《江戸の戯画-鳥羽絵から北斎・国芳・暁斎まで》
平成30年4月17日(火)~6月10日(日)
http://www.osaka-art-museum.jp/sp_evt/edonogiga
於:大阪市立美術館/543-0063大阪市天王寺区茶臼山町1-82
【前期】4月17日(火)~5月13日(日)
【後期】5月15日(火)~6月10日(日)
・・・会期中「展示替えあり」というのが★「くせ者」で、京博「国宝展」も2回行きましたが、この「戯画展」も2回目です。かけ替えられている作品はごく一部で、大半は同じなのです。なんとも無駄なように思うのですが、観たい作品があると仕方ないですよねえ。
【鳥羽絵】
広く戯画や漫画を指す言葉として使われることもありますが、より限られた意味では、18世紀に★大坂を中心に流行した軽妙な筆致の戯画を指します。そこに描かれる人物は、目が小さく、鼻が低く、口が大きく、極端に手足が細長いという特徴を持ち、その名は国宝★「鳥獣人物戯画」の筆者と伝えられてきた鳥羽僧正覚猷に由来するものとされます。鳥羽絵は、18世紀の大坂で鳥羽絵本として出版され、その人気は明治にまで及びました。また、上方に留まらず、江戸の浮世絵などにも影響を与えています。鳥羽絵を洗練させたとされる大坂★「耳鳥斎」はもちろん、鳥羽絵本の」など、時代や地域により変化しながらも、★笑いの感覚は脈々と受け継がれてきました。
・・・「鳥獣戯画」も展示されていましたが★「摸本」です。
《参考》摸本のむこうにあるもの「黒川古文化研究所」より
美術史を研究する上でも、作品の真模の判断が重要であることは言うまでもない。真筆が現存するにこしたことはないが、中国書画の場合、その歴史が長い分、文献上には名前が残されるものの、真筆は王朝の交代や経年による劣化で失われ、かろうじて模本によって作風が伝えられている書人・画人も少なくない。そのため模写による写し崩れや、新たに付加された要素を見抜き、本来、原蹟に存在していたであろう美質を抽出していくことが重要な課題となってくる。孔子は、「十代のちの王朝のことが分かりましょうか」という弟子の問いに対して、彼が理想とする周の制度を代々の王朝が「損益(減らしたり足したり)」する部分があるにせよ受け継いでいくならば「周を継ぐ者は百世といえども知るべきなり」と述べた(『論語』為政)。変遷しながらも古典が脈々と伝えられていくという中国の文化構造は、書画の場合にも当てはまるように感じられる。
★ただ、模本を用いて美質を述べることは、見極めを誤れば過褒にもなり、様式史の構築にも影響する責任の重い行為である。正しい理解を得るためには、同時代や前後の時代の作品、文献資料の幅広い蓄積と、それに基づく徹底した思考が必要であり、その成果を世の中に提供していくことは、研究者の務めである。筆者はこれまで、董源、李成など唐宋の画家について模本を基に論考を発表し、今回の紀要(『古文化研究』 12 号)でも明の逸伝画家・紀鎮の画馬について模本を利用して考察を試みたが、たまたま耳にした一言によって、模本のもつ意味やそれを研究対象とする責任を改めて心に刻んだ一日となった。書は絵画以上に芸術としての成熟が早く、模本についても既に唐代には、双鉤填墨(敷き写しして文字の輪郭を細線でかたどり、内部を墨で埋める技法)による精巧な模本が作られている。会場の売店で求めた下記の書には、王羲之の尺牘(手紙)の拡大画像が載っており、双鉤填墨の実例がどのようなものかを知る上で非常に参考となった。興味をもたれた方は参照されたい。
・・・科学技術の進歩により、いとも簡単に「複製品・レプリカ」が作れるようになっている。過去の「摸本(アナログ)」と現代の「複製品(デジタル)」さらには「贋作(犯罪)」「模倣(パクリ)」や「コピー(印刷)」という概念も含めて整理する必要があるように思う。もとより、戯画や漫画は世の中にある出来事をおもしろおかしく、そしてわかりやすく表現することが本来であって、当然そこには皮肉・批判が含まれ似顔絵や★「バロディ」が手法として用いられる。今回の「江戸の戯画」では、あらためて「まねぶ(真似をする)」ことについて考えさせられました。
・・・当然のことながら、暁斎さんの「カエル」の素晴らしさ、と同時に「ネコ」もいいなあと思いました。