・・・「主題派」や「群展」メンバーの個展がありました。
《茶臼山画廊》
543-0063大阪市天王寺区茶臼山町1-11/06-7502-1055
http://www.art-express.co.jp/guide-net/osaka/chausuyama/
《参考》「茶臼山」
https://osaka-info.jp/page/chausuyama-tennoji-park
四天王寺の南西に立つ茶臼山は、5世紀ごろの全長200m近い「前方後円形古墳」であるという説がなされている。しかし1986年の発掘調査結果によると、古墳に欠かせない葺き石や埴輪が全く見つからなかった。一方、規則正しい作られ方をしている盛り土は、堺市の大塚山古墳や御勝山古墳にも共通していることから、茶臼山が古墳丘ではないとも断定できず、専門家の間で議論が繰り広げられ、結論が出されていないのが現状だ。大阪冬の陣では茶臼山一帯が★徳川家康の本陣となり、大阪夏の陣では★真田幸村の本陣となって「茶臼山の戦い」の舞台となったことはよく知られる。
https://www.travel.co.jp/guide/article/13659/
《ギャラリー香》
542-0071大阪市中央区★道頓堀1-10-7/06-6212-7750
http://www.midosuji.co.jp/index.html
《参考》「道頓堀」
道頓堀は、人の名前が由来です。由来となったのは大阪の商人、★成安道頓(なりやす・どうとん)。苗字が「安井(やすい)」であったという説もあります。
【成安道頓】
https://www.osaka21.or.jp/web_magazine/osaka100/016.html
道頓は、大坂平野郷(現在★平野区)の上層階級である七名家の一つ、成安家の出身である。七名家は代々惣年寄(町奉行の差配を受けて町政を司る役職)を担い、道頓は豊臣政権下の慶長17年(1612)、新川(現在の道頓堀川)奉行に任命された。そこで八尾・久宝寺出身の安井治兵衛や平野出身の平野藤次郎らの助けを得て、開削工事を指揮したのである。工事の目的は、舟運の便を開くことであった。さらには田畑への用水や飲料水の確保に加え、開削土を利用して周辺の湿地帯を造成し、新たな町を開発することであった。ところが着工翌年に安井治兵衛が病死し、慶長20年(1615)には大坂夏の陣が勃発。工事は中断し、豊臣家に従軍した道頓は、同年5月7日に大坂城中で戦死してしまった。その後、戦後復興を任された松平忠明(摂津大坂藩主)は、安井九兵衛(道卜:どうぼく)や平野藤次郎たちに工事の再開を命じ、同年11月にようやく完成したのである。忠明は道頓を悼み、新川を「道頓堀川」に改名する沙汰を出したといわれている。とはいえ、徳川方の敵にあたる道頓の名をあえてつけたのはなぜか。作家の司馬遼太郎(1923~1996)は小説『けろりの道頓』の中で、「江戸から来た忠明にすれば、大坂町人の人気を得るために、それがいちばん効果的だと考えたのであろうか」と述べている。
・・・そして、「主題派」の搬入日となりました。
・・・にぎやかで、活気があって汗ばむほどです。
・・・今回の作品は「おとなしいなあ」と冷やかされました、ハハハ。
《ギャラリー香》
542-0071大阪市中央区★道頓堀1-10-7/06-6212-7750
http://www.midosuji.co.jp/index.html
第122回「主題派美術」会員展
2018年5月10日(木)~15日(火)
・・・どうぞご高覧ください。新歌舞伎座跡「ホテルロイヤルクラシック大阪」も、ずいぶん高くまでできてきました。楽しみです。