・・・「市大」の次は「阪大」です。カエルのブログで「東光院」を紹介しましたが、またまた阪急「曽根」へ。
《東光院(萩の寺)》
561-0882豊中市南桜塚1-12-7/06-6852-3002
東光院萩の寺は、735年(天平7)行基開創による曹洞宗別格地寺院です。もとは大坂★豊崎の里(摂津国西成郡豊崎村下三番、現在の北区中津)にあって、境内に萩多く、通称「萩の寺」として親しまれ、「南の四天王寺、北の東光院」と並び称された格式ある古刹でした。開発に際しては「住宅地の開発には有力寺院の存在が不可欠」という★小林一三(阪急電鉄創始者)の意向を受け、1914年(大正3)阪急電車敷設により現在地に移転しました。駅が開設された当初は田園地帯であったが、大正末から昭和にかけて宅地開発が進み、「西の芦屋、東の曽根」と並び称される邸宅街となった。
http://www.hankyu.co.jp/area_info/spot/187
曽根駅近くの東光院は、通称“萩の寺”とよばれるハギの名所で、境内には正岡子規をはじめハギを好んだ俳人達の句碑が建っています。本尊の十一面観音像が身につけている衣は、★写経した和紙のこよりで織った珍しい衣です。阪急沿線西国七福神めぐりで、毘沙門天が祀られているお寺としても知られています。
・・・今回は「中村貞夫展」を観に行きます。会期は「豊中市立文化芸術センター」の方が早く終わりますので、森喜久雄さんの一周忌展を開催してくださった「タンネ」を通り越して、
《TANNE Cafe (タンネカフェ)》
561-0802豊中市曽根東町3-2-6-102/06-6864-6687
大阪万国博覧会が開催される3年前の5月に、阪急曽根駅の近くにガーデンテラスがある山小屋風の小さな20席ほどの喫茶店「タンネ」が誕生いたしました。「タンネ」とはドイツ語のTANNENBAUM(もみの木)を意味します。赤い屋根には、風見鶏があり、天窓から四季折々の光が入り、店の周りに蔦が絡まりバラの垣根や、いろんな花の楽しめる店でした。曽根駅周辺の整備に伴い2001年3月より曽根駅前ビルディングの一階の奥に、バックガーデンを持つカフェとしてリニューアルオープンさせていただいております。店内の絵画や中庭の四季を彩る花、お客様み楽しんでいただける空間として、皆さまのご来店を心よりお待ちしております。
《中村貞夫展~豊中市・大阪大学共催事業》
★豊中市立文化芸術センター/2018年4月27日(金)~5月27日(日)
●大阪大学総合学術博物館/2018年4月27日(金)~6月30日(土)
https://www.city.toyonaka.osaka.jp/jinken_gakushu/bunka/event/ev_others/hanndai21kikaku.html
・・・「東光院」も「タンネ」もいろいろな歴史がありますねえ。さて、今日の目的地にも歴史があります。
《豊中市文化芸術センター》
561-0802豊中市曽根東町3-7-2/06-6864-390
かつての「豊中市民会館」は1968年の建築から約40年が経過し、老朽化が進んだことや耐震性の問題から2011年3月31日に閉館したのち、解体された。同センターは、その跡地に建て替えの形で新築されて2016年10月にプレオープンしている。貸館の開始も含めたグランドオープンは2017年1月。
※設計:日建設計(江副敏史・多喜茂・萩森薫・宮本順平)
https://www.aba-osakafu.or.jp/architects/award62_01.html
施工:大林組・河崎組特定建設工事共同企業体
http://www.obayashi.co.jp/works/work_2120
《参考》伊達伸明「豊中市立市民会館おみおくり展(のおみおくり展)」
http://machigoto.jp/news/detail/?art_id=3559
http://www.toyo-2.jp/archives/38757619.html
・・・伊達さんは「ウクレレ」を始めとして、素晴らしい作品を創られています。
【中村貞夫】(1934~)
https://www.museum.osaka-u.ac.jp/2018-03-30-12108/
http://www.osaka-u.ac.jp/ja/news/storyz/ou_ogob/201303_nakamura_sadao
中村貞夫は、府立大手前高校在学中に新制作展に初入選し、大阪大学文学部仏文科に進んでからも小磯良平、伊藤継郎に師事。昭和44(1969)年に新制作協会会員に推挙され、翌年に安井賞展に出品。初期の抽象的傾向を見せる作品から中期の《燔祭》など絵具の材質感を意識した重厚な画風を経て、昭和60(1985)年からは《富士》の四季を描いた連作を発表し、大地のような物質感とミルクのように白く耀く大画面に雄大な風景を描く画風を確立しました。四大文明誕生の地に滔々と流れる河川の源流を旅し、“水”の流れを描こうと志したのが60歳の時。最初はナイル川の源流から河口へ、続いてパキスタンを拠点にインダスシリーズに取り組み、70歳を越えて黄河と対峙した成果は、平成24(2012)年、北京の中国国家博物館での日中国交正常化40周年記念事業「黄河ー中村貞夫展」などでも公開されました。最後のメソポタミアは政情不安な中、ノアの方舟伝説が残るアララト山に到達しています。
本展覧会は、中村の画業を大阪大学総合学術博物館と豊中市立文化芸術センターの二会場で公開。大阪大学総合学術博物館では学生時代の初期作から中期の作品、富士や四大文明の連作、制作の基礎となったスケッチなどを取り上げ、豊中市立文化芸術センターでは、四大文明を描いた中村の大作を展示し、混迷する世界情勢の中、人類の文明の根源、そして“光”を求めて世界を旅した美術家が各地で考え、見たものを二会場約50点の作品と資料で紹介します。また会期中、二会場にてミュージアム・レクチャー等、多数イベントを開催いたします。
1934大阪府生まれ、小磯良平、伊藤継郎に師事、1952新制作展初入選(以後、毎年出品)、1957大阪大学文学部卒業(仏文専攻)、1969新制作協会会員推挙、1970安井賞展に出品、1985梅田近代美術館にて富士シリーズの個展、1999新制作京都展でナイルシリーズの特別展示、2004兵庫県立美術館にてインダスシリーズの個展、2010兵庫県立美術館にて個展「四大文明を描く」開催。
《参考》「畑田家住宅当主・大阪大学名誉教授★畑田耕一」
中村貞夫は、大阪府★羽曳野市にある私の生家の一番大きな納屋をアトリエにして絵を描いている。彼の絵は大きい。小さな絵で大きな空間を描くのは難しいのか、それとも、雄大な空間は小さな絵では描ききれないという思いがあるのか、あるいは、アトリエが大きいからか、とにかく大きな絵を描くのが好きである。
・・・羽曳野つながりで、とても親近感が湧いてきます。作品も雄大で、新しい芸術センターも雄大で、気分爽快です。さて次は、もちろん「待兼山」へ。