トリプルイベント(5) | すくらんぶるアートヴィレッジ

すくらんぶるアートヴィレッジ

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

《難波神社》 

541-0059大阪市中央区博労町4-1-3/06-6251-8000  

http://www.nanba-jinja.or.jp/

★菖蒲神事(あやめ祭)6月8日 

反正天皇の創建と伝えられ、慶長2年(15977年)現在地に遷座。祭神はその父・仁徳天皇で、御神紋が「花菖蒲」であることから、境内で育った花菖蒲を御神前に御供えする神事です。祭典中、菖蒲を刈り取る所作のある神楽「菖蒲刈り」が二人の巫女によって舞われます。仁徳天皇が病に臥せっていた時「枕元に菖蒲を置くと良い」との夢告があり、その通りにするとたちまち快癒したという。難波神社が上本町から現在地に遷座した頃、老女が堀江に咲く花菖蒲を毎年旧暦5月5日に献上したという。これらの故事によりあやめが社紋となり、かつては夏祭の渡御に菖蒲台が加わっていた。昔はあやめと花菖蒲とは厳格に区別されていなかった。 

 

 

 

・・・「アヤメ」「花ショウブ」「カキツバタ」何度聞いても観ても、ごっちゃになります。どれもこれも美しいですが、「ショウブ」だけはまったく違う花です。

 

 

《御堂ビル「竹中工務店」大阪本店》設計:竹中工務店(岩本博行)1965 

541-0053大阪市中央区本町4-1-13/06-6252-4081 

https://www.takenaka-doboku.co.jp/company/osaka.html

幅広い御堂筋に向き合っても負けない建築の永続感を、どうしたら近代的なデザインで獲得できるのか。説得力のある解答を出したのが、このオフィスビルである。敷地境界より建物の四周をセットバックさせることによって、十分な空地を確保し、どの面も等しい環境をつくることに配慮されている。1階の床を道路から約1m下げてエントランスホールとし、9層のオフィス空間を合理的に確保した。最高高さ31mという当時の法的制約や周辺条件を逆手にとって建築の凝縮感を生み出し、茶褐色のタイルで覆われた外観によって都市的に統制された美と、日本の伝統建築につながる細やかな肌触りの両方を感じさせている。大阪に生まれ、竹中工務店の設計部長を務め、この翌年には校倉造りに範を取った国立劇場を竣工させた設計者★岩本博行の手腕が光る。 

【岩本博行】(1913~1991) 

http://www.takenaka.co.jp/design/architect/15/

 

 

《浄土真宗本願寺派/本願寺津村別院・大阪教区教務所「北御堂」》 

541-0053大阪市中央区本町4-1-3/06-6261-6796 

http://www.kitamido.or.jp/

 

※参考「お東さんとお西さん」 

http://www.hongwanji.or.jp/hongwanji/history.html

~略~天正19年(1591)秀吉の京都市街経営計画にもとづいて本願寺は再び京都に帰ることとなり、顕如上人は六条堀川の現在地を選び、ここに寺基を移すことに決められた。阿弥陀堂・御影堂の両堂が完成した文禄元年(1592)、上人は積年の疲労で倒れられ、50歳で往生された。長男★教如上人が跡を継がれたが、三男★准如上人にあてた譲状があったので、教如上人は隠退して裏方と呼ばれた。これには大坂本願寺の退去に際して、講和を受けいれた顕如上人の「退去派」と信長との徹底抗戦をとなえた教如上人の「籠城派」との対立が背景にあった。その後、教如上人は徳川家康に接近し、慶長7年(1602)家康から烏丸七条に寺地を寄進され、翌年ここに御堂を建立した。これが大谷派本願寺の起源で、この時から本願寺が西と東に分立したのである。

 

 

【杉本哲郎】(1899~1985) 

明治32年(1899)5月25日滋賀県大津市に生まれ、初め隣家の山田翠谷に絵の手ほどきを受ける。大正2年山元春挙の画塾早苗会に入塾、また同年京都市立美術工芸学校3年から京都市立絵画専門学校に入学し、同9年卒業する。11年第4回帝展に「近江富士」が初入選。翌年研究会白光社を結成し、これを機に早苗会を離れる。東洋古美術の研究を志し、同12年朝鮮、満州、中国を旅行。昭和10年には仏教美術の研究に着手し、高楠順次郎、松本文三郎に学ぶ。12年外務省文化事業部嘱託としてインドのアジャンタ洞窟壁画の模写に従事し、翌年セイロンのシーギリヤ岩崖壁画を模写、15年には満州史跡調査員としてモンゴルのワーリン・マンハ慶陵壁画模写に従事する。18年東本願寺南方仏教美術調査隊としてインド、クメール、タイ、スマトラ、ジャワなどの仏教美術を調査、26年インド・シャンチニケータン大学客員教授として教鞭をとる。44年★東本願寺津村別院壁画「無明と寂光」を完成後、同年福岡市メシア教本部から万教帰一の壁画「世界十大宗教」壁画の制作を依頼される。仏教より制作に着手し、46年ネパールからイラン、トルコ、イスラエルなど各地を巡り、ゾロアスター教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などを研究取材。12年をかけて制作を続け、53年十大宗教壁画の中心となる「神々の座-ヒマラヤ」を完成。すべてのシリーズを終えた。この間51年ブラジルより国際文化勲章(メーダラ・デ・メリート・インチグラシオ・ナショナール」を受章、59年京都市文化功労者となった。著書に『杉本哲郎画集及び画論』(昭和9年東京アトリエ社)『私の幼少年代』(38年京都白川書院)『こころの風景』(44年初音書房)などがある。1985年、急性呼吸不全のため京都市山科区の音羽病院で死去した。享年85。 

 

★生きた建築ミュージアム・大阪セレクション 

http://www.city.osaka.lg.jp/toshiseibi/page/0000266754.html

 

 

《大阪ガス》 

541-0046大阪市中央区平野町4-1-2

http://www.osakagas.co.jp/index.html

設計:南館「安井武雄(1884~1955)」北館「佐野正一」(1921~2014)/施工:大林組/竣工:南館昭和8年、北館昭和41年 

御堂筋に面した角地に白と黒のコントラストが美しい通称・ガスビルが建つ。1933年オープン。設計者は「大阪倶楽部」や「高麗橋野村ビル」などを手がけたことでも知られる安井武雄氏。8階にあるガスビル食堂は、ビル開業と同時にオープンし、いまも営業を続ける名物レストランだ。東京の帝国ホテルからシェフを招いての欧風料理は、当時の庶民の憧れの的だった。特製ガスビルカレーやハヤシライスなど、昔ながらのお馴染みメニューも健在。ビル1階にはガス器具展示場やホール、最新のガス調理器具を使った料理講習室などもある。建物は2003年(平成15)登録有形文化財となった。 

★ガスビル食堂物語 

http://www.osakagas.co.jp/gasbuil/index.htm

【佐野正一】 

http://www.yasui-archi.co.jp/works/detail/1966_osakagas/index.html

http://www.osakagas.co.jp/gasbuil/leaflet2/hito06.htm

1921年大阪市生まれ。東京大学工学部建築学科卒業後、鉄道省を経て(株)安井建築設計事務所入社。主な作品に「サントリー山崎蒸溜所」「大阪ターミナルビル」「サントリーホール」「東京国立博物館平成館」ほか。安井武雄は岳父です。 

 

・・・ガスビルには、ジミーちゃんの版画があるんですよ。知ってた?