国宝展(5) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・「国宝展」での不完全燃焼を解消・払拭するごとく、これまで通ることのなかった「三十三間堂」南側の「塩小路通」を行く。 

 

《養源院》(桃山御殿 血天井、宗達筆襖、杉戸絵) 

605-0941京都市東山区三十三間堂廻町656/075-561-3887 

1594年(文禄3)淀殿が父浅井長政追善のため創建。のち焼失。1621年(元和7)徳川秀忠夫人崇源院が伏見城の遺構を移し再建。廊下の天井は、伏見城落城の際、自刃した武将たちの血のりのしみた板を使ったため「血天井」として有名。本堂の襖12面、杉戸8面の絵(重文)は俵屋宗達の作品。 

 

 

《後白河天皇陵》 

第77代。鳥羽天皇の第4皇子。譲位後、5代の天皇の間、院政を行う。平氏の盛衰から鎌倉幕府に至る動乱期に権謀術数で平清盛、木曽義仲、源頼朝らと対応し、王朝の権威の存続につとめた。三十三間堂(蓮華王院)、長講堂などゆかりの寺がある。今様『梁塵秘抄』の撰者。★陵墓は東山区三十三間堂廻り町、法住寺陵。1127(大治2)~1192(建久3) 

 

《法住寺》 

605-0941京都市東山区三十三間堂廻り町655/075-561-4137 

http://hojyuji.jp/

平安時代中期に藤原為光によって創設された天台宗の寺。かつて大きな寺領を誇る「法住寺殿」があった。法住寺殿は、後白河法皇が御所を作ると共に、自分の死後を守る墓を敷地内に造営したもの。墓に対峙するように蓮華王院(三十三間堂)を、御所を守る新日吉神宮・熊野神社を移し、政務をする政庁までもを含んでいた。年月を経て法住寺殿はその名前や所管を変えたが、法住寺にちなみ、その名を残すために「法住寺」が生まれた。元禄期には大石内蔵助が参拝したと伝えられ、その縁から四十七士木造が安置されているなど、忠臣蔵縁の寺としても知られている。三十三間堂は、元々は法住寺殿内のお堂のひとつとして造営された。後白河法皇が住んでいたのは、現在の法住寺の位置であったため、千体の観音様を拝む場所として最もふさわしいのは、法住寺や法華堂の位置からだという。

 

 

・・・今まで登ったことがなかったので、「京都タワー」に行ってみようかなと思って橋を渡りました。

 

 

・・・銀色に輝く「二宮金次郎」がいなかったら、素通りしていたかもしれません。

 

《京都市立崇仁小学校》 

600-8202京都市下京区川端町16/075-341-7145 

http://cms.edu.city.kyoto.jp/weblog/index.php?id=104005&date=20100319

崇仁小学校は、平成21年度末をもって閉校し、平成22年度から下京渉成小学校に統合されました。本当に長い間ありがとうございました。 

 

 

《NEWS》2015.2.18 

市立芸大を京都駅前・崇仁地区に移転>。平成35年春 

京都市は、同市下京区の崇仁地区に市立芸術大(京都市西京区)を移転する整備基本構想案をまとめた。平成32(2020)年度中に施設の一部を先行整備し、キャンパス全体は35年4月のオープンをめざす。移転予定地は、JR京都駅の東約200メートル。移転用地は小学校跡地や現在は市営住宅のある場所などの約3万8千平方メートルとなっている。市営住宅の移転や土地の一部の買収が必要になるという。構想によると、予定地を、東からA地区(約1万2千平方メートル)とB地区(約6千平方メートル)、C地区(約2万平方メートル)に分け、A・C地区に教育研究施設を配置し、間にあるB地区に食堂などの共用施設を集約する。また、A地区にギャラリーや音楽ホールなど市民や観光客向けの発信拠点を先に完成させ、32年度中のオープンを予定している。市立芸大は昭和55(1980)年から京都市西京区の現在地にキャンパスを置き、学生と教職員の計約1200人が通っている。移転をめぐっては市立芸大が25年3月、施設が手狭なうえ老朽化したことなどから、市に崇仁地区への移転を要望。同地区の自治会なども同年6月と12月に早期実現を求める要望書を市に提出していた。市は構想への市民意見を3月18日まで募集したうえで、3月末までに構想を正式に策定する方針。

