★《第51回主題派美術大作展》8/23(水)~27(日)
於:堺市立文化館ギャラリー「つつじ」
590-0014堺市堺区田出井町1-2-200ベルマージュ堺弐番館2F/072-222-5533
https://www.sakai-bunshin.com/shisetsu_kihon_bunka.jsp
●「堺アルフォンス・ミュシャ館」ベルマージュ堺弐番館3F~4F
http://mucha.sakai-bunshin.com/
・・・堺市での展覧会を口実に、ぜひ寄り道したい場所がいくつかあります。
・・・夏は、やっぱり「かん袋」です。
《かん袋》
590-0964堺市堺区新在家町東1-2-1/072-233-1218
かん袋は、鎌倉時代末期、元徳元年(1329)に和泉屋徳兵衛が和泉屋という商号で御餅司の店を開いたのが始まりです。安土桃山時代に、豊臣秀吉が大阪城を築城し、その際に堺の商人へ多額の寄付を要求しました。文禄二年(1593年)の春中頃、桃山御殿が完成したのを機会に、秀吉は寄付金の礼として堺の商人納屋衆を招きました。その時、天守閣は瓦を葺く工事中でした。暑い日盛りの下で、蟻がえさを運ぶように職人が一枚一枚瓦を運び上げていました。この様子を見た和泉屋徳左衛門は、容易に片付かないと思い、毎日奉仕に出ました。餅作りで鍛えた腕力を使い、瓦を取っては次から次へと屋根の上に放り上げました。瓦は春風に煽られて、紙袋がひらひらと舞い散るように屋根に上がりました。そこに居合わせた人々は、度肝を抜かれました。これを見た秀吉が、「かん袋が散る様に似ている」と、その腕の強さを称えました。秀吉は、「以後かん袋と名づけよ」と命じ、それより「かん袋」が、和泉屋の商号になりました。
室町時代の中頃(1420年頃)には、堺の町は明との勘合貿易の貿易港として栄えていました。明国より入荷した農作物を利用して、五代目の和泉屋忠兵衛は塩味で挽き合わし、茶菓子を作り出しました。お餅をくるんで食べるところから「くるみ餅」と名づけました。その後、ルソンから砂糖が輸入され、甘味が加えられ現在のくるみ餅となりました。
明治時代になり、冷凍技術が輸入され、氷が簡単に作られるようになると、カキ氷をかけて食べられるようになりました。それが、「氷くるみ餅」です。当時から、夏になりますと、涼感を求めて大勢のお客様が、お店に行列を作るようになりました。
・・・並んででも食べたい「氷くるみ餅」、何度食べてもアキ(秋)が来ない、夏ならではの味覚です。続いて、「山之口商店街」へ。
《山之口商店街》
★「ギャラリーいろはに」
590-0953堺区甲斐町東1丁2-29/072-232-1682
http://sakai-yamanokuchi.jp/archives/350
https://akaci517.wixsite.com/gallery-irohani
企画画廊。1999年以来、幅広い分野の芸術を紹介。2014年から現代アートに特化した「ART SPACE 1682」を同時運営。芸術が人やまちに与える力を信じて活動しています。
8/25~ 9/ 6「松原隆志展」2016年度アートムーブコンクール・ギャラリーいろはに賞受賞記念展。抽象。
・・・来年「個展」をやらせていただく「いろはに」さんに立ち寄った後は、本日の最終目的地「ザビエル公園」です。