平瀬露香(4) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・「平瀬家伝来」を調べていて、「日本美術協会」「貿易館」「公文書館」へと進んでしまいましたので軌道修正します。まずは「売立目録」をキーワードに調べていきます。 

 

《美術品の売立目録》国立国会図書館リサーチナビより 

https://rnavi.ndl.go.jp/research_guide/entry/post-561.php

特定個人や名家の所蔵品などを決まった期日中に売る売立会(うりたてかい;競りや入札が多い)のため、事前に配布される冊子目録のことを、売立目録と言います。売立目録は、入札目録、売立入札目録とも言われ、主に書画骨董など美術作品の図版、品目名、形態等の記載がありますが、入札額、落札額は記載されていません。一般に流通する出版物ではないため、書誌事項(書名、出版年など)を記録するための情報源(奥付やタイトルなど)を欠いている場合が多くありま す。 

 

《東京文化財研究所、東京美術倶楽部》 

2015.4東京美術倶楽部との売立目録デジタル化事業がスタート 

http://www.tobunken.go.jp/materials/katudo/120680.html

売立目録とは、個人や名家の所蔵品などを、決まった期日中に売立会で売却するために、事前に配布される目録です。こうした売立目録には、その売立会で売却される美術品の名称、形態、写真などが掲載されており、美術品の伝来や流通を考えるうえで、非常に重要な資料となります。ただ、一般の出版物ではないため、売立目録を一括で所蔵する機関は、全国的にも限られています。「東京文化財研究所」には、明治時代後期から昭和時代までに作られた合計★2532冊の売立目録が所蔵されており、その所蔵冊数は、公的な機関としては、日本一です。また、1907年(明治40)の設立以来、長年にわたり美術品の売立会や売却にかかわってきた「東京美術倶楽部」でも、多くの売立目録を発行し、所蔵してきた経緯があります。東京文化財研究所では、従来から、こうした売立目録の情報について、写真を貼り付けたカードなどによって資料閲覧室で研究者の利用に供してきました。しかし、売立目録の原本の保存状態が悪いものも多いため、このたび、東京美術倶楽部と共同で、売立目録をデジタル化しようという事業がスタートしました。この事業では、東京文化財研究所と東京美術倶楽部で所蔵する売立目録のうち、昭和18年(1943)以前に作られたものを、全てデジタル化し、その画像や情報を共有することで、貴重な資料を保存しようとするものです。こうした売立目録の画像や情報がデジタル化されれば、東京文化財研究所が所蔵する貴重な資料データベースについて、さらなる充実を図ることができると期待されます。

 

 

《売立目録の書誌と全国所在一覧》編著:都守淳夫/勉誠出版2001 

http://bensei.jp/index.php?main_page=product_book_info&cPath=9_13_33&products_id=10082

明治時代から平成までの売立目録の書誌、所蔵元(請求番号付)、書き入れがあるもの等を初めてデータ化し、リストとした。古美術・美学・文学研究者に渇望されていた書。 

第一章 全国売立目録の分類目次
第二章 同書誌情報
第三章 同所在情報
第四章 同不可情報
第五章 未収録と未見の売立目録一覧 

《参考》アート・ドキュメンテーション学会/研究誌6号(1997年8月) 

http://www.jads.org/pub/kenkyu.html

<研究ノート>売立目録に猿猴図を求めて:できてしまった全国所在目録一覧の話/文:都守淳夫  

 

《若冲~広がり続ける宇宙》著:狩野博幸/角川文庫2010より 

古美術を研究するとき売立目録を参照することが多い。明治・大但・昭和と営々と刊行された売立目録には、いま著名な作品の移動の様子、値段の異同、喪われた作品の図様などが写真付きで研究できるのだ。古い売立目録は美術史研究の宝庫でもあるのだが、博物館・美術館、大学、古美術商や個人などに分蔵されているので、それらを調査するのは実に困難を要する。ところが、美術研究者ではなく★何とサルの研究で有名な「都守淳夫」氏によって『売立目録の書誌と全国所在一覧』(勉誠出版)が出版されていて、日本にある売立目録ののベ一万九千七百八十九冊にのぼる情報が網羅してある。都守氏はサルがどのように描かれて来たかに関心をもち、売立目録の存在に気づいたのだった。 

 

【都守淳夫】 

1933年岡山県生まれ。京都大学大学院修士課程修了。財団法人日本モンキーセンター研究員を経て、現在、京都大学霊長類研究所共同利用研究員。著書に「西尾市岩瀬文庫の沿革と目録構造」他。 

 

・・・都守さんって、ユニークな研究者ですね。 

 

《森下美術》コラムより 

670-0972兵庫県姫路市手柄167-4/079-222-7888 

https://www.morishita-art.jp/%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%A0/%E5%A3%B2%E7%AB%8B%E7%9B%AE%E9%8C%B2/

