・・・浜寺「ステーション・ギャラリー」での河合勝三郎「偲ぶ会」展に行ってきました。
《(社)国際アートブリッジ》
http://kokusaiartbridge.com/album/pg777.html
★「河合勝三郎先生を偲ぶ会」の御案内
河合先生におかれましては兼ねてご療養のところ5月28日、94歳にてご逝去されました。心より哀悼の意を表します。また、ご遺志によりご親族のみで葬儀は既にしめやかに執り行われましたこと謹んでご報告申し上げます。さてこの度、亡河合先生とご縁のあった方々にお集まりいただき先生の歩まれた足跡を振り返り、語り合う場をもちたく、「偲ぶ会」を下記のとおり企画させていただきました。ご多忙中とは存じますが、多くの皆様のご来臨をいただ きたく、ご案内申し上げます。尚、同会場にて6月20日(水)~25日(月)の6日間、河合先生の作品を展示しておりますので、「偲ぶ会」にご欠席の方もこの期間にぜひ、お運びいただけたらと願っております。
日時:平成30年6月24日(日)午後5時半から
会場:堺市浜寺公園駅舎★ステーション・ギャラリー及びカフェ・ライブラリー (登録有形文化財)「浜寺公園駅舎」設計:明治40年辰野金吾、私鉄最古の駅舎
・・・浜寺ステーションそのものが素敵です、さらに「赤丸ポスト」があることによって魅力が増していると思います。前回、気分転換に地下鉄「百葉箱」を掲載したのですが、さらにつっこんで調べてみますと、
《NEWS》2015.5.24読売オンラインより
壁掛け型など多様に/百葉箱
「小学校高学年のころ、クラスの2人ずつが毎日交代で百葉箱を見に行き、気温などを記録していました。あの白い箱が懐かしい」。埼玉県行田市の川辺和子さん(55)が、百葉箱の思い出をファクスで寄せてくれた。百葉箱が学校に設置されたのは1950年代の半ばごろから。小中学校などの理科の授業で必要な設備に国が補助金を出すようになった。白い板のよろい戸で四方を囲み通風をよくした箱で、地面から約1・5メートルの高さに温度計などの機器が置けるよう脚が付いている。東京都の筑波大付属中学校の元副校長、畑中忠雄さん(84)は62年から92年まで、同校の天文研究会の生徒たちに百葉箱での気温、湿度、気圧の観測を指導した。日光の照り返しが少ないよう、正門近くの芝生の上に立つ百葉箱は、「目に付きやすく親しまれていた」と振り返る。研究会のメンバーによる観測は今も続くという。百葉箱は多くの学校で導入されたが、理科教育の時間が減った70年代半ば以降、出番が少なくなった。東京都環境局★山口隆子さん(43)が、2004年に都内の公立小を対象に行った調査では、回答があった32校のうち、百葉箱で気象観測を行っていたのは2校だけだった。しかし、国が09年と12年に理科教育の設備費を増額したのを機に、老朽化した百葉箱の更新が進んだ。最近は様々な百葉箱が登場している。測定機器メーカー「計測技研」(栃木)は、東日本大震災後、空間の放射線量を測れる百葉箱を開発、現在、栃木県内の11の小中学校が導入する。全国の小中学校に百葉箱を販売する「内田洋行」(東京)は、敷地の狭い学校などのために、壁掛け型の百葉箱を3年前に発売。今春設置した神奈川県大和市立上和田小学校では、4年生が気温を観測し変化をグラフにまとめる授業などで活用する。理科の専科教員の中山光顕さん(66)は「地球温暖化などをテーマにした環境教育への関心が高まっており、★目に見える形で温度とは何かを実感してほしい」と話していた。
★《日本における百葉箱の歴史と現状について》文:東京都環境科学研究所基盤研究部・山口隆子2006.4.30
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10606573
日本における百葉箱の歴史と現状について調査した結果、以下のことが明らかになった。19世紀中頃のイギリスで開発が始まった百葉箱は、1874年に日本へ導入され、1875年からの観測に使用したものが最古の記録であり、1886年までに「百葉箱」と命名されていた。百葉箱の読み方は、★「ひゃくようそう」と「ひゃくようばこ」が混在しているが、小学校理科教科書に関しては、1969年以降「ひゃくようばこ」もしくは振り仮名なしで統一されていた。百葉箱の現状であるが、現在、気象庁の観測では百葉箱は使用されておらず、教育現場においては、1953年の理科教育振興法公布以前から設置されている。また、その設置状況は、東京都のヒートアイランド観測を行っている106校の東京23区内の小学校に関して、設置地表面状態に関してはほとんどの学校が気象庁の設置方法に準拠しているものの、日当たりに関しては37%、風通しに関しては43%、扉の向きに関しては37%の学校しか準拠しておらず、設置基準全ての項目を満たしている学校は106校中4校のみであった。さらに、理科の授業における使用状況は32校中24校で使用しているものの、観測を実施している学校は2校のみであった。
