・・・浦島太郎についていろいろ調べました。
《古代史の扉》→《伝説の扉》
http://www.asukanet.gr.jp/tobira/
http://www.densetsu-tobira.com/
→《浦島太郎伝説》
http://www.asukanet.gr.jp/tobira/urashima/urashima.html
1 丹後半島の浦島太郎伝説
・京都府与謝郡伊根町の浦嶋子
・京丹後市網野町の浦嶋子
2 丹後国「風土記」逸文
http://www.lib.ehime-u.ac.jp/SUZUKA/381/001.html
與謝郡日置里此里有筒川村此人夫日下部首等先祖名云筒川嶼子爲人姿容秀美風流無類斯所謂水江浦嶼子者也是旧宰伊預部馬養連所記無相乖故略陳所由之旨長谷朝倉宮御宇天皇御世嶼子独乘小船汎出海中爲釣経三日三夜不得一魚乃得五色龜心思奇異置于船中即寐忽爲婦人其容美麗更不可比嶼子問曰人宅遥遠海庭人乏詎人忽來女娘微咲對曰風流之士獨汎蒼海不勝近談就風雲來(中略)嶼子即乖違期要還知復難會廻首踟蹰咽涙徘徊于斯拭涙歌曰 等許余蔽尓久母多智和多留美頭能睿能宇良志麻能古賀許等母知和多留神女遥飛芳音歌曰 夜麻等蔽尓加是布企阿義天久母婆奈禮所企遠理 等母与和遠和須良須奈嶼子更不勝恋望歌曰 古良尓古非阿佐刀遠比良企和我遠礼婆等許与能波麻能奈美能等企許由後時人追加歌曰 美頭能睿能宇良志麻能古我多麻久志義阿気受阿理世波麻多母阿波麻志遠 等許余蔽尓久母多智和多留多由女久母波都賀米等和礼曾加奈志企
http://kotoba-goen.blogspot.com/
http://miuras-tiger.la.coocan.jp/urashimako.html
3 四国香川県荘内半島の浦島太郎
4 御伽草子(お伽話:おとぎばなし)
5 日本各地の浦島太郎
・愛知県武豊町の浦島太郎
・鹿児島の浦島太郎
・鞆の浦(仙酔島)の浦島太郎
・寝覚の床と浦島太郎
・岐阜県中津川市坂下町の乙姫岩
・各務原市の浦島太郎
・横浜の浦島太郎
・沖縄の浦島太郎
6 浦島太郎のモデル
・倭宿禰
・海幸彦・山幸彦神話
7 日本書紀(雄略天皇記)の浦島太郎
廿二年春正月己酉朔、以白髮皇子爲皇太子。秋七月、丹波國餘社郡管川人・瑞江浦嶋子、乘舟而釣、遂得大龜、便化爲女。於是、浦嶋子感以爲婦、相逐入海、到蓬萊山、歷覩仙衆。語在別卷。
8 万葉集(巻九、雑歌、一七四〇)の浦島太郎
http://www.emuseum.jp/detail/100167/006?word=%5Bobject+HTMLInputElement%5D&d_lang=ja&s_lang=ja&class=&title=7&c_e=®ion=&era=&cptype=&owner=&pos=9&num=2&mode=detail¢ury=
春日之 霞時尓 墨吉之 岸尓出居而 釣船之 得<乎>良布見者 <古>之 事曽所念 水江之 浦嶋兒之 堅魚釣 鯛釣矜 及七日 家尓毛不来而 海界乎 過而榜行尓 海若 神之女尓 邂尓 伊許藝趍 相誂良比 言成之賀婆 加吉結 常代尓至 海若 神之宮乃 内隔之 細有殿尓 携 二人入居而 耆不為 死不為而 永世尓 有家留物乎 世間之 愚人<乃> 吾妹兒尓 告而語久 須臾者 家歸而 父母尓 事毛告良比 如明日 吾者来南登 言家礼婆 妹之答久 常世邊 復變来而 如今 将相跡奈良婆 此篋 開勿勤常 曽己良久尓 堅目師事乎 墨吉尓 還来而 家見跡 <宅>毛見金手 里見跡 里毛見金手 恠常 所許尓念久 従家出而 三歳之間尓 <垣>毛無 家滅目八跡 此筥乎 開而見手歯 <如>本 家者将有登 玉篋 小披尓 白雲之 自箱出而 常世邊 棚引去者 立走 S袖振 反側 足受利四管 頓 情消失奴 若有之 皮毛皺奴 黒有之 髪毛白斑奴 <由>奈由奈波 氣左倍絶而 後遂 壽死祁流 水江之 浦嶋子之 家地見
9 ★箱の中に神が宿る
《参考》「浦島説話研究所」
http://www17.plala.or.jp/urashimasetuwa/sub2.html
・・・日本の様々な浦島伝説を、うまくコンパクトにまとめて紹介しているHPが多くあります。
