トリプルイベント(1) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・おおさかの街は、イベント盛りです。まずは、 

 

《e-よこ逍遙2018》 

2018年5月14日(月)~6月14日(木) 

主催:東横堀川水辺再生協議会(e-よこ会) 

http://e-yokobori.jp/

東横堀川界隈を愉しむ一ヶ月―「eよこ逍遥」今年も開催します。まちあるきやコンサート、特別見学会など、多彩なイベントを通じて水辺やまちの魅力をたっぷりお楽しみください。イベントプログラムや界隈のお店、スポット情報などはパンフレット をご確認ください。 

※逍遥=気ままにあちこちを歩き回ること。そぞろ歩き。散歩。 

 

・・・2017も参加させていただいたので、今年は何か新しい経験ができればと、 

★「文人煎茶を愉しむ」主催:一茶庵宗家・易社 

http://nagomian.blog.so-net.ne.jp/archive/c2305512533-1

2018年5月15日(火) 29日(火) 19時~21時 

場所:「一茶庵」中央区大手通1-1-1 

https://blog.goo.ne.jp/ipc_watanabe/e/92cec0d968da9d84e0dd6914d7134a2e

一茶庵は、煎茶を通して中国や日本の文化を学ぶ学舎です。★「登録有形文化財」に指定されている草庵で初心者も気軽に煎茶を楽しんでいただき、非日常時空を体験していただきます。【要申込】 参加費:3,500円/申込み:易社事務局 090-3658-7804 

Eメール:ipc@wa2.so-net.ne.jp 渡邉(わたなべ)まで

 

 

《佃家煎茶室主屋・土蔵》登録年月日:20150326 

540-0021大阪市中央区大手通1-1/06-6941-8001 

http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/266842

http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/281443

昭和中期の木造平屋建煎茶室。中央区大手通に所在。谷町筋から大手通りを西に入ってすぐ南面する。煎茶一茶庵・家元稽古場。十一畳半の「霊篁」及び七畳半の「梅渓」の茶室二室と、立礼席「蘭風」、廊下等からなる。丸太や面皮柱、竹の良材や古木などを用いた数寄屋意匠を基調とし、要所に中国風や草木形の造作を付す、趣向を凝らした煎茶室の優品。 

主屋の南西に建つ。土蔵造二階建本瓦葺の土蔵で、昭和一六年に煎茶室「独楽」に改修された。一階床は土間で磚を敷き、天井は大引天井とする。西面の壁には縦長の両開きガラス窓を二箇所設け、桟は中国風の意匠とする。大阪市街地に残る希少な近世の土蔵。 

 

《参考》登録有形文化財(建造物)★10000件記念イベント/文化庁 

http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/yukei_kenzobutsu/yukeibunkazai_event.html

平成8年に登録文化財制度が始まって以来、制度の普及とともにその件数が着実に積み重ねられています。建造物の登録についてはこのたび10000件を超えることとなり、これを記念して平成27年1月15、16日、庫県神戸市でイベントが開催されました。これまでに地域の個性を彩る建造物が各地で多数登録され、まちづくりや地域活性化に活かされています。これからは制度の成熟と、文化財の保存や活用を支える人材の育成などが一層重要なものになってくると考えられます。

 

 

【佃一輝】(1952~) 

http://www.human-n.co.jp/issa-an/

佃家は、16世紀から連歌、花、茶道など日本の文人文化を連綿と受け継いできた家柄で、幕末のころ煎茶道を中心に文人文化の諸芸をまとめ、今日に至る。 

佃一輝一茶庵宗家、号は無祿。亦石。古典の文人趣味、煎茶趣味を継承する一方、古典のメソッドを基にした現代人の煎茶サロンの創設に取り組んでいます。90年代にセザンヌ、ピカソやウォフォール、ポロックなどと、中国官窯陶磁器の名品との大胆でアーティスティックな取り合わせによる煎茶会が注目され、1995年には、そのコンセプトを「婦人画報」誌に一年間連載。また、1993年からは大阪・東京で「煎茶サロン・ワークショップシリーズ」を企画、指導し、江戸時代以来の煎茶趣味の内容を学ぶ会を催しています。1998年から東京で「有以社」、1999年から大阪で「三古社」という煎茶趣味のグループを創設し、幕末以来の煎茶結社運動を展開するとともに、一流派に属さない古典煎茶の復興を呼びかけています。1995年と1997年にロンドン大学で行われた「18世紀関西コンファランス」での文人について連続発表、1997年大阪市立美術館での特別展「煎茶美とそのかたち」、1998年静嘉堂文庫美術館「館蔵煎茶具名品展」でのシンポジュームおよびパフォーマンス、国立国際日本文化研究センターおよび静嘉堂文庫での共同研究。「文人趣味」と「煎茶趣味」についての学術的な考究の場づくりや、 紹介のための活動にも力を注いでいます。 

主な著書:『煎茶の旅~文人の足跡を訪ねて~』(大阪書籍/1985)『おいしいお茶9つの秘伝』(NHK出版2000)など、「講座茶の湯全史第二巻」(思文閣出版)に「煎茶の理念と表現」を掲載。

 

 

・・・まったく何の予備知識もなく、飛び込んでみることにしました。ちょうど取材された方が報告ブログを書いておられましたので、そのまま掲載させていただきます。

 

