特別公開(5) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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《堺能楽会館》 

590-0974堺市堺区大浜北町3-4-7-100/072-235-0305 

 

《参考》「つ~るど堺」堺能楽会館の軌跡より 

http://toursakai.jp/zakki/2016/11/07_2132.html

※引用長くなりますが、本当にスゴイです。 

 

「堺能楽会館」は総檜造り・桧皮葺の本格的な能舞台ですが、行政のものでも企業のものでもなく、日本で唯一★個人が所有している能舞台です。所有者:館主・大澤徳平さん自身は能楽師やその家系ではありません。大澤さんは、江戸時代から酒造業に携わる家でした。当主は初代から5代目までが徳右衛門の名を継ぎ、明治に入ってからの6代目以降は徳平の名を継いでいます。今の大澤徳平さんは1932年生まれの9代目で元の名前は庸恭(つねやす)、50歳の誕生日に正式に改名しました。大澤家は江戸時代には「華屋」の屋号でお酒の小売と醤油の醸造を商いとしていたのを、明治に入って6代目の大澤徳平さんが大きく飛躍させ、本店の蔵に加えて、北蔵、南蔵と三つの蔵を持つようにもなります。大澤徳平商店のお酒は「國光」「千代鶴」「麒麟正宗」という銘柄があり、東京には「國光」、四国には「千代鶴」といったように出荷する場所によって銘柄を使い分けていたそうです。大澤家の7代目は6代目の長女・濤(なみ)さんと結婚した養子の徳次郎さん(後に徳平)。その息子が、8代目の醇吉、号を鯛六と称した9代目徳平さんのお父さんです。徳次郎さんは全国を旅行しては郷土玩具を購入する蒐集家でしたが、鯛六さんはその影響を強く受け、当時の日本全国の紳士録である「趣味大観」という本では「関西蒐集界の最高峰」と紹介されるほどでした。鯛六さんの蒐集した郷土玩具の点数は10万点を越えたといいますが、残念ながら戦火にもあって残った数万点の中から一部が、このダイトクビルの2階にある★「おやじのギャラリー六平」に展示されています。戦争前の大衆文化の一端が伺える貴重なコレクションです。

 

 

明治から昭和にかけて堺の主要産業「酒造業」、戦時中に国の指導もあり統合されてしまいます。そして堺大空襲で堺は焼野原となり、堺の酒造業は致命的な打撃を受けました。大澤家は前年に8代目当主の鯛六さんを病で失い、戦火で家も蔵も焼失し、幼い徳平さんの母・美代さんが家を背負うことになります。この時、一家を救ったのは趣味人である鯛六さんの残したものでした。「湊焼きの窯が深日にありました。母は南海本線の電車で50分もかけて深日まで通い陶工と一緒に働きました」明治時代に途絶えていた湊焼を鯛六さんが昭和になって窯を築き復活させていました。この復活させた湊焼が新たな家業となったのです。この窯では、塩壺、片口、三宝、土鍋などをが焼かれました。美代さんには商才があったようで、塩壺に印入りの文字を入れてお土産用として採用されたことなどが数多くあり新しい販売網を広げていきました。しかし、この深日の窯も昭和36年の第二室戸台風で大きな被害を受けて廃業せざるをえなくなります。大澤家に次の転機が訪れたのは1967年(昭和42)でした。当時の堺市長・河盛安之助氏の勧めもあり、先祖から受け継いだ土地に貸しビルを建てることになりました。この時、ビルの設計に貸しビルの中庭に普通ありえない施設が盛り込まれることになります。美代さんもまた、夫の影響を受けてなかなかの趣味人でした。昭和の紳士録「趣味大観」の鯛六さんの一文に添えるようにして、「家庭には婦芸たる茶道・生花・謡曲(観世流)を初め、夫君の感化による趣味深き、美代子夫人」と紹介されています。大澤徳平さん曰く「堺の商家では茶道と謡、女性なら花をするのが習い」だったのですが、堺では不便なこともありました。「堺ではお正月に親族が集まる時は、お謡から始まるものでした。能が好きな母も謡曲をしていましたし、堺ではお謡を習う人は多かったけれど、能まではいかなかった。それは堺には能舞台が無くて、舞の練習をするところがなかったからです」だったら、堺に能舞台を作ってしまえばどうかと、美代さんは考えたのです。「丁度その頃、宮大工の浜田豊太郎さんという方と知り合いました。この人は、能を舞うことが唯一の趣味という人で、この人がいなかったらとても能舞台を作るなんて出来ませんでした」そんな経緯もあって、町の風景に溶け込んだコンクリート造りの貸しビルの中に、日本の伝統的な建築物が内蔵されている誰もが驚く「堺能楽会館」が完成します。1969年(昭和44)2月1日のことでした。3日間行われたオープニングでこの時66才の美代さんは宣言します。「私どもは家業の酒で皆様に酔っていただきましたが、これからは能の幽玄の世界で酔っていただきますよ」 