 

 

《参考》京都市立芸術大学移転整備プレ事業  

●「still moving2015」 

2015.3.7(土)~5.10(日) 

http://gallery.kcua.ac.jp/exhibitions/20150307_id=2737#ja 

10 年以内の近い将来、京都市立芸術大学が、京都駅にほど近い「崇仁(すうじん)地域」に移転する計画が進んでいます。この地域は、京都駅から徒歩数分という好立地に加え、地域内に流れる高瀬川と鴨川、東山を望む素晴らしい眺望という豊かな自然景観に恵まれています。また、地域の歴史を示す資料館や小学校、史蹟などの地域資源が多く残る場所である一方で、人口減少や高齢化の急速な進行に伴う危機的状況の中、地域活力の再生の必要に迫られています。そういった背景から、京都市立芸術大学の移転は、新しい「まちづくり」の核としても重要な役割を担っているのです。本展は、京都市立芸術大学の「移動」を契機として、国内外のアーティストが集い、この地域に入っていく「第一歩」となります。多面的に社会が国際化し、個々の文化への意識はますます高まりを見せる中で、日常の様々な場面で越境・移動を実感せざるを得ない現代。優れた伝統を継承しながら常に新しい芸術文化を生み育んできた京都で、国際的な芸術文化都市とは何か、また大学と地域のあり方を探る本展を通して、まちの再生を余儀なくされているこの「崇仁地域」に何が起こるのか、リアルタイムで感じることになるはずです。ぜひ皆さんの目で見届けてください。 

●「still moving2016 」 

2016.4.16(土)~5.29(日) 

http://gallery.kcua.ac.jp/exhibitions/20160416_id=7945#ja 

●「still moving2017」 

2017.9.23(土・祝)~11.5(日) ※期間中の土・日・祝のみ 

http://asiacorridor.org/seealso/1754/ 

 

★版画専攻3回生による展覧会「しんすい展」 

2017年11月11日(土)~11月23日(木・祝) 

http://www.kcua.ac.jp/event/20171111_shinsui/ 

 

《NEWS》2017.1.23京都新聞より 

京都市立芸大、延べ面積1・4倍に。移転で3計画案 

京都市は23日、京都駅東側にある下京区の崇仁地域へ2023年度の移転を予定する市立芸術大(西京区)の整備基本計画案を発表した。施設配置を示すのは初めてで、提示した3案とも移転費用は約280億円との見込みも明らかにした。市は同駅周辺で高さ規制を緩和しており、各案はいずれも現キャンパスより建物を高くして土地を有効利用し、延べ面積を1・4倍に広げる。キャンパス北側に美術ギャラリーや音楽ホールを並べ、新たな芸術の発信や地域交流の拠点化を図る。予定地は市有地を中心とした3万8千平方メートル。大学敷地は今の6割ほどに減るが、現在は主に2~3階建ての建物を4~6階建てにして、延べ面積は1万6千平方メートル増の5万5千平方メートルを確保する。案では予定地を鴨川に近い東側のA地区(1万2千平方メートル)、須原通と河原町通に挟まれたB地区(6千平方メートル)、西側の河原町通-高倉通間のC地区(2万平方メートル)に分けた上で、建物の組み合わせで3パターンを示した。(1)A地区に音楽学部、C地区に美術学部(2)A地区にギャラリー、C地区に両学部を配置(3)A地区に音楽学部とギャラリー、ホールを集約-とする内容。B地区は各案とも両学部共有施設などとした。いずれの案も共通して、高大連携を狙いに、銅駝美術工芸高(中京区)をC地区に移転させるとした。予定地内には市営住宅7棟(262戸)があり、入居の約160世帯には近くに建て替える市営住宅に移るよう求めている。利用が多い下京地域体育館・崇仁児童館、人権資料を展示する柳原銀行記念資料館は残す。崇仁保育所は元六条院小(下京区)敷地に移す。事業費は大学と高校の移転費だけで280億円と見積もるが、西京区のキャンパス跡地の活用・処理費も必要で、関連費用を含めると増える可能性が高い。市は2月1日から基本計画案への市民意見を公募する。17~19年度の基本・実施設計で施設配置の詳細を決め、20年度に着工する。

 

・・・「国宝展」でのモヤモヤすっとんでしまいました、ありがとう「二宮金次郎」。