《NEWS》2018.4.12のりものニュースより
築110年の駅舎、復活/南海・浜寺公園駅の旧駅舎、カフェなどで営業開始
堺市と南海電鉄、浜寺昭和校区まちづくり協議会、NPO法人浜寺公園駅舎保存活用の会は2018年4月12日(木)、浜寺公園駅(堺市西区)の旧駅舎について、15日(日)からカフェなどととしての営業を開始すると発表しました。浜寺公園駅は1897(明治30)年に開業。1907(明治40)年に木造平屋建ての旧駅舎に建て替えられました。この旧駅舎は、東京駅丸の内駅舎などの設計で知られる辰野金吾が主催の辰野片岡建築事務所が設計。1998(平成10)年には大手私鉄の駅舎で初めて国の登録有形文化財に登録され、2000(平成12)年には「近畿の駅百選」にも選ばれました。駅は、南海本線(堺市)連続立体交差事業に伴い、2016年1月から仮駅舎に切り替え。旧駅舎は保存・活用を目指し、2017年11月と12月に、建物を丸ごと移動させる曳家(ひきや)工事が行われ、30m先の現在の場所に移設されていました。旧駅舎には、カフェ・ライブラリーをはじめ、絵や手芸品を展示するギャラリー、イベントホールなどが設けられます。午前10時から17時まで営業(火曜定休。祝日は営業)。運営は浜寺公園駅舎保存活用の会が担います。15日(日)午前10時からは、オープニングセレモニーが開かれる予定です。
・・・様々な先行事例から学んでいきたいと思い、訪問しました。
《NPO法人浜寺公園駅舎保存活用の会》
平成20年9月に、堺市が「浜寺公園駅及び諏訪ノ森駅駅舎保存活用構想」を策定して、南海本線の連続立体交差事業で撤去される駅舎の保存と活用が、地元の手で行うことが決まりました。二つの駅舎のうち、浜寺公園駅の駅舎については、保存活用事業を受託する受け皿として、当NPO法人の設立が企画され、堺市の認証を受けて、平成 24 年4月2日に登記が完了しました。その後4年半が経過して、連続立体交差事業も、用地の準備がほぼ完了して、本格的に工事に取りかかる段階に入っております。本年 1 月には仮駅舎が完成して、それまで使用していた駅舎での業務が終了しました。その後、この駅舎を工事に支障が無い場所に移設して保存活用するための準備が進行しています。その中で、平成 28 年9月30 日に、堺市と南海電鉄とNPO 浜寺公園駅舎保存活用の会が所属する浜寺昭和校区まちづくり協議会の間で「浜寺公園駅舎試験活用事業に関する協定書」が調印されて、10月1日に事業が発足しました。この試験活用事業は、連続立体交差事業の進捗に合わせて、約7年間にわたり継続して 実施されます。その後、新しい高架駅が完成にすると、駅舎は新駅の玄関口に設置されて、本格的な保存活用事業として運用されるようになります。当法人は、国の登録有形文化財である浜寺公園駅舎を利用して、様々な事業を展開して地元住民のみならず、広い地域からの訪問客も来て頂いて、お互いの交流を深めて、活力あるまちづくりを推進致します。この駅舎の活用事業の開業は、平成29年末に予定されています。それまでの準備の手始めとして、このホームページを開設致しました。お気軽にご訪問頂き、当会の活動や浜寺の歴史などをご覧いただければ幸いです。駅舎の活用計画では、ギャラリーやカフェ・ライブラリーなどの営業を致します。また、その他の催し物などのご案内も掲載致します。平成 28 年 11 月 理事長・平山芳弘
《参考》旧駅舎の保存・活用に見える堺市のまちづくりのあり方。浜寺公園駅、諏訪ノ森駅の今後は?
