・・・先日、マイドームおおさかで開催された8/7~8「文紙メッセ」の参加報告をさせていただきましたが、次は「大osaka画材まつり」9/15~16に参加します。
《大osaka画材まつり》
2018年9月15日(土)・16日(日)10:00~18:00
メイン会場:大阪南港ATC/ITM棟10F大阪デザイン振興プラザ
作る・造る・創る!!大正9年心斎橋順慶町に画材屋としてスタートしました株式会社★カワチが運営するあなたの暮らしにアートをプラスする体験型アートイベントです。会場には画材メーカーや文具メーカーが大集合!新商品の紹介やワークショップなど楽しいイベントが盛り沢山です。今回のメインテーマは「作る・造る・創る!!」の★3つの「つくる」画材や文具を通じて、
「作る」・・・ワークショップなどで簡単に楽しくものをつくる。
「造る」・・・参加型ペイントなどみんなでワイワイアート作品をつくる。
「創る」・・・新商品などを体験しあなたのアイデアで新しいアートをつくる。
会場には最新の画材や文具、試供品や物販コーナーなど、手にとって体感してあなたの暮らしに「つくる」をプラスして下さい!また今回は同じく南港ATCのATCホールで「OSAKAアート&てづくりバザールvol28」が同時期開催。毎回1,000人を超える作家・アーティストクリエイターが大集合!オリジナリティ溢れる作品の展示、販売で会場は賑わいます。大OSAKA画材まつり関連イベントとして「巨大ライブペイント」と「ぱんだちゃんのお名前はんこ・ワークショップ」を開催。ぜひ両会場ともにご来場いただきアートに触れてください。
※問い合わせ 株式会社カワチ 大OSAKA画材まつり実行委員会
542-0081大阪市中央区南船場3-5-8/06-4963-2288
・・・「文紙メッセ」では、会場「マイドームおおさか」に深い思い入れがあり、機会あるごとに訪問してきました。今回の「画材まつり」では、何といっても「カワチ」さんに思い入れがあります。そこで、積極的にかかわりたいということで「ARTIST×アルミボトル展」に参加出品することにしました。
《河内洋画材料店》(店主:河内裕子)
542-0082大阪市中央区島之内1-4-32ホワイティ島之内1F/06-6241-1501
大正末期、大阪市は東京の人口を上回っていました。★”大大阪”と称された日本最大、世界有数のマンモス都市は日本の近代化の象徴であり、その中心地が★心斎橋だったのです。河内洋画材料店は、その名の通り洋画材料を扱う専門店として1920(大正9)年、心斎橋に創業しました。当時は絵画や書の額装とともに、後に日本を代表する産業に発展する写真機(カメラ)の暗箱製造も事業の柱のひとつであり、河内の木工製品の精巧さには定評がありました。日本でも有数の名工、職人を抱えた河内ブランドの額縁、画材箱、筆などのオリジナル商品は、多くの作家や文化人に愛用され、そのネームは有名作家の作品の制作年や贋作を見分けるサインにもなっています。海外の絵の具や木炭紙、水彩紙などを当時から扱っており、小出楢重や佐伯祐三、赤松麟作、普門暁といった大阪を代表する作家との親交はもちろん、戦時中★藤田嗣治の作品を預かったことでも知られています。
画商が少なかった戦前、河内洋画材料店の創業者★河内俊は、戦時中渡欧していた藤田嗣治から20点近い絵画作品を預かっており、心斎橋の店舗に置いていました。しかし大阪大空襲の際に店舗もろとも焼失し、落胆していた。戦後、帰国した藤田に詫びに参じたところ「あなたのせいじゃない、戦争のせいだから仕方ない。気にしないでください」と言われて、安堵したというエピソードが残されています。
当時の心斎橋はまさに日本の近代デザイン、モダニズムをリードしており、昭和初期★村野藤吾が設計したそごうの北隣、心斎橋筋1丁目に店舗を移転した河内洋画材料店は、2016年までカワチと店名を変更して営業を続けました。その間、画家の方たちだけではなく、小説家、俳優、デザイナー、建築家など幅広いクリエイターの方々にご愛顧いただきました。現在、カワチは本店を心斎橋★東急ハンズに移転、大阪に4店舗と神戸1店舗の計5店舗で画材店として営業を継続しております。その創業当初の屋号を継承し、新たなブランドとして「河内洋画材料店」が★オンラインデビューしました。
・・・まさしく大大阪の誇るべき画材店であり、特に★心斎橋筋にあったお店にはよく立ち寄ったものです。時代の流れとは言え、東急ハンズへの移転は少しガッカリしたのも事実です。★「ホルベイン」絵具工場の見学もさせていただきましたが、文具や画材に支えられて、今日まで造形表現活動が続けてこられたのですから、ひたすら感謝です。そうそう、★「藤原定謙遺作集」を入手しましたので、この機会に紹介しておきます。
《参考》「吉村峰吉商店」
http://www.holbein-works.co.jp/ourprofile.html
https://www.holbein.co.jp/company/history/
https://www.holbein.co.jp/company/history/walking.html
1900吉村峰吉、大阪市北区中之島に文房具・事務用品・洋画材料の問屋として吉村峰吉商店を設立。
1933ホルベイン洋画材料研究所を設立。
1945社屋焼失と事業中断。
1946布施市上小阪(現小阪工場所在地)にてホルベイン工業株式会社の社名で会社設立。油絵具・水彩絵具・画用液の製造を再開。
1955東京営業所開設。
1966枚岡北工場新設。
1972枚岡南工場新設、技術研究所併設。
1995奈良工場新設。
2000創業100周年を迎える。
2007国際品質保証規格ISO 9001認証を取得(2014年3月まで)
2013本社★大阪市中央区上汐2丁目に移転。
2016韓国、ソウルにホルベイン・コリアを設立。
2017画材、九州営業所閉鎖。
【藤原定謙】(1905~1981)
1905和歌山県那賀郡、清原清の長男として生まれる。
1921和歌山県長田尋常高等小学校高等科卒。大阪へ出て「吉村合名会社」入社、画材輸出入業にたずさわる。大阪市英語学校(夜間)に入学、2年間英語の勉強をする。
1930商工省・大阪試験所開放研究室にて2年間化学の研究にはげむ。
1933ホルベイン洋画材料研究所を設置し、諸外国の絵具・画溶液の分析研究に努め、海外品に劣らぬ品質向上を促進する。
1934「吉村合名会社」社長に就任、ロスアンゼルス支店を開設する。
1941中国上海に絵具製造分工場の開設を企画するも、第2次世界大戦のため応召され中断。第6001部隊に入隊し、相桂作戦に参加。
1946終戦により復員、さっそく絵具製造の計画に入る。ホルベイン工業株式会社を設立。油絵具・水彩絵具・画溶液の製造を再開する。
1951ホルベイン画材株式会社を設立、義弟・吉村徹を社長に登用、本人は会長として尽力する。その後、日本洋画材料協同組合・理事長、全日本画材協議会・初代会長を務める。
1981肝硬変にて倒れ、永眠する(享年75)。
・・・吉村峰吉さんが生みの親ならば、藤原定謙さんは「ホルベイン」育ての親、絵もかなりの腕前で、画家たちはうっかりしてられませんね。