《ホルベイン大阪本社》
542-0064大阪市中央区上汐2-2-5/06-6763-1521
ホルベインという社名は、ドイツ・ルネッサンス期の代表的なアーチスト Hans Holbein (1497-1543)の名に由来するものです。肖像画の卓抜な描写でも知られ、後にイギリスで 宮廷画家となり、豊かな色彩の傑作を数多く残しています。
1900年(明治33)吉村峰吉が大阪中之島に於いて文房具、事務用品問屋として創業。
1913年(大正2)洋画材料の総合カタログ発刊。文具・事務用品から洋画材料の専門商社へ脱皮。大阪小阪工場で洋画材料の製造に着手。
1941年(昭和16)中国上海豊祥路に絵具工場設立、第二次世界大戦にて全てを喪失。
1946年(昭和21)★東大阪市小阪で事業を再開。
《参考》「ホルベイン工業株式会社」小阪工場/577-0807東大阪市菱屋西1-3-14
1951年(昭和26)ホルベイン画材株式会社に社名変更。
1966年(昭和41)大阪本社社屋新築。
★「ホルベイン ギャラリー」
画材メーカーが運営する新しい企画画廊として、また貸画廊としてご利用いただけます。ギャラリーには、代表的なホルベイン製品を取り揃えたショールームを併設しております。絵画制作に役立つ情報の発信基地として、より一層のサービスの充実をめざします。
●「ショールーム」
2013年12月より、ホルベイン画材大阪本社1Fにショールームを新設致しました。代表的なホルベイン製品を多数取り揃えているほか、日頃なかなか触れる機会のない大型イーゼルや、新製品展示などを行っております。これからも絵画制作に役立つ情報の発信基地として、お客様へのより一層のサービスの充実をめざします。
★「第38回 天洋画展」
2017年9月4日(月)~9月9日(土)
http://www.holbein.co.jp/blog/2017/08/21/152
ホルベインギャラリーでは、天洋画会による天洋画展を行います。テーマは『音』、いろいろな『音』を絵で表現した作品が展示されます。是非ご覧ください。
《天洋画会》
先生は日展作家の本田年男さんです。毎年、テーマを決めて、この作品展に取り組まれています。
2013「ときめき」2014「「大地・海」2015★「き」2016「癒されるとき」そして2017★「音」です。
【本田年男】
http://www.art-express.co.jp/guide-net/hondatoshio/exinfo.html
1950熊本県に生まれる。1974大阪芸術大学卒業。1974第28回堺市展堺市長賞受賞。1978第44回東光展奨励賞受賞。1979東光会会友推挙。1982日展入選。1984東光会会員推挙。1990東光会 ニーム展銀賞受賞。199東光会ベルリン展銀賞受賞。1992東光会審査員推挙。1993第37回安井賞展推薦。1994第60回東光展森田賞受賞。1996日展会友推挙。1996人間讃歌大賞展奨励賞受賞。2005第71回東光展小野賞受賞。2008堺市文化功績者表彰。2013東光会理事就任。2014堺市特別文化功績者表彰。現在、東光会理事、日展会友、堺美術協会会員、天洋画会主宰。
・・・私の所属する★「主題派美術」と重なるテーマがあり、興味深く観させていただきました。
《参考》「東光会」
http://tokokai.com/wordpress2/
”光は東方より”この輝かしい夜明けを思わせる言葉から「東光会」と★熊岡美彦によって命名されました。当時の沈滞する画壇に活気を呈するようになればという強いおもいがあり、昭和7年に熊岡美彦・斎藤与里・高間惣七・岡見富雄・堀田清治及び橋本八百二の6名により洋画の任意団体として設立されました。真の絵画の創造を念願し、自己完成に努力すると同時に一般美術界の向上発展に尽力するという目的からでした。熊岡美彦と斎藤与里の画風は写実と詩情との相違がありましたが、お互いの個性を生かして進み、会員同志の和を重んじ、若い人達の育成に努めました。昭和8年2月、東京府美術館において第1回東光展を開催以来(戦争のためやむなく中止した昭和20年・21年を除いて毎年春)、平成16年4月の第70回東光展開催に至るまで、美術の向上発展のために様々な影響の中を歩んできたわけですが、一貫して創立の精神をうけ継いできました。その間、今は故人になった指導者の方々が、それぞれの個性で東光会という一大殿堂を遺してくれました。