・・・何気なく、ふらっと立ち寄った「平野区民ホール」に、
《大阪市立平野区民ホール》
547-0031大阪市平野区平野南1-2-7/06-6790-4000
https://www.osakacommunity.jp/hirano/sisetu_b.html
★長原高廻り1・2号墳出土の埴輪
http://www.occpa.or.jp/ikou/haniwa_gallery/ikou_01_01.html
長原高廻り1・2号墳は、1987年に大阪市平野区の長原遺跡で行われた発掘調査で発見された。両古墳とも埋葬施設は失われていたものの、周溝から多くの埴輪が出土した。一般に小規模古墳からこれだけ豊富な種類の埴輪が出土した例はなく、4世紀末葉~5世紀前半の古墳に樹立された埴輪のセット関係がわかる絶好の一括資料である。個々の埴輪の遺存状況も良好であり、原始美術の観点からも貴重な資料といえる。 1992年に、33点の埴輪が国指定重要文化財となった。
《長原高廻り古墳群》
大阪市平野区長吉長原2-14(市営長吉長原住宅内公園)
http://www.city.osaka.lg.jp/hirano/page/0000210330.html
http://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000009240.html
1987年(昭和62)この地から5世紀前半の円墳と方墳が発見された。墳丘は削りとられていたが、堀内から出土した船形埴輪・家形埴輪など33点の埴輪は国の重要文化財に指定されている。特に、船形埴輪は1989年、大阪市制100周年を記念して「古代船なみはや」として復元され、実際に韓国釜山までの航海を行なった。現在では、石柱とともに、この付近の歩道に船形のモチーフがはめられている。
・・・「平野区役所」2階ギャラリーのガラス壁にも、「舟形埴輪」が刻まれています。
《コミュニティプラザ平野(平野区民センター)》
547-0011大阪市平野区長吉出戸5-3-58/06-6704-1200
https://www.osakacommunity.jp/hirano/sisetu_a.html
・・・まだ見たことありませんが、ここに「市立埋蔵文化財収蔵倉庫」があります。ホールに、少しは展示物があります。
《大阪文化財研究所「埴輪ギャラリー」》
http://www.occpa.or.jp/ikou/ikou_00.html
平野区の長原古墳群からは200基を超える古墳が発見されています。今回は高廻り1・2号墳出土を中心に、市内から出土した埴輪を紹介します。船、馬、武人、家、鳥などから、当時の生活を想像できます。中には重要文化財に指定されているものもあり、大変貴重な埴輪たちです。
http://www.occpa.or.jp/ikou/haniwa_gallery/ikou_01.html
★船形埴輪(重要文化財:文化庁所蔵)高廻り1・2号墳
http://www.occpa.or.jp/ikou/haniwa_gallery/ikou_01_02.html
高廻り1・2号墳からはそれぞれ異るかたちの船形埴輪が出土した。これらは当時の船の構造やその変化を考える上でも好材料である。ともに外洋船と考えられ、古墳時代のダイナミックな国際交流を彷彿させる。
《参考》長原40号墳出土盾形埴輪
http://www.city.osaka.lg.jp/kyoiku/page/0000008891.html
長原古墳群は平野区の長原遺跡に包括される埋没古墳群で、開発に伴う発掘調査によって現在までに200基以上が発見されている。大多数の古墳は1辺10m以下の小方墳で、5世紀代に築かれているが、初期の4世紀後半~5世紀初頭に築かれた古墳はやや大型で、方墳の他に円墳がある。塚ノ本古墳(直径55mの円墳)、一ケ塚古墳(直径47mの円墳)、高廻り1号墳(1辺15mの方墳)、同2号墳(直径21mの円墳)などが初期の古墳で、長原40号墳も出土埴輪の特徴からこの時期に属する古墳とみられる。40号墳が発見されたのは昭和50年(1975)のことで、トレンチ調査による部分的な検出にとどまったが、方墳(規模不明)と推定されている。盾形埴輪が発見されたのは墳丘の平坦面上で、盾面を上にした横倒しの状態で掘形内に埋納されていたことから、埴輪棺に転用されたものと考えられている。盾形埴輪は大型の円筒部の全面に長方形の粘土板を貼り付けて盾面としている。円筒部の下端部は欠損しているが、10段分が遺存している。下から2・4・8段目に円形のスカシ孔が穿たれている。盾面は、輪郭にそって2条1組の線刻を施し、内側に「日の字」形の区画を設ける。区画の外側は鋸歯文を描き、内側には横方向の平行線帯と鋸歯文を入れる。外側の輪郭線の四隅から内側の区画の角に向かって放射状に線刻がある。このような文様構成の盾形埴輪については、木製の盾を模したものとする説がある。盾面を縦断するように黒斑がある。埴輪棺として地中に埋められていたため、遺存状態は非常に良い。西日本のこの時期の埴輪で良好に復元された器財形埴輪の例は少なく、重要文化財に指定されている高廻り1・2号墳から出土した埴輪と共に、貴重な資料である。
《大阪歴史博物館》
540-0008大阪市中央区大手前4-1-32/06-6946-5728
http://www.mus-his.city.osaka.jp/news/2017/H30_nenkan_schedule.html
●特別展「はにわ大行進 ―長原古墳群と長原遺跡―」
2019年1月26日(土)~2019年3月17日(日)
大阪市平野区には推定1,000基を超える長原古墳群が埋もれています。今回古墳群から見つかった埴輪を★はじめて一堂に集め、葬られた人々が暮らした長原遺跡の集落跡を紹介します。百舌鳥・古市古墳群が造営されたころ、5世紀の大阪に暮らした人々の生活・生産・交流に迫ります。
・・・特別展は来年(2019)ですが、現在「大阪歴史博物館」には「船形埴輪」2種類展示されています。
http://www.oceandictionary.jp/scapes1/scape_by_randam/randam11/select1143.html
大阪市平野区の長原遺跡・高廻り1、2号墳で発掘された古墳時代中期・4世紀末~5世紀初の埴輪である。説明書きによれば、船形埴輪は5世紀前半の例が多く、いずれもが船底に丸木舟を用い、舷側に板材を組み合わせた準構造船となっていた。そして、船の両端が二股に分かれる二体成形船(高廻り2号墳例、手前の埴輪)と、船底の突出をなくした一体成形船(高廻り1号墳例、右奥の埴輪) とが存在した。
http://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000009240.html
・・・それでは「大阪歴史博物館」に行ってみましょう。