葛城山(2) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・葛城山に来たら、「役小角」について素通りするわけにはいきません。

 

《参考》「役行者霊蹟札所会」

586-0032河内長野市栄町7-10-102巡礼協議会内/0721-56-2372

http://www.ubasoku.jp/index.htm

7世紀後半の山岳修行者。本名は役小角。舒明天皇6年(634年)伝~大宝元年6月7日(701年7月16日)伝。役優婆塞ともいう。日本の山岳宗教である修験道の開祖として崇拝され、江戸末期には神変大菩薩の諡号を勅賜された。多くの奇跡が伝えられるので、実在を疑う人もあるが、★『続日本紀』文武天皇3年(699)5月24日条に、伊豆島に流罪された記事があり、実在したことは確かである。

 

http://www.j-texts.com/jodai/shoku1.html

《文武三年(六九九)五月丁丑(廿四)》○丁丑。役君小角流于伊豆嶋。初小角住於葛木山。以呪術称。外従五位下韓国連広足師焉。後害其能。讒以妖惑。故配遠処。世相伝云。小角能役使鬼神。汲水採薪。若不用命。即以呪縛之。

 

多くの伝記を総合すれば、大和国(奈良県)★葛上郡茅原郷に生まれ、葛城山(金剛山)に入り、山岳修行しながら「葛城鴨神社」に奉仕した。やがて陰陽道神仙術と密教を日本固有の山岳宗教に取り入れて、独自の修験道を確立した。そして吉野金峰山や大峰山、その他多くの山を開いたが、保守的な神道側から誣告されて、伊豆大島に流された。この経緯が葛城山神の使役や呪縛として伝えられたものである。彼が積極的に大陸の新思想や新呪術を摂取したことは、新羅や唐に往来したとする伝承にうかがうことができ、その終焉も唐もしくは虚空に飛び去ったとされている。

 

 

《かつらぎの道》

http://www.kintetsu.co.jp/zigyou/teku2/teku-nara24.html

金剛山、葛城山の山裾を南北に延びる葛城古道の沿道には古寺、神社、史跡、伝説や神話が多く残っている。この地方の豪族鴨氏の氏神の社「高鴨神社」、京都の賀茂上下社もここが本家。境内にはうっそうと茂る老杉に囲まれ、時を忘れてしまいそうな静けさ。重文の本殿は桧皮ぶきの室町時代の建物。 春にはサクラソウが見もの。★「高天彦神社」へ向かう途中にあるのが、高天原。金剛山中腹に位置し、橋本院付近水田地帯一帯の高原台地。人里とも街道とも隔離された状況が高天原伝承地にふさわしい風情をかもしている。豪族葛城氏の祖神を祀り、背後の美しい円錐形の山がご神体の高天彦神社。参道をおおう天をつく老杉は神話の時代をほうふつとさせる。高天原を引き返し、さらに歩いていくと、★「一言主神社」が見えてくる。葛城の大神、一言主神は願い事をひとことだけ聞いてくれるという神。里の人は「いちごんさん」と呼ぶ。雄略天皇と争った伝説があり、境内にある蜘蛛塚も大和王権に抵抗した土蜘蛛一族が封じ込められたという史跡で、高さ20メートルの大イチョウの、乳房が垂れたような気根が圧巻。

 

 

《葛城一言主神社》

639-2318奈良県御所市森脇432/0745-66-0178

http://goseshikankou.jp/syousai/otera-zinzya/katuraginomiti/hitokotonushi/hitokotonushi.html

正式名称は葛城坐一言主神社。葛城の大神、一言主神は日本書紀などによると雄略天皇と争ったとされており、葛城氏と大和朝廷の対立が偲ばれます。 地元では「一言さん(いちごんさん)」として親しまれ、どの様な願い事でも一言の願いならばかなえてくれると信じられている。境内には推定樹齢1200年の大イチョウや★松尾芭蕉の句碑などもある。

 

 

《参考》「一言主」

★『古事記』(712年)の下つ巻に登場するのが初出である。460年(雄略天皇4年)、雄略天皇が葛城山へ鹿狩りをしに行ったとき、紅紐の付いた青摺の衣を着た、天皇一行と全く同じ恰好の一行が向かいの尾根を歩いているのを見附けた。雄略天皇が名を問うと「吾は悪事も一言、善事も一言、言い離つ神。葛城の一言主の大神なり」と答えた。天皇は恐れ入り、弓や矢のほか、官吏たちの着ている衣服を脱がさせて一言主神に差し上げた。一言主神はそれを受け取り、天皇の一行を見送った、とある。

少し後の720年に書かれた★『日本書紀』では、雄略天皇が一言主神に出会う所までは同じだが、その後共に狩りをして楽しんだと書かれていて、天皇と対等の立場になっている。時代が下がって797年に書かれた『続日本紀』の巻25では、高鴨神(一言主神)が天皇と獲物を争ったため、天皇の怒りに触れて土佐国に流された、と書かれている。これは、一言主を祀っていた賀茂氏の地位がこの間に低下したためではないかと言われている。(ただし、高鴨神は、現在高鴨神社に祀られている迦毛大御神こと味耜高彦根神であるとする説もある)

さらに、822年の★『日本霊異記』では、一言主は役行者(これも賀茂氏の一族である)に使役される神にまで地位が低下しており、役行者が伊豆国に流されたのは、不満を持った一言主が朝廷に讒言したためである、と書かれている。役行者は一言主を呪法で縛り、『日本霊異記』執筆の時点でもまだそれが解けないとある。

また、能の演目『葛城』では、女神とされている。

 

 

・・・「葛城一言主神社」には、「なで蛙」がいましたねえ~。

 

 

《高天彦神社》

639-2334奈良県御所市北窪158

http://www.city.gose.nara.jp/kankou/0000001390.html

古代豪族、葛城氏の最高神で、記・紀神話の中で、出雲へ国譲りのための使者を命令した高皇産霊神を祀っています。ほかに市杵島姫命(福岡県宗像郡宗像神社三宮に祀られています女神の一人)・菅原道真を祀っています。神社の形体は古く、桜井市の大三輪神社と同様にご神体は山(神社背後の白雲峰)であるので、本殿はありません。高天の広大な大地は、記紀に登場する天孫降臨神話の舞台となったところではないかと言い伝えられています。

 

・・・そんな神秘的な場所にも、★「幸せを呼ぶ福蛙」がいました。撫でたり擦ったり、水をかけて願をかけると 欲しいものがカエル、不幸を幸福にカエル、出て行った妻(夫)がカエル、など望みのカエルパワーを授かることができる、そうです。