昭和52年4月、東光会会則が制定され、初代理事長に森田茂が就任し、東光会事務所が東京都豊島区西池袋に開設されました。以後講習会・研究会等を開催し、東光会研究所として実効を上げてきました。昭和54年には長年の希望であった法人化が実現し、社団法人東光会として歩み始めました。会員同志が切磋琢磨する場としての選抜会員展や国際交流の一貫としての海外展(アメリカ・フランス・ドイツ・中国等)を開催するなど時代に即応した新しい歩みを続け、現在の活気を呈しております。地方にも目を向けて、毎年約7都市での巡回展を開催、また現在全国に15の支部があり屡覧会・講習会・研究会等を実施し、地方の新人の育成にも力を入れてきており各地から優れた新人が生まれております。かくして、東光会は財政的基盤も確立し、展覧会・研究会の開催、機関誌・図書の発行、油彩画、水彩画及び版画の奨励指導及び東光会研究所の維持運営を事業とする名実共に有力堅実な団体となっております。ここに、社団法人東光会の定款に基づいた民主的な運営のもとに、公正にして堅実な公の団体として、研究制作をより盛んにし、その進歩をはかると共に、個性豊かな熟成度の高い制作発表の場とする東光展を開催して、ひろく一般の鑑賞に資すると共に、我が国の文化の発展に寄与することを願いながら現在に至っています。
《ワークショップ(完全予約制)》カスタマーセンター0120-941-423
http://holbein-official.blogspot.jp/2017/03/2017_22.html
ホルベインが主催しているスケッチ会やワークショップ等のお知らせや開催レポートを掲載しております。皆さまお気軽にご参加ください。
・・・参加してみたいと思いますが、「秋季日程」はまだ決まっていないということでした。大人の工場見学(枚岡工場)に行きたいですねえ。春季ワークショップには★『弓手式ニュー印象派スケッチ』というのがありました。
【弓手研平】(一水会委員、研水会委員)
http://blog.livedoor.jp/k_yunde/
1970大阪府門真市生まれ。1994大阪芸術大学美術学科卒業、感動する人と自然大賞展佳作賞。1996大阪芸術大学美術専攻科修了。1997昭和会展、日美術財団賞受賞(美術館作品収蔵)。 2008テレビ出演(ABC朝日放送・スケッチ指導)。2009損保ジャパン美術賞受賞。2012公募団体ベストセレクション美術(東京都美術館)作品集★「日本国憲法の心を描く」刊行年。2016アートフェア東京、アート台北、個展=日動画廊(東京・大阪・福岡)至峰堂画廊(大阪・東京)みぞえ画廊(東京・福岡) 三越(大阪・福岡)グループ展多数出品。現在、一水会常任委員、研水会委員、日本美術家連盟会員。
http://www.issuikai.org/member/iin/2774-bio.html
二年ほど前から知り合いの弁護士さんの勧めで、「日本国憲法の心を描く」というテーマで憲法前文から一条一条、全百三条を絵画にするという試みに挑戦しています。これは原点主義とでも言いましょうか、私の制作姿勢にとって、大変意味のある仕事であると考えています。ひとりの絵描きとして、絵を描くという“仕事”を通して、社会に対していかに関わっていられるのか、という漠然とした絵描きの思考のなかに、何らかの答えを導いていけるのではとも考えております。こちらに、私なりの「日本国憲法の心を描く」という試みに対峙する考え方を文章にまとめたものがございますのでよろしければお読み下さい。
《NEWS》2015.10.31産経新聞より
當麻寺にシャガール/1日から「葛城発信アートFAIR2015」
葛城市の當麻寺などで11月1日から7日まで「葛城発信アートFAIR2015」が行われる。市の文化遺産や展示施設に公募の芸術作品など800点以上を展示して、期間中の町を美術館化しようという試みだ。第1回の今年の目玉は国宝の當麻寺本堂に飾るマルク・シャガール(1887~1985)や草間彌生(1929~)の作品。シャガールは60号(109.9センチ×125.1センチ)の大作「聖書の光景」で、1980年ごろのもの。草間は「Self―portrait2011」(45.2センチ×39.0センチ、シルクスクリーン)など10点。実行委員の洋画家★弓手研平さんは「地元に根ざし1400年守られてきた国宝に、初めてアートを飾ることで生活のなかにアートを取り入れるということを示し、町おこしにつなげたい」と語る。
