・・・「狭山池」ではじめて知った「韮崎市」のゆるキャラ「ニーラ」について、
《山梨県韮崎市》
http://www.city.nirasaki.lg.jp/
●韮崎(にらさき)の由来
韮崎という地名については『甲斐国志』(1814)によれば、片山と七里岩との間にはさまれた台地の南部、穴山の辺から南端の観音山まで、にらの葉のように長く細く連綿と突き出た部分に名づけられたとされている。さらに古くは織田信長が天正10(1582)年2月、河尻与兵衛に与えた文書に「新府にらが崎云々」とあるのからみて、よほど古くから用いられていたことがわかる。「新府城」は正しくは新府中の韮が崎城で、府中とは国司の役所の所在地という意味であるから、短期間ではあるが甲州統合の府となった所である。その範囲も後の韮崎町よりもずっと広い部分の総称であって、後に「にらがさき」が「にらさぎ」となり、慶長6(1601)年大久保長安の文書に「にらさき」とある。寛文元(1661)年河原部村の中に韮崎宿が開かれたのである。この古い、広範囲な由緒ある地名が新しい市の名称となっていることは、まことに意義深いことである。この地名の一つの考え方として『韮崎町制60年誌』昭和28年には、七里岩の突端の台上には韮が多数野生して密生しているので、あるいは“韮の生えている御崎”からヒントを得て命名したものではあるまいか、とも考えられるとしてある。(韮崎市誌下巻P645より)
★ゆるキャラグランプリ2017たくさんの応援ありがとうございました
http://www.city.nirasaki.lg.jp/docs/2013021604650/
2009年、韮崎市制施行55周年を記念して、韮崎市を舞台にした1冊の絵本が誕生しました。ニーラは、その主人公として登場する「神さまのお使いで、魔法の力によって私たちの夢をかなえてくれる」不思議なカエルです。韮崎市のイメージキャラクターとして活躍しています。
《NEWS》2017.1.3毎日小学生新聞より
山梨県韮崎市のイメージキャラクター、ニーラは不思議なカエル。神様のお使いなのです。魔法の力を使って人々の夢をかなえてくれます。 2009年の市制施行55周年を記念し、韮崎市を舞台にした絵本が出版されました。この絵本は、「東京ディズニーランドの生の親」ともいわれている名プロデューサー★堀貞一郎さんらが作りました。絵本は、ふるさとに帰る▽人々を変える▽まちを替えるといった意味を込こめ、カエルのニーラが主役です。市内の地名や特産のブドウが出てくることで、韮崎市への観光に誘い、地域活性化の起爆剤にするという、絵本から始まるまちおこしの取り組みです。ニーラは生き物が思いやりの心と希望を持ちながら、いきいきと暮らすために魔法が使えます。市内には2か所「ニーラのお願いかなえます!」応募ボックスが設置され、昨秋には小学生からの手紙にこたえて運動会へサプライズ登場し、子どもたちを喜ばせました。ニーラの趣味は旅。たくさんの友だちを作るため、全国を旅しながら韮崎の豊かな自然をPRしています。
★「ニーラ」データ
●特徴:眉間んの緑色の模様は魔法を使う時に光り、不思議な力が宿る。おなかの星にふれると、幸運が訪れるといわれている。
●性格:温厚、怒ることを知らない。
●好物:フルーツ、緑色の食べ物。
★山梨県韮崎市あれこれ
●人口:約3万人
●名所:銀河鉄道展望公園はその名の通り、ロマンチックな夜景が眺められる場所です。暗闇を走る夜のJR中央線が、まるで夜空を行く銀河鉄道のように見えることから名付けられました。昼間は富士山や南アルプス、八ケ岳が見える絶景スポットです。
【堀貞一郎】(1929~2014)
1929年生。1953年、電通に入社。ラジオ、テレビのプロデューサーとして活躍。20代の頃は、テレビ放送初期の番組やCMのヒット作品をつくられたテレビプロデューサーで、「明るいナショナル」で始まった松下電器のCM、「僕の名前はヤンボー」で始まるヤンマーの天気予報、そしてシャボン玉ホリデーや11PMなどを手掛けられ、美空ひばりや藤山寛美などのスターをテレビの世界に多数登場させた立役者。また、当時自動車の普及により交通事故が多発した際には、「手を上げて横断歩道を渡ろうよ」という交通標語をつくって、事故が激減。その習慣は日本の常識となった。さらに、政治の世界では、政党の参謀として、選挙の戦略計画者として活躍し、大阪万博で企画したパビリオンは、人気投票1位、2位を独占した。そして、それらの実績を高く評価されて、東京ディズニーランドの総合プロデューサーとして、国外初となるディズニーランドの日本誘致を成功させた。徹底したデータ調査とプレゼンテーション、交渉術により、周囲の反対をすべて跳ね返し、奇跡の大逆転劇を実現させたことは、多くの人の語り草となっている。また学者としては、神奈川大学や山口大学ほか多くの大学で教鞭をとられ、現在は日本観光学会の特別顧問でもある。一方、仕事だけでなく趣味についても、映画評論家であり、クラシック愛好家、自宅に窯を持つ陶芸の先生、絵画・歌舞伎と語り尽くせない程の領域で造詣が深い。さらに、講演家としては20代から50年以上のキャリアで、77歳で講演活動をリタイアされた後も、童話作家としてデビューし、忙しい日々を過ごされていました。
