・・・「豊国廟」を調べた時の、資料・情報等を紹介しておきます。まずは、
●「豊国廟参道」
背の高い石標が建っています。これは1901年(明治34)に建立されたものです。
●「豊国廟一の鳥居」
1898年(明治31)に建てられたもの。左に行くと豊国廟、右に行くと新日吉神社。江戸時代、荒廃した豊国廟は“封印”されていたため、その参道を塞ぐように新日吉神社が鎮座していたそうです。明治以降、右手(南)に遷りました。
●「豊国廟二の鳥居」広々としたスペース「太閤坦(たいこうだいら)」が広がっています。秀吉没後まもなく、豊国神社が築かれていた場所です。『京都府史蹟名勝天然紀念物調査報告』(1923)には、「今太閤坦廟務所ノ南方花崗岩ニ作レル高サ二尺六寸三分[約80cm]、巾四尺[約120cm]、長六尺五分[約2m]ノ巨大ナル長方形ヲナセル手水鉢アリ、伝フル所ニヨレバモト豊国廟ニアリシモノニテ近時妙法院ヨリ移サレタリト云フ」(P.30)とあります。北野天満宮の手水鉢を模したものと言われ、かつては「石船」とも称されていたようです。
《1923京都府史蹟勝地調査会報告》編:京都府史蹟勝地調査会、西田直二郎
http://www.pref.kyoto.jp/dezi/data/67.html
1917年(大正6)7月、京都府知事・木内重四郎は、史蹟名勝及び天然記念物の保存のために京都府の史蹟調査の事業を盛んにすることを唱導し、京都府史蹟勝地調査会を組織しました。調査会では、京都帝国大学などの碩学大家を評議員に迎え、西田は梅原末治(京都帝国大学文科大学教務嘱託)と共に調査委員として実質的な調査・報告を担当しました。また、田中勘兵衛や碓井小三郎らからの事業への支援もありました。『京都府史蹟勝地調査会報告』は、大正8年から刊行が開始され、第9冊からは『京都府史蹟名勝天然紀念物調査報告』と書名を変え、第20冊まで続きます。戦後、『京都府文化財調査報告』と改題し、第24冊まで発行されました。
《京都女子大学》2018.3.28女坂の桜が満開になりました
http://www.kyoto-wu.ac.jp/gakubu/faculty/kyoiku/news/n6eaci000000fawm.html
七条通りを突き当たって緩やかな坂をのぼると、東山連峰のふもとに京都女子大学があります。京女生が歩くその坂は、昔から★「女坂」と呼ばれています。女坂の桜が、今日、満開になりました。
《女坂》
東山七条にある智積院と妙法院の間から東方向の★阿弥陀ヶ峰へ延びていく坂道のことである。周辺に京都女子中学校・高等学校、京都女子大学などの校舎が並ぶ。 朝夕に大勢の女子生徒や学生が上り下りするため、その通学路が親しみを込めて「女坂」と呼ばれている。距離は408m 、高低差は25.41m。入り口には★「豊国廟参道」の石柱があり、豊臣秀吉の墓である豊国廟への道として使われていた。この坂道には京都女子大学行きのバス「プリンセスラインバス(京都急行バス)」が通っている。
https://princessline.jp/princesslinebus/
★いつから呼ばれているかは不明だが、京都女子学園の1980年(昭和55)創立70周年の記念冊子に★「女坂」の文字が登場している。
《1915(大正4)新撰京都名勝誌》/著:京都市
唐門より右方に間道あり、之より登るを、俗に★女坂といふ。と記されています。
《1897(明治30)豊国会趣意書》/編:若松雅太郎
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/781791
《参考》「桐蔭席」
605-0925京都市東山区今熊野日吉町/075-561-3261
http://www.urasenke.or.jp/textc/gallery/tomo/tomo01.html
http://blog.livedoor.jp/iwasakiyasushi/archives/52249365.html
★女坂を登り切ったところ、豊国廟の片隅に茶室がある。1930年(昭和5)淡々斎宗匠の指導により造営された茶事のための施設。棟梁は三代目木村清兵衛。瑞鳥鳳凰が宿る桐。千里万里を天翔る前に、鳳凰がその力を養うのが桐樹の蔭。裏千家では、ここで釜を掛けるということは一生に一度の名誉なこと、とまで言われるくらい格式が高い茶席です。
《参考》「史学雑誌」山川出版社
新たな歴史研究をめざして「史学会」は1889年(明治22)11月に創立された、日本を代表する歴史学の学術団体です。同年12月から『史学会雑誌』を編集刊行し、まもなくこれは『史学雑誌』と改称されましたが、歴史研究者や歴史学に関心を寄せる全ての人々に開かれた学会をめざし、例会や大会などを開催しています。1929年からは財団法人となり、公益性も重視しながら多様な活動に取り組んでいます。『史学雑誌』は、現在(2006年)までに115編に及び、毎月刊行しています。日・東・西を問わず、優れた研究論文、研究ノートをはじめ、書評、新刊紹介、コラム「歴史の風」(隔月)等を掲載しています。そのうち第5号「回顧と展望」は、前年の日本における歴史学界の成果と課題を批判的に論評する特集号で、国内の歴史学研究の動向を一目で知ることができるものとしてご好評いただいております。また、毎号の巻末には最新の研究成果を紹介する「文献目録」も掲載されております。
・・・豊臣家の旧家臣たちが、「秀吉300年忌」に向けて設立したのが「豊国会」。この趣意書を配って、資金集めをしたようです。
・・・「唐門」より右方に間道「女坂」があると書かれていますので、地図で確認してみました。
・・・この「唐門」写真には、露香さんが寄進した灯籠の★頭部もキチンと写っていました。「女坂」は見えませんが、右側の★林の中にあるのでしょう。