地独自の被葬者もみられます。真田山墓地は、先の大戦まで陸軍の管理に属し、門前には番兵を配して、遺族または特別な者でなければ出入りすることが出来なかったほどに厳重でありましたが、それだけにまた、整備も清掃も行き届いて荘厳ひとしおのものがありました。
・・・台風での被害もアチラコチラに見受けられました。
《真田山公園》
http://www.city.osaka.lg.jp/tennoji/page/0000000360.html
1939年(昭和14年)に★大日本帝国陸軍騎兵第4連隊跡地を整備して開園した。1889年(明治22)から1932年(昭和7)の南河内郡金岡村移転まで、当地には騎兵第4連隊の兵営が置かれていた。現在は大阪府立天王寺スポーツセンター(真田山プール・アイススケート場)、大阪市立真田山野球場、真田山庭球場が設置されている。公園周辺は、1614年の大坂冬の陣で真田信繁(幸村)が活躍した★古戦場として知られ、公園の北側には★旧真田山陸軍墓地がある。
《参考》皇紀2600年記念事業「中央図書館設立計画(1937)」
https://www.oml.city.osaka.lg.jp/?page_id=423
1940(昭和15)年に皇紀2600年を迎える記念事業として、1937(昭和12)年5月に中央図書館の建設が大阪市会で可決され、建設地も★真田山公園内(東区)に決まり、建物の設計、蔵書の購入計画、図書館組織体制の整備等の作業が進められていました。しかし、同年7月に勃発した日中戦争で鋼材の使用が制限され、中央図書館の建設は断念せざるを得なくなりました。計画は延期され、中央図書館の実現は戦後へと引き継がれることになりますが、終戦直後までは、中央図書館建設の予算は毎年繰り越しされ、真田山公園には「中央図書館建設用地」の白い標柱が立っていました。
《NEWS》2018.8.30産経WESTより
「旧陸軍墓地、国がしっかり管理を」吉村・大阪市長が要望
大阪維新の会の吉村洋文政調会長(大阪市長)は30日、旧陸軍の戦死者らを慰霊する「旧陸軍墓地」について「国が改修も含めてしっかりと管理すべきだ」と述べた。大阪市天王寺区にある全国で最大の真田山陸軍墓地についても「傷みがひどく、耐震性もない。大阪市としても国に対応するよう要望したい」とした。各地にある軍人墓地は戦後、国から自治体に無償貸与・譲渡されたが、管理体制があいまいなケースが多く、納骨堂の老朽化や墓碑の劣化が問題になっている。吉村氏は「国が(実態を)調査するところから始まるが、真田山陸軍墓地★保存会のみなさんの意見を聞き、しっかりと協議したうえで国に要望したい」と話した。
《旧真田山陸軍墓地とその保存を考える会》
572-0833寝屋川市初町18-8大阪電気通信大学小田研究室(退職)
565-0851吹田市千里山西一丁目33番14号★堀田暁生方
【小田康徳】(1946~)
1946年香川県生まれ。文学博士。日本近代における公害問題史の研究に従事するとともに、近代を中心とする紀北および大阪の地域史研究でも知られる。2014年大阪電気通信大学を定年退職し名誉教授。エコミューズ(あおぞら財団付属西淀川公害と環境資料館)館長、NPO法人「旧真田山陸軍墓地とその保存を考える会」理事長。また池田市史編纂委員会委員長などを兼る。
http://sanadayama.blog.fc2.com/
2018年9月20日(木)午前11時、われわれNPO法人旧真田山陸軍墓地とその保存を考える会は咲洲のATC内にある大阪市建設局管財課を訪れ、「旧真田山陸軍墓地の整備について申し入れ」を行い、その趣旨を説明するとともに、これについての市長の意見なり見解なりの表明を求めてまいりました。申し入れの基本は、市内天王寺区にある旧真田山陸軍墓地を文化財保護法による史跡・文化財として認識し、保存整備していただきたいこと、その方向で傷んでいる墓碑や納骨堂等を保存する手を打ってほしいこと、市民への適切でかつわかりやすい解説が可能となる案内板等の設置を行ってほしいこと、また将来にわたってその維持を図るために墓地内に景観を害さない範囲で研究・管理の施設を設置し、日常的に市民に説明し、さらに墓地を研究していくことのできる人材の育成を図っていけるような体制を築いていただきたいことの諸点でした。会見場には関西テレビがカメラを持ち込んで様子をすべて撮影され、またこの日の午後6時58分ぐらいから墓地の現状を紹介する映像と併せて放映されました。建設局管財課から出席された課長は、部内・関係者等でよく協議したうえで、いつとはまだ言えないが本会に市長の意見をお伝えすると回答されました。また協議する「部内の」うちには、大阪市教育委員会文化財保護課も入ると明言されました。この会見等を受け、本会では午後3時から中之島の大阪市役所にある市政記者室で記者発表を行いました。会見にはNHK・関西テレビ・読売新聞・産経新聞・朝日新聞・毎日新聞の各社が参加されました。この日、われわれNPO法人として参加したのは、★小田理事長・横山副理事長、またいずれも理事の2人の計4人でした。
《NEWS》
NPO法人「旧真田山陸軍墓地とその保存を考える会」の理事長・小田康徳教授(大阪電気通信大学)らのとりくみで、国内で最初に設けられた陸軍の埋葬地「旧真田山陸軍墓地」(天王寺区)の納骨堂で太平洋戦争などの戦没者8249人分の骨壺がおさめられていることがわかったと新聞各紙が大きく報道した。小田教授らは3年間かけて納骨堂の骨壺を調査し(文科省助成)太平洋戦争で亡くなった1937年以降の8249人分を確認。骨壺に記載された戦没者の氏名、住所、所属部隊、死亡日、死亡場所、遺族名など約20項目をデーターベース化された。戦争の記録と照らし合わせて戦地の実態も分かったそうです。まとめられた情報は今後研究者向けに提供され遺族の問い合わせにも応じるとのことです。小田教授は国民を国の召集で戦地へ行かせ、亡くなったら英霊としてたたえる一方、満足に葬ることすらできない状況はおかしい、戦争の実態を明らかにする資料として役立ててほしいと語っておられます。
真田山陸軍墓地を素材にする本の出版は、★2006年ミネルヴァ書房から出した『陸軍墓地がかたる日本の戦争』以来で、それから10年以上が経過しています。今回の研究会は、編集が佳境を迎えている中で、執筆者・編集者を交え、大いに論じ合うものです。テーマは、「墓碑を見つめて語るべきこと―分かりやすい本の出版をめざして―」としました。
★2006『陸軍墓地がかたる日本の戦争』
編著:小田康徳・横山篤夫・堀田暁生・西川寿勝/ミネルヴァ書房
序章 日本の近代と陸軍墓地(小田 康徳)
第Ⅰ部 墓碑から見つめる日本の軍隊、そして戦争
第一章 軍隊と兵士 さまざまな死の姿(横山篤夫)
第二章 陸軍墓地草創期の被葬者(堀田暁生)
第三章 西南戦争墓碑群がかたるもの(小松忠)
第四章 陸軍少将今井兼利の墓(西島昇)
第五章 戦争と貧乏徳利と(西川寿勝)
第Ⅱ部 一五年戦争と兵士の悲哀
第六章 死者の認識票と英連邦戦死者墓地(江浦洋)
第七章 個人墓碑から忠霊塔へ(森下徹)
第八章 仮忠霊堂の建築位相(川島智生)
・・・新しく出版される本を楽しみにしています。