・・・そうなんです、弓手研平さんは★「葛城発信アートFAIR」の中心的存在なのです。さて、ホルベインに来たもう一つの目的は、もちろん画材を購入するためです。
★ホルベイン「アクアオイルカラー【デュオ】」
http://www.holbein-works.co.jp/oilcolorduo.html
デュオは、★水に溶ける油絵具です。水でやわらかくしたり薄めたりできます。揮発性の溶剤を使わずに制作ができるので、アトリエはいつも快適。また、水で溶いたデュオなら、従来の油絵具では得られなかった表現も可能です。たとえば、細く濃い線描による★ハッチングや、水独特の★流れや滲みを生かした画肌など、油彩表現の可能性をさらに拡げてゆく絵具です。
水で溶いたデュオは、一種の混合テンペラ絵具。油絵具ですから、乾けば水にも油にも溶けない堅牢な油彩画が完成します。
普通の油絵具とも自由に混ぜられます。ただし、普通の油絵具や油絵用の画用液を30%以上 混ぜると水では溶けなくなりますのでご注意ください。旧デュオの色調、処方を全面的に見直し、★2008年6月、大リニューアル。新しい顔料も積極的に採用しての全100色には、カドミウムやコバルトなど鉱物系の色も加わりました。多様な表現を使いこなす真にアーチストのための絵具としてデュオをおすすめします。
・・・昔から「デュオ」はあったのですね、全然知りませんでした、ゴメンナサイ。
デュオが普通の油絵具と違うのは、ほんの数%★「界面活性剤」が配合されている点です。これは、水にも油にもなじむ性質をもっています。デュオと水を混ぜると、界面活性剤の油となじむ部分が顔料ごと油をくるみます。くるんだ外側は水となじむので、分離することなく水の中に分散します。この状態をエマルションと言いますが、これは、石鹸が油汚れを落としたり、サラダ油と酢が分離せずに混ざっているマヨネーズの原理などと同じです。
http://www.holbein-works.co.jp/moviefiles.html
水だけでも描けるデュオですが、油絵具としての本来の性能を発揮するためには、従来の油絵具同様、さまざまな画用液を利用したいものです。光沢や透明感を出すもの、絵具の固着力を強めて丈夫な画面をつくるもの、乾燥を速めるためのもの。デュオの画用液シリーズはすべて★水可溶性。水と一緒に使えます。
・・・発見した時は、目を疑いました。なんとも恐ろしい(便利な)絵具があったものです、とにかく使ってみましょう。さて、「上六交差点」にもどってまいりました。
《上本町ハイハイタウン》
大阪上本町駅前の商業施設は1925年に「大軌(大阪電気軌道)ビル」として開設され、そのビルの敷地内に近鉄百貨店の母体となる三笠百貨店がオープン。しかし第二次世界大戦(太平洋戦争)の影響で焼け野原となり、上本町地域の商業ビルも廃墟と化した。戦後は「闇市」が開かれたが、大阪府警察本部は闇市閉鎖を決行。その後改めて地主との賃貸契約を結ぶことで商業閉鎖の危機を乗り切ったが、これを機に住民が「復興速進会」を発足し、1948年「国際商店会」に発展していった。1962年上本町6丁目(上六)商店会から大阪市に対して公園緑地計画の変更を求める陳情書が提出され、上本町地区に地下街を含む地上10階建てのビルディングを共同で建設したい旨を提案。1969年6月に制定された「都市再開発法」を受けて8月に同商店会振興組合により公園の廃止と市街地再開発の陳情書が提出。1974年12月にその変更告示が行われ、1977年に再開発事業の認可を受け、1979年に完成した。
★「銅像建立趣意書」
中田明正氏(天山閣社長)は大正四年東大阪市に生る。幼少の頃より積極進取の気性に富み、後に観光事業に専念業界発展に大きな足跡を残す。今回太平洋戦争直後の闇市から立ち上がった上六商店街振興組合二百余名全員の同意により理事長に推され再開発事業に取組み、土地買収問題を始め総ゆる困難と障害を乗り越え、ここに延べ六万余平方米のビルを建設。うえほんまちハイハイタウンとして揺るぎなき礎を築かれました。この事業は中田明正氏の遠大な構想と不屈の闘志、さらに十年の永きに亘る献身的な努力が今日の成果をもたらしたもので、その功労により昨年の竣工式典で知事及び市長より表彰を授けられました。私共もこの功績を讃え末永く顕彰するため 組合員の総意により銅像を建立したものであります。昭和五六年二月十一日 中田明正氏銅像建立発起人会代表:泉久太郎
