人権平和アート(10) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・これまで8/15をあまり意識していませんでしたが、今年は集会に参加しようと「森之宮」に出かけました。

 

 

◆【ピースおおさか】◆

540-0002大阪市中央区大阪城2-1/06-6947-7208

http://www.peace-osaka.or.jp/

~展示リニューアル~2015(平成27)年4月30日

ピースおおさかは、★1991年(平成3)に平和の首都大阪の実現をめざし、大阪府民・市民の協力のもと、世界平和に貢献することを目的に、大阪における平和の情報発信基地として開館しました。以来23年余が経ち、これまでに延べ188万人にのぼる多くの方々に来館いただくことができました。 ★戦後70年を迎え、戦後生まれが総人口の4分の3を超えた今日、戦争の記憶を風化させることなく、次の世代に戦争の悲惨さと、平和の大切さを伝えていくというピースおおさかの役割はますます重要になっています。開館以来初めてとなるこのたびの展示リニューアルでは、来館者にとって身近な地域の出来事である★「大阪空襲」を中心に取り扱うこととしました。また、次代を担う子どもたちが、この大阪で起こった空襲の実相や大阪と戦争の関係を通して、戦争の悲惨さ、戦争の背景を理解するとともに、平和を自分自身の課題として考えることができる展示をめざしました。歴史に学ぶことは、過去の時代を追体験することであり、このことを通じて、現在を考え、そして未来の方向性を見定めるヒントを得ることができます。そこで、現代とは大きくかけ離れた時代背景のもとで、当時の人々がいかに生きたかを、できるだけ体感しながら理解していただけるようにしました。展示に当たっては、当時の国際情勢を踏まえつつ、なぜそのような経緯を辿ったのか、時代の推移や背景をできるだけ明示するように努めました。 また、空襲とともに戦後復興も大阪の記憶として引き継ぐため、その時代を生きた人々の苦労と頑張りを大阪の街の発展とともに紹介するコーナーを新たに設けました。さらに、海外からの来館者に対する多言語の音声ガイドを新たに導入するなど、内外のより多くの人に理解していただけるように努めました。今なお、世界では戦争や紛争が絶えません。わが国もかつて戦争により多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えました。また、唯一の被爆国として多くの尊い命を失いました。戦争の悲惨さを知り、体感しさえすれば、それで平和が訪れるものではありません。平和とは何か、そのために何をすべきか、何ができるかを、私たち一人ひとりが考え、今できることを地道に実現に移すことが、求められています。ピースおおさかは今後も、大阪空襲の犠牲者を追悼し平和を祈念するとともに、大阪空襲を通して戦争の悲惨さ及び平和の尊さを次の世代に伝え、平和を願う豊かな心と確かな見識を育み、もって世界の平和に貢献するための大阪における平和ミュージアムとして、多くの皆様にご利用いただけるよう、努力を重ねてまいります。

 

 

《設計》シーラカンスK&H(Coelacanth K&H Architects Inc.)

工藤和美と堀場弘の建築ユニット。1985年に活動開始し、1986年に東京大学原広司研究室の大学院生だった6人のパートナーで設立された「シーラカンス」創設。その後、1998年にシーラカンスK&Hとシーラカンスアンドアソシエイツに対等分社し、それぞれが別会社で再出発している。1990年、「桜台アパートメント」が第7回吉岡賞受賞。1997年、「千葉市立打瀬小学校」がシーラカンス(小嶋一浩・工藤和美・小泉雅生・堀場弘) で、日本建築学会賞作品選奨入選。1996年★大阪国際平和センター・ピースおおさか」がシーラカンス(伊藤恭行・工藤和美・小泉雅生・小島一浩・堀場弘)で日本建築学会作品選奨入選。

http://www.peace-osaka.or.jp/diary/2015/post-163.html

公開建築設計コンペにより若き建築家集団シーラカンスが当選した平和施設建築。シーラカンスという設計事務所は東京大学大学院の原広司研究室で共に学んでいた6人のパートナーが集うところから誕生しました。この建築は初期の代表作といえるのではないでしょうか。様々な形の屋根は異なる国家や民族の共存を表しているそうです。大阪城公園側の緑に面した複雑な屋根形の集まりと反対道路側の大きなボリュームから成るファサードの差異は敷地条件の差異をそのまま表現していて、原広司さん設計の「ヤマトインターナショナル」と共通のデザインテイストが感じられます。この場所と施設にふさわしいオンリーワンの建築となっています。

 

《1945年の母子像》

http://www.peace-osaka.or.jp/diary/0201/post-37.html

作者は当館のシンボルマークのデザインも手がけたグラフィックデザイナー★粟津潔さんです。この母子像は、戦争で犠牲になった人々を追悼するととともに戦禍の中を逃げまどう母と子のイメージを基本に作製されました。府民の中から、大阪大空襲の犠牲者の追悼のモニュメントの設置についての要望があったことも、ピースおおさか建設の際に考慮されました。また、この母子像には、世界の平和を願う人々の気持ちがこめられて、ピースおおさかの玄関を飾っています。

シンボルマーク、まず真ん中の円は「大阪」を象徴するとともに「地球」を表し、外周の楕円形は「宇宙空間」を表しています。制作者の粟津潔さんの「平和の発信が大阪から地球全体に、さらに宇宙へと浸透していくように」という願いが込められています。

 

 

《ピースバード》開館20周年

http://www.peace-osaka.or.jp/news/e20120516.html

全国から寄せられた2,428作品の中から、厳正な選考の結果、「ピースバード」という愛称に決定いたしました。たくさんのご応募、誠にありがとうございました。今後、その愛称とともに一層ピースおおさかの顔として飛躍してまいりますので、よろしくご声援のほど、お願いいたします。