https://www.homes.co.jp/cont/press/reform/reform_00526/
2014年、堺市は、南海電鉄南海線の「浜寺公園」駅(築110年)と「諏訪ノ森」駅(築98年)の旧駅舎と、高架化するそれぞれの新しい駅舎、駅前交通広場などのデザインコンペティションを実施した。コンペを実施する前に堺市は、市民を含めたワークショップや勉強会、有識者をまじえた懇話会を行った上で、古い駅舎の保存・活用を選択した。コンペでは、駅舎を中心に高架部分が周りの景色とうまく調和する案が求められた。選考委員の一人である近畿大学★久隆浩教授(総合社会学部環境系専攻)は、「旧駅舎や新駅舎、広場を一体とする中で、新しい駅舎だけが目立つのではなく、都市空間として全体をどう考えるか、アーバンデザインが問われました」と話す。
浜寺公園駅の旧駅舎は、新しい駅舎の1階、エントランス部分に組み込む形で残すことになった。旧駅舎の中央部分は利用者が往来する通路となるが、両側部分は駅への来場者が集い、憩う場とする。現在の駅舎のプラットフォームの屋根を活用した庇などの設置も検討されている。夜間には旧駅舎をライトアップするなど、かなり旧駅舎を主張するデザインだ。一方、諏訪ノ森駅は、浜寺公園駅と同様、次世代へ文化的価値が継承できるような保存的活用をめざすことでは一致しているが、旧駅舎は新駅舎から離し、駅前広場の東側の一角に配置する。旧駅舎にはステンドグラスがはめ込まれていたが、高架になった新駅舎の壁面には、ステンドグラスを彷彿とさせる意匠を使うなど、元々のデザインを大切にしている。(中略)一言で地域住民といっても千差万別だ。同じ最寄り駅を使っていても、まちや駅に対する意識は違うし、価値のある建築物だからといって、残してほしいという思う人もいれば、全く無関心な人もいる。どれほど愛着があるか、人それぞれ。だからこそ、何らかの形で住民が顔を合わせ、事業者や自治体とともに話し合うステップが必要だ。これは、駅舎を核にした「まちづくり」の事例ともいえる。前出の久教授はこれまで、いろいろなまちづくりに関する勉強会や講演会でアドバイスを行い、住民のまちづくりへの参画を支えている研究者だ。浜寺公園と諏訪ノ森の二つの旧駅舎の保存・活用でも提言したり、コンペの選考委員の一人してかかわった。「まずは住民が議論して、いろいろな人の意見をフランクに出すことが大切です。その時には、一部の声に引きづられないように、みなが話し合って納得した上で、保存活用という結論に向かうのがいい。ただし、地域住民の合意形成はそんなに簡単なことではありません」と久教授は言う。(中略)
浜寺公園駅と諏訪ノ森駅の旧駅舎保存活用が比較的スムーズに進んだのは、2つのコツがあったという。「堺市は浜寺公園駅舎を『東京駅のお兄さん』と呼びました。辰野金吾が設計した東京駅より前にできた価値のある建物だと、★上手な広報活動をしたのです。そして、議論の場に地域住民、鉄道会社、連続立体推進課の職員、私のような第三者の専門家に加え、“高架化事業の担当者ではないけれど★地域をよく知る区役所の職員”を入れたこと。そのおかげで、事態が紛糾したり、誰かが怒りだしたりするような事態にはなりませんでした」と言う。(中略)隣り合う浜寺公園駅と諏訪ノ森駅の住民たちは、駅の保存・活用という同じ課題にあたっているが、コミュニティは別々だ。両駅の高架化は20年にも及ぶ長期事業であり、民間活用が本格化するのは10年後。今までコミュニティを支えてきた人もいずれ高齢化し、旧駅舎活用が始まる10年後には入れ替わっているかもしれない。10年後を見据えるならば、★将来を担う世代を巻き込む必要もある。長くかかるプロジェクトに対しては、まちの担い手も上手なバトンタッチが問われる。多世代につながるネットワーク型★コミュニティを形成し、ハードだけではなくソフトも含めてどう運営するかを考えることがこれからの鍵となる。歴史的に価値がある建築物だといって、全てを残すのが無理なこともある。保存と活用のバランスをどう考えるか、地域の歴史や文化をどう継承するか、地域の担い手はどう動いたらいいのか、どんな地域の調整役を加えればいいのか…。浜寺公園駅と諏訪ノ森駅の駅舎は、そんなまちづくりのあり方のヒントをくれる。
・・・「諏訪ノ森駅」にも行ってみました。