★「うえほんまちハイハイタウン誕生記」
太平洋戦争末期の昭和十九年ニ月、この地区は強制疎開ですべての家屋は撤去され廃墟となっていた。やがて終戦。外地からの引揚者や藩災者たちはその日の糧を求めてこの地に住みついた。世にいうヤミ市である。しかし土地の権利関係が確立していなかったために地主から立ち退き勧告をうけていた。また行政当局からは公園と仮換地の両指定による移転命令が出された。食なく住なく生命の保障すらない混乱の中でこの人達は絶望した。しかし、上六を愛し、商いの復活を求める人達によって地主との賃貸契約交渉が始められた。難航、衝突の連続であったが、やっと了解をとりつけることに成功した。だが、公園と仮換地の両指定は容易に解かれず、為に、新築増築は勿論、上下水道、道路の設置さえも認められず、住民たちは僅かな稼ぎの中からこれらの施設費を捻出、自らの手で生活の場を創り出した。昭和四十四年六月、都市再開発法が施行されたのを機会に、当時の上六商店街振興組合が母体となり再開発事業としてのビル建設計画を立案、ニ年後の六月、上六市街地再開発準備組合を結成した。初代理事長★中田明正は再開発事業は権利変換が大きな課題であり、それには土地の権利を一本化すべきであるとの考えから数多くの難問を抱えていたが四年余りの歳月を費やして底地買収問題を解決した。まもなく大阪市より積極的な方針が打ち出され、公園指定の廃止と仮換地指定の変更手続きがとられ、さらに土地区画整理法と都市再開発法の同時施行要領案が示された。組合においても民間再開発事業として組合員の声なき声をくみあげ、総意をまとめて事業計画、権利変換計画、住宅公団との参加契約、昭和五十二年二月には正式組合としての知事認可、引き続き移転補償などの交渉がもたれ、 建物の解体となり、 昭和五十二年二月、戦後の傷跡そのままに取り残されてきたヤミ市の面影は完全に消え去った。昭和五十三年四月、安井建築設計事務所の設計により鴻池組、フジタ工業、モリタ建設の企業体によって工事に着手、昭和五十五年 。地下二階、地上十五階建の高層ビルが完成。浪華の文化と伝統を誇るこの上町台地に私共の組合員の苦節三十有余年の願望が漸く実り近代的な、そして「やすらぎ」と「ふれあい」のある街うえほんまち八イハイタウンが誕生した。昭和五十五年九月十八日 上六市街地再開発組合
《参考》「天山閣グループ」
《NEWS》夜の温泉街に突風 施設や民家に被害(和歌山)
2006年11月26日午後10時ごろ、白浜町内で局地的に突風が吹き、温泉施設や民家の屋根瓦や看板が飛んだり、窓ガラスが割れたりする被害があった。住民らは「竜巻のようだった」「こんな強風は初めて」と驚いている。被害があったのは、同町湯崎を中心とした温泉施設や商店、民家など。住民らによると、突風は数分程度だったが、大きな音とともに木をなぎ倒したり、屋根瓦や植木を飛ばしたりした。複数の露天風呂がある「白浜温泉パーク草原の湯」では、宿泊施設の屋根瓦が吹き飛び、宿泊客の車約10台のフロントガラスが割れるなどした。露天風呂の屋根がめくれ上がったり、木造の建物が破損したりもした。従業員らは「風向きがいつもと逆だった。竜巻のようになり、瓦が舞い上がったようだ」。施設を経営する天山閣グループ★中田力会長は「台風でもこんな被害はめったにない。人的被害がなくてよかった」と話している。被害があった温泉街では27日朝、飛び散った木の葉や枝を掃除する住民や、壊れたアンテナや吹き飛んだ瓦を修復する作業員の姿が見られた。海岸の近くにある温泉施設の男性従業員(76)は「すごい音と風で、自転車や看板が飛んだ。竜巻みたいだった」。近くで土産物店を営む男性(85)は「家ごと吹き飛ぶかと思った。ここはもともと風が強いが、こんな強風は初めて」と驚いていた。和歌山地方気象台によると、26日夜は県南部で強風や大雨の注意報が発令されていた。同日午後9時20分に南紀白浜空港の観測所で風速11メートルを観測したが、湯崎地区の突風は観測されていないという。
【中田力】昭和18年大阪府生まれ。 昭和41年慶應義塾大学商学部卒業後、アメリカ合衆国ミシガン州立大学大学院入学。昭和42年ホテルハイプレー(現ホテルシーモア)開業に伴い帰国し、(株)天山閣入社。以後、白浜温泉と大阪・上六を拠点に観光事業を展開。平成元年、白浜旅館協同組合理事長を経て、平成12年より現在まで、白浜観光協会会長、和歌山県観光連盟副会長。又、「ホテルシーモア」「ホテル白浜館」「ホテル天山閣海ゆぅ庭」社長。