・・・とにかく、スゴイ人です。
【仁科幸子】
山梨県生まれ、多摩美術大学立体デザイン科卒日本デザインセンターにて永井一正氏のもとアートディレクターとしてグラフィックデザインを手掛けるかたわら、森や動物、精霊などのために、ファンタジーの世界を通して絵やオブジェなどを表現してきた。95年独立、絵本の世界を本格的に創作開始。国営立川昭和記念公園野外彫刻展にて作品展示、霊山こども村「遊びと学びのミュージアム」絵本ライブラリーにて絵本の原画とオブジェの展示、銀座松屋のクリスマスキャンペーンにて緑を守るチャリティブック制作。(91年より4年間、ディスプレイ広告媒体にてパップンピットのキャラクターをデザイン)絵本の売り上げの半分を日本のブナの木、ドイツのモミの木に寄付。サチコ・ニシナのニットのブランドをトマツより販売。(服と一緒に植物の種を配布)パップンピットのパペットアニメーション(パイロット版)をキッズチャネル(CS放送)にて放映。(2008)山梨県韮崎市のキャラクター★魔法のカエル「ニーラ」のキャラクター制作。石井食品にて、自然の精霊のキャラクターマークデザイン。2015年4月より★大月市立図書館長に就任。山梨日日新聞社の読書委員に、認定される(2017~2019までの2年間)。
《NEWS》2015.3.25産経ニュースより
http://www.city.otsuki.yamanashi.jp/bunka/shisetsu/bunka-sisetsu-toshokan.html
「おいしいありがとう」「パップンピットのおはなし」など、ファンタスティックな作品を数多く出版している絵本作家でグラフィックデザイナーの仁科幸子氏が4月1日付で★大月市立図書館長(非常勤)に就任する。同図書館で24日、記者会見した仁科氏は「子供たちの感性を育てる図書館にしたい」と語った。図書館を“心の森”に例えて、さまざまな物語との出合いの中で、本の価値観を提供していく。記者会見で、同席した石井由己雄市長は仁科氏の館長就任の狙いを「子供たちのふるさと教育を主要課題に挙げている。豊かな自然の中で感性豊かな子供たちを育てたいと考えた」と話し、仁科氏の発想によって子供たちにとって魅力ある図書館づくりを進めたい考えだ。仁科氏はまず自身の生い立ちに触れ、「私は本から生きていく力をもらったといえる。父が本好きで、名作、全集が家にあり、小学生時代に大人が読む本を意味も分からず読んだ。大人になって本の中の言葉が生きる力になったと実感している。子供のうちに本に興味を持つことが豊かな心を作る」と話し、子供のころに本に触れることができたことを「幸せだと思う」と振り返った。
4月1日付で図書館長に就任するが、「図書館をリラックスできる空間にしたい」と、図書館の愛称を「おおつきMOONらいぶらりぃ」と、柔らかな呼び名を付けた。就任後の活動については、グラフィックデザイナーの経験を生かして図書館キャラクターを生み出し、子供たちにとって敷居の高そうな図書館のムードを変えていく。「本は心の種、図書館は心をイキイキさせる森」をテーマに絵本のタイトルから取った「パップンピットクラブ」を開設し、「本の福袋」を登場させて読書感想文を書いた子供の貸し出し袋にプレゼントを入れたり、市内の知識人から話を聞く「ルンルン講座」を開いたりするほか、市内の7小学校を巡る「館長の出張ワークショップ」を通じて子供たちを本の世界へと誘うことにしている。子供たちばかりでなく大人が参加できる「私の大切な1冊」では、本を推薦した人のインタビュー内容を館内にパネル展示する。子供と本についてお茶を飲みながら語る「アリスのティーブックトーク」や、仁科氏の仕事仲間によるトークショーも計画して、ロックグループ「ザ・ローリング・ストーンズ」を撮り続ける写真家などを予定。仁科氏は大月市生まれ。父親の転勤に伴い、3歳で故郷を離れ、東北地方などで生活。多摩美術大卒業後、グラフィックデザイナーとなり、会社勤務を続け、平成7年、絵本作家として独立。14年に同市に戻り、森や動物、精霊などのファンタスチックな世界を表現した作品を発表している。現在、日本児童文芸家協会員。