しかし、この度の「玉手箱プロジェクト」は、浦島太郎の「玉手箱」を作ることが目的ではありません。上記9に書かれている「箱の中に神が宿る」という表現が、一番ふさわしいかもしれません。★あなたの「神」=あなた自身を「箱」で表現していただきたいと考えています。(ちょっと大袈裟ですが)
・・・さらに、外国にも似た話はあるのか調べてみました。日本で一番古い日本書紀などの話は、★8世紀に書かれたことがわかっていますが、★東晋時代(317~420)に王嘉(おうか)が編集した書物「拾遺記」全19巻220篇に、浦島太郎伝説にそっくりな内容があります。
http://www.guoxuedashi.com/so.php?sokeytm=%E6%8B%BE%E9%81%BA%E8%A8%98&ka=100&submit=
https://ctext.org/wiki.pl?if=gb&res=917450
助けたのは亀ではなく、乙女。竜宮城も海ではなく湖という設定以外はすべて同じ物語です。後に南北朝時代の梁の蕭綺(しょうき)によってまとめられ10巻となったようです。三皇五帝から東晋までの様々な神話や伝説が収められています。
https://www.nagaitoshiya.com/ja/2004/urashima-legend/
《昔、若い漁夫が、ある乙女を助けたところ、その乙女は、実は竜女だった。彼女の招待で、漁夫は洞庭湖の湖底にある竜宮城に行くことができた。漁夫は、竜宮城で湖の生き物たちに歓待され、ついには竜女と結婚して幸せに暮らした。楽しい日々が続いたが、漁夫はふと、故郷の母親を思い出し、故郷に帰りたいと言うと、竜女は「私に会いたくなったら、いつでもこの箱に向かって私の名を呼びなさい。でも、この手箱を開けてはいけません」と言って、宝の手箱を渡した。漁夫が故郷に帰ってきてみると、村の様子はすっかり変わり、自分の家は無く、村人たちも知らない人ばかりだった。村の年寄りに聞くと、「子供の頃に聞いた話だが、この辺りに、出て行ったきり帰らぬせがれを待つ婆様が住んでいたということだが、もうとうの昔に亡くなったということじゃ」と言われた。気が動転した漁夫は、竜女に説明を求めようと、思わず手箱を開けてしまった。すると、一筋の白い煙が立ち上がり、若かった漁夫は白髪の老人に変わり、湖のほとりにばったりと倒れて死んだ。》
https://books.google.co.jp/books?id=jcm31kiLUecC&printsec=frontcover&hl=ja#v=onepage&q&f=false
・・・中国語がまったくわからないので、それらしい漢字を探しましたが降参です。へろへろになりましたが、とにかく『日本書紀』や『丹後国風土記』に書かれている浦島伝説には、「蓬莱山」、「仙都」、「神仙の堺」など、中国の★影響を受けたことを示す言葉が使われています。ちょっと気分転換、
《NEWS》2012.4.11日本経済新聞より
大阪の地下鉄ホームに百葉箱のナゾ「列車風」遮り計測78年
大阪市営地下鉄の駅のホームに、古びた百葉箱が置いてあるのが気になっていた。空調管理のため温度や湿度を計測するなら、近代的なセンサー類の方がいいのではないか。学校の校庭などで見かける昔ながらの百葉箱が現在もなぜ残され、どんな役割を果たしているのか、調べてみた。大阪市交通局に聞くと、百葉箱は御堂筋線の梅田駅や淀屋橋駅など★8駅のホームに設置してある。「初めて設置したのは★淀屋橋駅で、1934年(昭和9)。それから78年間、駅の温湿度を測り続けてきました」。同局電気部の藤原善久係長が教えてくれた。内部には現在、温湿度のデジタル計測器が据え付けてあり、自動でデータを記録。半年に1回、職員が回収している。3年前までは温度計、湿度計ともアナログ式で週に1回、データを回収する必要があった。★約80年間に及ぶ計測データは、「大阪市公文書館」に保管されている。「駅構内には列車による強い風が吹きます。正確に計測するには、確実に風を遮って安定的な環境をつくり出す百葉箱でなければ駄目だったのです」と藤原さん。天井などにセンサー類も取り付けてあるが、最近まで百葉箱で計測した方が精度が高かった。