◆売立目録/江戸から明治に時代が大きく変わるとともに、身分や階級も上を下へといった大きな変動が起こりました。特に武士階級の没落と商人の抬頭です。かつての禄高や領地がなくなり、経済的理由からかつての支配階級であった武士や大名の中には、それまで代々受け継いだ家宝や美術品を手放さざるを得ない家が出てきました。加賀前田家(明治2年)、姫路酒井家(明治 4 年)が行った入札が嚆矢といわれ、明治時代には東本願寺、鴻池家、★平瀬露香、河村家(江戸十人衆)、下村家などが売立てを行ないました。大正時代になると第一次世界大戦後の恐慌に伴い、旧摂関家である近衛家(大正7 年)や九条家(大正 11 年)が、主な旧大名家では仙台伊達家(大正 5 年)、秋田佐竹家(大正 6 年)、水戸徳川家(大正 7 年)、淀稲葉家(大正7年)、備前岡山池田家(大正 8 年)、若狭小浜酒井家(大正 12 年)、加賀前田家(大正 14 年)が家宝の売立てを行ないました。そんな中、尾張徳川家も大正10 年に行いましたが、美術館建設資金の準備が目的であり、それがために家宝の散逸を防ぐことができ、現在も徳川美術館に源氏物語絵巻をはじめとする重代の家宝が伝来しています。これら名家の売立てによって名品がたくさん売りに出されました。そしてそれらを買い求めたのが財閥や第一次世界大戦で巨万の富を得た財界人や成金たちでした。そして昭和になり世界恐慌による昭和恐慌が引き金になり、大きな売立てが数多く行われました。紀州徳川家(昭和8 年)、阿波蜂須賀家(昭和 8 年)、松方公爵家(昭和 3 年)、松本雙軒庵(昭和 8 年)、関戸松下軒(昭和 8 年他)、藤田香雪斎(昭和 9 年他)など多くの旧大名家、華族、財閥、財界人などが時代の波に翻弄され蒐集した美術品を手放していきました。売立ては東京をはじめ全国各地や朝鮮でも行われ、 研究者によるとその数は約 4,000 ~ 5,000 件以上に及ぶといわれています。その中の約2,500件の売立てが行われた回数を開催地域別・時代別に分類したのが下記の表です。売立てを行なう際には売立目録(目録、入札目録)が作成され、名家ともなれば装丁はとても豪華で、豊富な点数およびページ数の立派な目録となっております。 中には原三渓のように売立目録を作成したが売立てが行われなかったという珍しいケースもありました。これらは基本は白黒写真ですが、名品の場合はカラー写真で掲載される場合もあります。そして解説が付き、まるで一冊の美術書のようでもあります。売立目録の内容からは、各家々の特色や、今は国宝や重要文化財に指定されている名品の来歴であったり、関東大震災や戦災で失われてしまったお宝の姿をうかがい知ることができます。また値段の書込みや高値表や当時の新聞、美術雑誌等で落札値が分かる場合もあり、その当時の相場や人気を知る一助となります。目録の状態が良ければ、元箱、元袋、入場券、高値表などが付いているものがあります。こうして売立目録は当時の入札カタログとしてだけでなく、美術品の来歴、旧蔵家についてのなどさまざまな情報や、名品にまつわる 豊富なエピソードを今に伝えてくれています。また出品された作品には出品番号札が箱に貼付されており、また作品名、落札値かつ落札した美術商の名が記された落札札が添付されている場合があります。これらはそれがどの売立てに付されたかが分かる貴重な資料となっております。自らも数寄者として美術品を蒐集し「大正名器鑑」を著した高橋箒庵の 「近世道具移動史」(昭和 4 年)は、 明治から昭和初期までの世の中の流れに伴い、流転や興亡を繰り返した美術品、数寄者、美術商の活躍を名家の売立てを中心に描いた、当時の生の雰囲気を伝える名著ですので ご参考にしてください。

 

 