★新茶のまろやかさを楽しむ(一茶庵「易社」) 

https://blog.goo.ne.jp/ipc_watanabe/c/1ff07e8a5c4de55bb44d394f42a3e857

大阪東横堀川水辺再生協議会の「e-よこ逍遥」イベントに合わせた、一茶庵煎茶の公開稽古があった。いまは新茶の季節とあって、この春に摘んだお茶を参加された方々と一緒に賞味させてもらった。まずは烹茶法(ほうちゃほう)。水が入った急須を涼炉にかけて沸かし、湯気が立ちはじめたらお茶を入れる。新茶のまろやかさを味わえる淹れ方で楽しんだ。続いて、煮茶法(しょちゃほう)で少し渋味を楽しんだ。急須に茶葉をいれ水を注ぐ。涼炉にかけて湯気が立つまで待つ。水から煮る淹れ方なので渋みと新茶の甘味が賞味できる。新茶は立春から八十八日目に摘む。唱歌の歌詞にあるように"夏も近づく"季節、つまり立夏の2日前である。これは標準茶所「宇治」を示して八十八夜とされている。参加された皆さん全員がお点前を体験され、宗匠のお茶談義に華が咲いた。 

 

《参考》全日本煎茶道連盟 

http://www.senchado.com/

日本における煎茶道の開祖は、江戸時代初期に禅宗の一つである黄檗宗を開いた隠元隆琦とされている。このことから、現在も★全日本煎茶道連盟の事務局は京都の黄檗山萬福寺内に置かれ、同連盟の会長は萬福寺の管長が兼務することが慣わしとなっている。18世紀、茶道の世界において形式化が進みつつあったことへの反発に加え、煎茶自体が当時最新の中国文化であったことなどから、形式にとらわれずに煎茶を飲みながら清談を交わす、いわゆる「煎茶趣味」が文人の間で急速に広まった。中でも売茶翁と呼ばれる畸人の禅僧は、道士服を着て簡単な茶道具を持ち京都の各所で定価を定めず煎茶を供し評判となった。「茶の湯」が侘びを重んじたのに対し、売茶翁をはじめとする煎茶愛好者たちは、古代中国の隠遁する賢人のような自由と精神の気高さを表す風流を重んじた。しかし売茶翁の死後、煎茶道はその弟子たちによって茶道具に対する崇拝、血統、体系化された儀礼、独自の作法や美意識といった形式に支配されカルト化していった。この動きの中で、主に「より美味しいお茶を味わうため」の技術を追求する目的に加え茶道の流儀などを参考とし、一定の形式や礼法を定めた「宗匠派」と呼ばれる一派も生まれる。こうした伝統の出現により、茶の栽培や加工製茶業が発展し、煎茶は江戸や京都・大坂を中心に上流階級に広く普及した。その後明治・大正期の文明開化の流れの中で西洋文化がもてはやされたことから、中国文化に由来する煎茶道は一時衰退を余儀なくされるが、昭和に入り煎茶道を復興しようとする動きが各地で盛んとなり、1956年には全日本煎茶道連盟が設立される。1960~1970年代には煎茶道は一時隆盛を迎えるが、近年煎茶の大衆化が進むにつれ煎茶道への関心は薄れてきており、現在動きは停滞している状況である。2017年現在全日本煎茶道連盟には36の流派が加盟しているほか、連盟に非加盟の小流派も多数存在する。いわゆる三千家が支配的な地位を占める茶道と異なり、煎茶道においては多数の小流派が乱立している状態が続いている。

 

 

・・・「茶道」「煎茶道」いずれにせよ、楽しく健康に「喫茶」することですなあ。私には「茶漬道」が似合ってる、そんな日常です。 

 

《参考》『喫茶の歴史──茶薬同源をさぐる』著:岩間眞知子 

http://kanjibunka.com/shinkan/shinkan-shoukai/shinkan-2230/

「茶」について古代から江戸時代までの中国と日本の医薬書・史料を渉猟した著者が、新たに明らかになった「薬としての茶」を、紹介・解説する。中国古代の理想の帝王「神農」が、毒にあたっても茶で解毒したのは本当か。栄西はなぜ『喫茶養生記』で茶と桑による養生法を書いたのか。数々のエピソードを交えながら、中国と日本の茶の交流史を明らかにしつつ、茶の効能と歴史を追う。中国の医薬の祖という伝説の帝王「神農」には、「七十二毒に当たるも茶で解いた」という逸話がある。最古の茶書、陸羽の『茶経』でも「茶の飲用は神農氏に始まる」としており、現代中国や日本の多くの茶書で、後漢一~二世紀の成立とされる現存最古の本草書『神農本草経』にこの逸話があると記されている。一方で、本草書に茶が採録されるのは唐代の『新修本草』と記すものある。ところが、著者が『神農本草経』にあたっても、茶が神農の解毒剤となったという記事は出てこない。ならば、実際に神農の逸話はどこにあるのか、茶はいつから文献に現れるのか。著者の追究が始まる。「茶」を表す文字の変遷の跡づけを含め、謎解きを見るようである。日本を顧みると、最初の茶書とも養生書ともされる栄西の『喫茶養生記』の特異性を指摘している。中国から入ってきた養生論の流れからみると、導引や房中などの養生術には触れられず、密教の加持と茶と桑の摂取のみ取り上げられているという点である。栄西は何故そのような養生書を書いたのか、新資料も交えその意図を明らかにしていく。本書のように歴代の各種史料を「茶」で縦断した類書はなく、東洋医学・漢方・養生に関心のある方、茶とその受容に興味を持つ方には、ぜひお読みいただきたい。

 

 

《参考》煎茶の祖・茶神「高遊外売茶翁」(1675~1763) 

http://www.kouyugaibaisao.com/whats/index.html

 

・・・あまり難しいことはわかりませんが、また「煎茶」してみたいものです。