・・・奈良・香芝の「アマガエル」を紹介しましたが、私が参加している「主題派」の代表が香芝に住んでおられ「アートサロン」を主宰されています。馬見丘陵の花も奇麗なので来ないかと、お誘いをうけました。
https://yosh1520.exblog.jp/18106070/
《別所》
http://www.city.kashiba.lg.jp/shisei/0000000824.html
開墾地を意味する「別所」という説や、国郡司の次官が別に居を構え政務を執る所、国府に対して別府の意味を持つ郡家的なものとする説などがある。
《真美ヶ丘》
昭和61年、馬見丘陵地帯の土地区画整理事業で設定され、「馬見の丘」からの音意。
・・・絵や陶芸だけでなく、俳句もされており、頭さがります。
真田丸在りし地も見て翁忌へ
円城寺素通りをして薬喰
雑草の目立つ田なれど稲黄ばむ
秋潮の潮目さだかに鯔跳ねる
・・・そう言えば以前「松瀬青々」について教えていただいたことを思い出しました。
【松瀬青々】(1869~1937)
http://www.city.osaka.lg.jp/fukushima/page/0000000858.html
http://www.oml.city.osaka.lg.jp/index.php?key=mue577o40-8993
大阪市出身の俳人、「倦鳥」を創刊・主宰。関西俳壇でホトトギス派の俳人として重きをなした。代表句に「雨雲のよせつゝ凄き火串かな」「日盛りに蝶のふれ合ふ音すなり」などがある。初期には与謝蕪村に傾倒して天明調の句を詠み子規に賞賛されたが、のちには芭蕉に傾倒しその研究に努めた。
・・・小さなお庭ですが、手入れも届いており四季折々の草花や果物、珍しいものも多くありました。ほんのりほんわか、地域のつながりが伝わってきました。近くの「広陵町」で古墳の一般開放があるというので行ってみました。
★「牧野古墳」石室公開(広陵町)
2018年5月3日(祝)~20日(日)の土曜、日曜、祝日
https://www.town.koryo.nara.jp/contents_detail.php?frmId=26
馬見北8丁目の牧野史跡公園に巨大な横穴式石室を持つ牧野(ばくや)古墳があります。普段は閉鎖していますが、春の行楽シーズンにあわせて広陵町文化財ガイドが石室を開けて内部の説明をします。町営石塚霊園の中にある三吉石塚古墳もガイドします。ぜひ、お越しください
丘陵の奥部にある直径約60メートルの大型円墳で、墳丘は三段築成で造られ、二段目に横穴式石室が開口している。玄室の長さ6.7メートル、幅3.3メートル、高さ4.5メートル、羨道の長さ10.4メートル、幅1.8メートルで、全長17.1メートルを測る大型石室である。玄室内には奥壁に沿って横向きに刳抜式の家形石棺が安置され、その手前には組み合わせ式の家形石棺が置かれていたと考えられている。石棺は、ともに大部分が破壊されていたが副葬品は意外に多く残されていた。装身具類は金環、金銅製山梔玉、ガラス小玉、粟玉が、馬具は木心鉄地金銅張の壺鐙や、縁金具のある障泥、心葉形の鏡板と杏葉等が二組分出土してる。武器は、銀装の大刀と400本近い鉄鏃があり、羨道に集中していた容器類のなかには、木心の金銅張容器と総数58点の須恵器があった。古墳時代後期末葉の古墳で、舒明天皇の父である押坂彦人大兄皇子の成相墓の可能性が高い。
・・・いやあ、大きさ高さに感動です。石舞台古墳につぐ大きさだということですが、むき出しの石舞台と違って、迫力ありました。
《三吉石塚古墳》
新木山古墳の西に築かれた東向きの帆立貝形古墳で、墳丘全長45メートル、直径41.4メートル、高さ6.5メートルの後円部に幅22メートル、長さ7メートルの短い前方部が付く。周囲に馬蹄形の周濠が掘られ、さらに外堤があり、堤を含めた全長は62メートルとなる。墳丘は二段築成で、二段目には円筒埴輪の他に蓋、短甲、家形埴輪が立てられていた。墳丘と周濠には葺石(ふきいし)が施され、葺石の作業単位がよく残る。前方部の南東隅には張出部が設けられ、周濠幅が狭くなっている。埋葬施設は未調査で、埴輪から古墳時代中期後葉の築造と考えられる。古墳の遺構を盛土で保存した上に、かさあげ方式で築造当初の姿に★復元整備してる。円筒、朝顔形埴輪は、出土遺物に基づいて製作した複製品を設置し、葺石も築造当時の積み方で葺いている。
・・・いろいろと探索・散策したくなりますね。「三吉石塚古墳」では町長さんとお会いすることもできたし、蛙石もあり、はるぱる行った甲斐がありました。