《売立目録所収美術作品のデータベース化とその近代日本における美術受容史研究への応用》静岡大学情報学部教授:髙松良幸/平成22年6月 

戦前、日本・東洋美術の取引の主役をなしたのが入札会である。特に大正期から昭和初期においては、旧大名家などの華族層のなかで経済的苦境に陥るものが多く、その苦境から逃れることを目的に「家宝」である伝家の名品を売却することが多くなった。そして、それらの多くを購入したのが、近代以降の日本経済の牽引車となった財閥経営者などを中心とする財界人たちであった。その際に用いられたのが入札会という手法であり、入札会に関する記録は、時代の変遷とともに★権力の象徴としての「家宝」がどのように移動したかを知るための資料として重要視されるものである。一方、入札会に出品された作品の写真図録として作製されたのが売立目録であり、これを検証することで、この時期の入札会を通じて、どの作品を入札会開催時まで誰が所蔵していたか、また他の記録と照合することで、それが誰によって購入されたかなどの所蔵履歴を検証することができる。また、関東大震災や第二次世界大戦時の空襲などの★災害で失われた作品★現在所在が判明しない作品などについても、写真画像ながらそのイメージを確認することができる。現在刊行中の『古画総覧』(国書刊行会)は、絵画作品のみとはいえ、この戦前の売立目録に所載された写真を画家ごとに網羅するという意欲的な取り組みである。ただ、書籍の形では特定の作品を検索することが困難であり、また同書の★価額が高額であることもあって、研究の便には不都合なところもある。本研究は、このような問題を考慮し、売立目録所収作品の画像データベース(アーカイブ)化を目指すものである。ただ、限られた研究期間、予算の中で戦前作製された数千冊にも及ぶ売立目録のアーカイブ化を実施することは極めて困難であるため、 100 冊の著名な戦前の入札会の売立目録に関するアーカイブ化を実施した。本研究を戦前の入札会、売立目録研究のテストケースと称する所以である。 

 

《売立目録100選》 

http://www5f.biglobe.ne.jp/~bunkazai/100sen/100sen.html

 

・・・いかに「売立目録」研究が重要視されているか、再認識しました。そして、 

 

《根津美術館》美術館略年表より 

107-0062東京都港区南青山6-5-1/03-3400-2536 

http://www.nezu-muse.or.jp/sp/about/history.html

1860年(万延元)6月初代根津嘉一郎、山梨に生まれる。 

1896年(明治29)本拠を東京に移す。 

1906年(明治39)青山に土地をもとめる。(美術館現在地) 

★平瀬家売立で「花白河蒔絵硯箱」を入手、注目を集める。 

http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/146544

初代根津嘉一郎は、1906年(明治39)の第3回平瀬家売立慈照院(足利義政)旧蔵の伝来をもつこの作品を入手した。当時たいへんな高額であったため、根津は収集家として一躍注目を集めた。全体に柔らかな曲線で構成されたこの硯箱は、全て金研出蒔絵で、蓋表に満開の桜の下に佇む烏帽子狩衣姿の公達が描かれ、桜の幹から土坡に「花・白・河」の3文字が葦手の手法であらわされている。それによって『新古今和歌集』巻16、飛鳥井雅経の歌「なれなれてみしはなこりの春そとも なとしら河の花の下かけ」の歌意による意匠であることが暗示されている。

 

 

・・・リニューアル前に一度行ったきりなので、再度「根津美術館」に行きたくなってきました。

 

 

《茶のあるくらし月刊「なごみ」》発行:淡交社 

https://www.tankosha.co.jp/books/bookfair/2018.html

今日ほど、「和の心」が渇望されている時代はありません。日々のくらしのなかで、和を尊ぶ心を形にしてきた総合文化「茶の湯」に範をとり、月刊毎号特集ページを充実、現代の「茶のあるくらし」=「和のあるくらし」を提案しています。 

★1991年11月号:特集/明治・大正・昭和「道具移動史」売立目録にみる名品流転 

藤田男爵家・売立目録/京極家・売立目録/西本願寺・売立目録/落札価値集/高橋箒庵・近世道具移動史/池田候爵家・売立目録/酒井春塘・売立目録/近衛公爵家・売立目録/山下対潮閣・売立目録/松平子爵家・売立目録/前田候家・売立目録/赤星家・売立目録/佐々木寿庵・売立目録 

■「話題の名売立」―藤田伝三郎/佐竹本三十六歌仙絵巻/鴻池家男爵売立/井上候爵家売立■「根津青山の蒐集」■「野村得庵の蒐集」■「「売立目録の資料性」■「「カタログの祖型」■茶碗/茶入/香合/掛軸/他■佐竹本三十六歌仙

 

 

★売立目録にみる名品流転/文:武内範男(元:畠山記念館主任学芸員) 

http://www.ebara.co.jp/csr/hatakeyama/outline.html

明治維新あるいは昭和の大戦後など世の中が大きく移り変わるときに門外不出の蔵がひらかれ名品の移動がみられます。その仲介をするのが作品カタログとしての「売立目録」です。売立(入札)に際して目録が作られるようになるのは明治も半ば頃からでいわゆる財界数寄者の勃興と軌を一にします。売立目録を見ることによって世の盛衰また時代の嗜好を読みとることができますがなんといっても売立目録から数寄者の手へと人と作品が出会い移動し名品の数々が大切に伝来され今日なお実際に目にすることのできる有難さを忘れることができません。そうした売立目録の役割を道具移動史を中心にみてゆきます。

 

・・・つづく