《NEWS》2016.10.26あべの経済新聞より
http://www.hihitown.com/news.php?id=361
上本町ハイハイタウンに真田幸村像-大坂の陣緒戦勝利の石碑も
うえほんまちハイハイタウン(大阪市天王寺区上本町6)1階で10月26日、真田幸村・佐助の巨大像が披露された。大坂冬の陣(1614年)、大坂夏の陣(1615年)から数えて400年を迎える今年と来年は、大阪で数多くの記念イベントを展開。茶臼山などが戦いの舞台だった天王寺区は、天王寺公園で5月に開いたプレイベントに続き、真田山公園で11月1日にコアイベントを開く「天王寺 真田幸村博」も予定するなど、さまざまなイベントが開かれている。真田幸村像は幸村博との共催で、★大阪成蹊大学(東淀川区)芸術学部が手掛けた。吹き抜け部分につるされた直径約9メートルの像は発泡スチロールと鉄骨で製作。幸村像としては世界最大という。併せて、上本町が冬の陣で真田幸村が緒戦勝利した場所として伝えられていることから、「真田幸村緒戦勝利之碑」の石碑も建立した。当日は除幕式も開かれ、天王寺区・水谷翔太区長らが出席。大阪城甲冑(かっちゅう)隊の演武や音楽ライブも行われた。ハイハイタウンでは11月9日まで、飲食店で500円の特別メニューなどを提供する「500円バルとバザール」を開く。各店スタッフが幸村Tシャツを着用する。
《大阪成蹊大学》
533-0007大阪市東淀川区相川3-10-62/
http://univ.osaka-seikei.jp/news/page:9
昭和8年 高等成蹊女学校創設
昭和13年 財団法人大阪成蹊学園設立
昭和26年 大阪成蹊女子短期大学(国文科・家政科)開設
昭和31年 大阪成蹊女子短期大学初等教育科新設
昭和42年 大阪成蹊女子短期大学観光科、デザイン科新設
平成15年 大阪成蹊大学現代経営情報学部(大阪市東淀川区)、芸術学部(京都府長岡京市)開設
平成24年 大阪成蹊大学芸術学部を相川キャンパスに移転・統合
平成26年 大阪成蹊大学教育学部開設
平成28年 大阪成蹊女子高等学校美術科開設
★ギャラリー<spaceB>
http://univ.osaka-seikei.jp/education/facility/spaceb/
独自の企画展、本学教職員による企画展、本学学生による企画展を開催しています。ジャンルを特定することなく、学外から足を運ばれる人々にも親しんでもらえる作品から、最新のアートを感じさせる前衛的な作品、学生の作品までを幅広く展開しています。また、展覧会だけでなく、公開講座やワークショップなども積極的に実施。このような活動を通じて、地域社会との交流、国際交流、学外の研究所機関との連携など、さまざまなネットワークづくりにも取り組みます。
●= FUN =置山智加・前奏江 Illustration & Textile EXHIBITION
2017年9月25日(月)~10月8日(日)
本学芸術学部の卒業生である作家、置山智加と前奏江の作品を展示します。イラストレーションとテキスタイル・ファッションデザインと分野は異なりますが、「日常の出来事から明るさや楽しさを描き出す」という点では共通しています。本学で共に学び、成長を続ける二人の若手作家の作品から溢れ出すエネルギーを感じてください。
★「東淀川区オリジナル婚姻届」
http://www.city.osaka.lg.jp/higashiyodogawa/page/0000390318.html
芸術学部 造形芸術学科 ビジュアルデザインコース2年生15人が、東淀川区役所との連携協定にもとづき取り組んだ「東淀川区オリジナル婚姻届」の運用が開始され、2017年3月24日(金)より東淀川区のホームページからダウンロードできるようになりました。これは東淀川区から「婚姻届を若者の視点を取り入れた、皆様に喜ばれるようなデザインにしてほしい」との要請を受けて実現したもので、提案された15案のうち3案が昨年11月に住民の投票により選ばれ、今回その3作品が利用可能となりました。(ダウンロード版のみ利用可能で、窓口等では配布していません)大阪成蹊大学では、今後も地域や自治体との連携事業を通じた学び、PBL(Project-Based Learning 課題解決型学習)を積極的に進めていきます。
・・・機会をつくって、大学に行ってみたいと思います。