こうしたデータは、換気や冷房で効率的に駅構内の環境を整えるため活用されてきた。例えば淀屋橋駅のホームの8月の平均温度は、百葉箱を設置した直後の35年は約23度だったが、60年には約33度に上昇。蒸し風呂状態になった。蓄積した気温などのデータをトンネル工学の専門家らと分析したところ、列車本数や利用者の急増が環境悪化を招いたことが判明。換気はどれくらい必要なのか、空調装置を導入するならどの程度の機能が必要か――。問題解決に、百葉箱の計測データは不可欠だったという。これほど長期間、地下鉄駅の環境を計測し続けた例は全国でも他にない。日本初の地下鉄が27年に開通した東京は「駅員が温度計などで測って業務日誌に書いたりしていたが、公式な記録としては管理してない」(東京メトロ)といい、「約80年前のデータが残っているとは」と驚く。57年開業の名古屋市営地下鉄も「冷房を導入した70年代以降しか記録はありません」と目を丸くする。東京も名古屋もホームに百葉箱を置いたことはない。専門家も、百葉箱が長年記録した貴重なデータに注目している。日本環境学会の和田武会長は「大気の影響を受けない地下空間で、80年間も定点観測を続けたデータは類例がない」と指摘。「応用すれば、地球温暖化の進行を正確に把握できるかも」と話す。「電車から出る廃熱を利用するクリーンエネルギー技術に活用できそうだ」と語るのは都市地下空間活用研究会の粕谷太郎主任研究員。「百葉箱で測った正確なデータを基に温度変化を予測すれば、エネルギーを効率的に安定供給できる。他都市の地下鉄や地下街にも応用できそうだ」だが百葉箱もついに役割を終え、姿を消すという。「天井などに取り付けたセンサー類の精度が上がり、百葉箱に劣らず正確な計測が可能になったためです」と藤原さん。ホーム上で場所を取ることもあり、今夏から梅田駅を皮切りに順次、撤去される予定だ。大阪市交通局は百葉箱を撤去した後も、構内のセンサー類で正確なデータを記録し続ける方針。ただホームに静かにたたずむ百葉箱は長年、通勤や通学の風景になじんできた。無くなると、寂しく思う地下鉄利用者は多そうだ。
《NEWS》2017.1.26THE PAGE大阪より
大阪の地下鉄ホームに百葉箱 なんで置いてるの?
大阪市営地下鉄を利用する際、駅のホームに「百葉箱」が設置されているのを見て「なんで?」と思ったことはないだろうか。現在もいくつかの駅で置いてはいるが、その理由とは?「最初に設置したのは1934年の淀屋橋駅になります」と話すのは、同交通局広報担当の永澤良太さん。同地下鉄は★1933年開業で、その翌年から設置していることになる。永澤さんは「駅の環境を測定するために設置したのがはじまりです。駅構内の温度や湿度を測って、お客様に快適にすごしていただけるようにしようと導入したものですから」と続ける。ここでデータをとっては、空調設備の調整などに役立てていた。地下トンネルを鉄道車両が通ることにより発生する「列車風」が吹くため、天井などに設置していた機器や通常の気温計などでは、正確なデータが取りづらかった。しかし、そうした風など関係なしにデータがとれる百葉箱は、かなり重宝されたという。箱はずいぶんと使いこんでいるように見えるが、永澤さんは「数年ほど前までは実際に中に置いてアナログな作業で環境データをとっていましたが、現在は、それで測っていません」と話す。実は、現在は中にデジタル機器が設置されているという。「現在は列車風などの影響を受けずに正確に測れるものが登場していることなどから、アナログな測定は終了しています」と永澤さんは続けた。すべての駅に置かれていたわけではないが、ピーク時は★30ほどの駅に設置されていたという百葉箱。現在では御堂筋線の梅田・淀屋橋・天王寺など合わせて10駅もないそうだ。
・・・一時この「百葉箱」は民営化で撤去されるのではないかと言われていましたが、大阪メトロに変わった今も残っています。ただ、現在はどの百葉箱も使用されていないようです。ある意味『鉄道遺産』と言えると思いますが、そうはなっていません。大阪メトロ御堂筋線の4駅ホーム(梅田駅・淀屋橋駅・本町駅・心斎橋駅)はすでに『(鉄道)土木遺産』となっています。