●「百葉箱」の語源について/文:山本哲1 (1.気象研究所)
気象観測で用いられる「百葉箱」の語源については、日本で作られた語であること、中国語の「百葉」あるいは「百葉窓」に由来することなどが推定されていた(塩田1996、山口 2006)。当時の気象当局の文献を調べた結果、”Stevenson’s Box for thermometer”(図)の態様を表す”double louvre boarded box”という英語表現を直訳した「(ステイーブンソン形)二重百葉窓箱」が縮めて呼ばれるようになったものと推察された。百葉箱の日本への導入経緯についても考察する。
図(左)新型の温度計設置用の箱についてのThomas Stevensonの報告中の挿絵。2列のよろい板(double row of louvre boards)が特徴とされている。(右)10種類以上の温度計台(Thermometer Stand)を紹介した雑誌連載記事に掲載された”Stevenson’s Thermometer Stand”の挿絵。この絵は広く使われ、日本で最初に編集された「気象観測法」(1886)にも同一のものが掲載された。
参考文献:★塩田正平/百葉箱の呼び名について. 気象. 1996、★山口隆子/日本における百葉箱の歴史と現状について. 天気. 2006
★《百葉箱の呼び名について》/著:塩田正平 (飛騨工社)
資料名:気象 号:471 ページ:14405-14409/発行:1996.7
百葉箱の出自は、清代の★「百葉窓」であると考えられる。「百葉窓」とは、清朝の離宮である円明園などにみられるもので、日本では★「ガラリ」や、★板簾(イタスダレ)と呼ばれるものと同様である。「ガラリ」とは建築用語で羽板を取り付けた物、直射日光や雨を遮り空気を流通させるため、窓に間をすかして取り付けた幅の狭い薄板のことをいう。つまり、百葉箱とは、通風をよくするための鎧戸風の部分の形が百葉窓に似ているところからきた名称である。「百葉」という言葉は古い周の時代の牛・羊などの胃の壁からであり、以後これに類した花などに及び、そして百葉窓にも用いられた、と愛知大学の荒川清秀教授が指摘している。
【塩田正平】
1908年(明治41)岐阜県生れ。日本大学高等工学校卒、外務省建築技手、一級建築士。1946年(昭和21)★(株)「飛騨工社」(岐阜市野一色4-7-13/058-246-2703)を設立、1954年(昭和29)以来一貫して気象庁御用達を初めとする百葉箱を製作。まさに百葉箱の第一人者、気象庁より表彰4回、植物を愛し、俳句・デザイン・陶芸・絵・染色などをよくした多彩な人生であった。2002年(平成14)逝去(享年95歳)。
●「大気の変容」ケーススタディ:「百葉箱」の復権/文:品川誠
名古屋造形芸術大学・名古屋造形芸術短期大学紀要第9号2003所載
http://maritime-shinagawa.my.coocan.jp/archives/henyo/atdb/henyo-taiki.html
http://maritime-shinagawa.my.coocan.jp/archives/atmosphere/atmhenyo/atmhenyo.html
《参考》2011/08/26第一回百葉箱復活プロジェクトが開催されました
http://www.isa.or.jp/modules/weblog/details.php?blog_id=60
●百葉箱 - 建築・測量・製図用品のディスカウント通信販売 OFFSITE(オフサイト)
http://www.offsite-web.com/category2/instrument_screen.php
・・・いろいろ調べた中では、「品川誠」さんの資料が専門的かつわかりやすいものでした。興味のある人は、ご覧ください。