★「ミュージアムキャラクターアワード 2017」

http://www.museum.or.jp/museum-chara/

株式会社丹青社(本社:東京都 / 代表取締役社長:高橋貴志)が運営する、日本最大級のミュージアム情報サイトであるインターネットミュージアムは、博物館・美術館・科学館・動物園・水族館などミュージアムが設定しているキャラクターの人気日本一を決める 「ミュージアム キャラクター アワード 2017」を、2017年8月1日(火)の15:00に開始しました。約7900館のミュージアム情報を有するインターネットミュージアムが 2010 年から毎年開催している企画で、今年で8回目。全国から参加した37館のユニークなキャラクターを一堂に集め、ネットで好きなキャラクターに投票してもらうことによって、ミュージアムキャラクターの人気日本一を決定します。投票はスマートフォンでも可能です。投票期間は2017年9月14日(木)15:00までの45日間。結果はインターネットミュージアムのホームページで発表します。

 

・・・もちろん「世界平和のために」、投票しましたよ。

 

★終戦の日8月15日(火)

平和祈念事業「戦争犠牲者追悼式 平和コンサート」

http://www.peace-osaka.or.jp/news-event/event/2017-06-30-187.html

毎年、8月15日に行っているこの行事。今年度も学校法人★相愛学園にご協力いただきました。開演に先立ち、大阪空襲死没者を追悼し平和を祈念する場「刻の庭」にある8つの鐘を鳴らしていただきました。8つの鐘は、大阪で大空襲(B29が100機以上の規模の空襲)が8回あったことからきています。平和コンサート、まずは相愛大学卒業生のみなさんによる弦楽四重奏です。そして、相愛高等学校音楽科および相愛中学校音楽科進学コースのみなさんによる合唱です。平和コンサート後は、大阪空襲死没者を追悼し平和を祈念する場「刻の庭」で菊一輪の献花をしていただきました。最後に、折鶴に託された想いを天に届ける昇鶴祭を行いました。折鶴は、特別展示室で来館者のみなさんに折っていただいたものやピースおおさかにご寄贈いただいたものです。戦後72年目の終戦の日。これからも、大阪の空襲のことなどを伝えていきたいと改めて思いました。

 

 

《NEWS1》2016.8.19大阪日日新聞より

音楽通し平和祈る/終戦記念日にコンサート

http://www.soai.jp/

相愛学園の生徒らが終戦記念日に中央区大阪城の大阪国際平和センター「ピースおおさか」で平和コンサートを開き、弦楽四重奏や合唱で戦没者を供養し、平和を祈った。相愛学園の生徒らが終戦記念日に中央区大阪城の大阪国際平和センター「ピースおおさか」で平和コンサートを開き、弦楽四重奏や合唱で戦没者を供養し、平和を祈った。同センターが主催し、15日に開いた終戦の日平和祈念事業「戦争犠牲者追悼式」のプログラムの一つ。相愛大音楽学部の学生は弦楽四重奏で「G線上のアリア」「この道」「故郷」「カヴァレリア・ルスティカーナ」「花は咲く」を披露し、「音楽は世界共通の言葉。音楽を通じて人々の心が一つになるように、争いがなくなるようにという願いを伝えたい」と話していた。続いて、相愛高音楽科と中学校音楽科進学コースの生徒が「365日の紙飛行機」「ほらね」「Every Day Happy Day」「永遠の花」を合唱し、「悲しい出来事にも目を背けず、平和を祈り続けていく」と言い、約230人の聴衆とともに「ふるさと」を歌い上げた。

 

《NEWS2》2017.8.15毎日新聞より

終戦の日・ピースおおさかで追悼式モニュメントに献花

大阪市中央区のピースおおさか(大阪国際平和センター)では15日、戦争犠牲者の追悼式があり、参加者231人が黙とうした。大阪空襲で亡くなった人たちの名前が刻まれたモニュメントに献花し、平和を祈った。 大阪は1944年12月から終戦までに、米軍による50回以上の爆撃を受け、死者・行方不明者は約1万5000人に上った。モニュメントの銅板には判明している9079人の名前が刻まれている。国民学校6年生だった45年3月13~14日の大阪大空襲で、母親(当時38歳)と祖父を亡くした近藤豊子さん(84)=大阪府豊中市=は「もう一度、話がしたい」と涙を浮かべた。家族で大阪市西区の自宅から避難する途中、体調を崩していた祖父と付き添った母親が行方不明となった。近藤さんは2人の名が刻まれた銅板に花を手向け、「モニュメントがお墓代わり。戦争で得るものは何もない」と訴えた。

 

 

《NEWS3》2017.5.1毎日新聞より

展示に市民ら40人抗議・ピースおおさか前で/大阪

大阪市中央区の「大阪国際平和センター」(ピースおおさか)前で30日、旧日本軍などによる加害の問題に取り組む市民ら約40人が「改悪リニューアル3年目 今、なぜ教育勅語なのか?」をテーマに集会を開いた。ピースおおさかは大阪維新の会の府議らから「自虐的だ」との批判を受け、侵略や植民地支配に関する展示を大幅に縮小し、2015年4月30日にリニューアルオープンした。集会は、ピースおおさかの危機を考える連絡会の主催。大阪空襲や君が代強制、靖国訴訟、南京大虐殺、「慰安婦」、中国人強制連行などの問題に取り組む市民らがマイクを握り、加害の事実を伝えることの大切さを訴えた。教育勅語が戦争に果たした役割などの説明なしに新たに展示されていることにも多くの人が言及した。「教育勅語を子どもに暗唱させていた森友学園問題の先駆けだ」などと、批判する声もあった。

 

《森之宮Q’sモール》

https://qs-mall.jp/morinomiya/

 

・・・そして「森之宮ピロティホール」へ。