7階建てのビルに隠れて能楽会館は表から全く見えませんが、そのおかげで表通りの車の騒音を全て消してくれ、会館内は全く静かな空間が確保できています。また、この桧の舞台は適度な艶と滑りを出すために、牛乳で磨くのが一番いいということです。

 

 

●「能楽教室」/堺能楽会館では重要無形文化財総合指定保持者である浅井文義先生による能楽教室を行っております。一流の先生の指導を受けて本物の能舞台でその成果を発表できる、最高の環境です。 

●「能楽会館体験見学ツアー」/堺能楽会館では本舞台や楽屋を見学し、舞台や能・狂言などを学べる「ワンコイン」体験ツアーを実施しています。毎月第1第3土曜日 午後2時~4時です。

 

 

・・・「おやじのギャラリー六平」にも展示されていた「湊焼」について調べますと、

 

《参考》堺に生まれた『湊焼』 

http://toursakai.jp/sasso/2012/07/04_550.html

http://and-rice.com/article/minatoyaki/

17世紀後半。堺に生まれたものの一度途絶えた焼き物の系統が存在しました。その名は「湊焼」。豊臣秀吉の聚楽第から『楽』の一字をもらった楽焼。その3代目道入の弟道楽が現在の堺市湊で開いた★道楽窯が『湊焼』の始まりとされています。湊焼は、その後弟子が受け継ぐも明治時代に廃窯となり、一度は再興したものの、結局昭和51年2代目新平の逝去により途絶えてしまいます。現在、堺市中区福田で陶芸教室M・O・Cスタジオを主催する★中橋一彰さんが、『湊焼』の復興に尽力しています。河内長野市出身の中橋一彰さんが、堺出身だった父の縁もあり中区の福田に窯を開くことになったのが2006年。その際、堺の地で出会った赤焼き茶碗。それが『湊焼』でした。「汚い茶碗やな」出会いはそうでした。しかし日が立つにつれ何故か湊焼は脳裏に浮かんで離れなくなり、夢にまで見る始末。「中国の唐三彩をルーツに持つ湊焼・楽焼は低い温度で焼くため、非常に割れやすい焼き物です。廃窯になった昭和51年は高度成長期。割れやすい湊焼は、日常の道具として不向きと思われ廃れたのではないでしょうか」湊焼が持つ性質ゆえに時代に乗り損ねたのではないか?中橋さんは湊焼が廃れた理由をそう分析しています。しかし、湊焼の“割れやすさ”=“儚さ”こそが、『湊焼』の魅力だと中橋さんは感じています。ここで堺の茶聖・千利休の名が中橋さんの口から出てきます。「千利休は“儚さ”に美を見いだした人物。この湊焼も、割れやすいからこそ、儚いものだからこそ、ひとつひとつが愛おしく、大切に思えます」 

 

 

《M・O・C スタジオ》 

599-8241堺市中区福田618-10/072-203-1008 

http://moc-studio.la.coocan.jp/index.html

中橋さんが主催する「M・O・Cスタジオ」では、陶芸教室にも力をいれています。高機能障害をもつ方への陶芸教室や、小学校で子供たちに陶芸を教えたりという活動もおこなっています。人と人とのつながり、そして文化継承。それは『陶芸家である前に人間であることを問え』独立した際の師匠の言葉に対しての解答とも言えます。「心のつながりが、作品につながっていると感じます。だから、人と人、人と社会をつなげたいと思うんです」「たくさんの出会いの中に、発見や学びがあり、自分の人間性が磨かれ作品に反映されていくと思うのです」M・O・Cは、「マスターピース・オオサカ・セラミック」の頭文字。マスターピースとは「傑作」「名作」の意味。「湊焼を、もっとグローバルにしたい」という情熱はここ堺の地で、“マスターピース”を生み続けている。(「堺・南大阪の地域情報つーる・ど・堺」の記事を再構成したものです) 

 

 

★中橋一彰「創作湊焼」陶展 

2014年9月12日(金)~24日(水) 

会場:ギャラリーいろはに 

 

・・・なんと、中橋さんも「いろはに」で個展をされていたんですね。 

 

《参考》南海本線「湊駅」 

590-0834堺市堺区出島町二丁4番9号/072-232-0673(堺駅) 

http://www.nankai.co.jp/traffic/station/minato.html

南海鉄道当時の1907年(明治40)10月に開業しました。所在地である出島町が、古くから★「湊村」と呼ばれていたことが駅名の由来といわれています。駅の付近には、かつて田畑に利用していた井戸から水をくみ上げるための風車が林立していましたが、都心に近いこともあって昭和30年代から住宅地が増え始め、現在では見られなくなりました。 

 

★「ギャラリー湊」

http://www.geocities.co.jp/Hollywood/1436/index.html

 

・・・★「鳳翔館」でも、中橋さんの作品展(2012年11月)をされていました。ぜひ、どこかで「湊焼」を観て(ふれて)みたいです。