平成13年度(第12回)①建築物に付属するモニュメント表彰
■建物名:梅田ダイビル/北区333-3-10
作品名:DRAGON/所有又は管理者:ダイビル/制作者:ケネス・スネルソン
ダイビルが所有するオフィスビルで、国鉄南コンテナヤードの跡地の西梅田再開発地に建設され、オオサカガーデンシティを構成する。低層部の吹きぬけ構造が特徴で、2001年に第12回大阪施設緑化賞(みどりの景観賞)特別賞を隣接する安田生命大阪ビル(現 明治安田生命大阪梅田ビル)とともに受賞、同年の松井源吾賞、2003年の第23回大阪都市景観建築賞(大阪まちなみ賞)奨励賞を単独で受賞した。KBセーレンの本社やキヤノンマーケティングジャパンの大阪支店などがテナントとして入居している。
【ケネス・スネルソン】Kenneth Snelson(1927~2016)
https://www.nytimes.com/2016/12/23/arts/design/kenneth-snelson-dead-sculptor.html
再開発地区全体の景観を考慮して、「見通しの良い」「圧迫感の無い」ビルのファサードが建築的に探求され、結果大胆な高床式となった。そのせり上げられたビルの足元に、見通しを遮らない、圧迫感のない、軽やかな、しかし存在感のあるモニュメントが求められ、この作家・作品に決定した。1927年アメリカ、オレゴン州生まれ。パイプとワイヤーからなるこの特殊な構造は、テンセグリティーと呼ばれ、一般にはバックミンスターフラーと結びつけて語られることが多いが、発見者は大学での彼の教え子、この作品の制作者、ケネス・スネルソンである。このことは、バックミンスターフラーも公式に言明している。
・・・昨年12月22日、89歳で亡くなられました。ご冥福をお祈りします。
【脇田愛二郎】(1942~2006)
造形感覚はもとより、建築的な空間感覚、スケール感覚に大変優れた作家。この点が特に建築家に高く評価され、作品の設置事例も多い。イサム・ノグチの影響を受けつつも、とりわけ螺旋状の力強い立体作品を探求し、独自の作風を築いた。この作品も脇田の代表的造形である。
1942京都に生まれる。父は洋画家★脇田和
1964武蔵野美術大学本科西洋画科卒業後、すぐにアメリカ・ニューヨークに渡る
1967ブルックリン・アート・ミュージアムに学ぶ
1971シアトル国際版画展で入賞
1973箱根彫刻の森美術館大賞展、東京国立近代美術館にて東京国際版画ビエンナーレ展出品、その後ニューヨークなどの展覧会に参加する
1977栃木県立美術館にて日本の現代美術展出品
1983平櫛田中賞受賞
1986第2回東京野外現代彫刻展で大賞受賞
1988アメリカ・ダラスでの個展を皮切りに東京や京都などで順次個展を開催
2002軽井沢の脇田美術館で個展
2006肝不全で死去
《脇田美術館》
389-0100長野県軽井沢町旧道1570-4/0267-42-2639
http://www.wakita-museum.com/index_02.html
■建物名:安田生命大阪ビル/北区3-3-20
作品名:MIND-BODY COLUMN/所有又は管理者:安田生命保険、大成建設/制作者:アントニー・ゴームリー
4棟の高層ビルに囲まれた、中央広場に立つモニュメント。地球の核を構成する主要物質「鉄」を無垢のまま使用し、大地から「生えた」人体造形とすることで、大地と人との、自然と人との、ひいては作品名にあるごとく心と体の、連続性が暗示されている。作家アントニー・ゴームリーにとって、初のタワー状大作。構造的に困難を極め、優秀なエンジニアを大いに煩わせた。その結果、溶接を一切使用せずに、「焼き嵌め」によって、全体を組み上げた。阪神大震災後でもあったので、耐震にも万全の注意を払い、免震装置を地下に設けた。装置の安定のため、地下に20トン強のおもりを埋めている。
【アントニー・ゴームリー】Antony Mark David Gormley(1950~)
http://www.praemiumimperiale.org/ja/component/k2/gormley
イギリス・ロンドン生まれ、現代のイギリスを代表する彫刻家。身長193センチの自らの身体を型取りして作った人体像で知られる。その表現は静的で、伝統的な西洋彫刻のような動きの表現を目的としない。「身体は物体ではなく、我々が住む場所」と考え、実験的造形を通して人間の存在について問い続けている。その作品が置かれる空間、時間、自然との関係性を重視、展示全体を作品とし、高い評価を得ている。ケンブリッジ大学で考古学、人類学などを研究した後、インドとスリランカに3年間滞在し、仏教を学ぶ。東洋思想の影響が制作には色濃く現れている。彫刻作品は世界各地に恒久設置され、イギリス・リヴァプール近くの3キロに及ぶ海岸線に100体の人体像を配した作品《アナザー・プレイス》(1997)は最も有名なものの一つ。2012年8月から翌年3月まで、神奈川県立近代美術館葉山館で2体の人体像の屋外展示『TWO TIMES−ふたつの時間』を行った。
《大阪中央病院》
530-0001大阪市北区梅田3-3-30/06-4795-5505
http://www.osaka-centralhp.jp/
・・・田村能理子さんの作品が飾られていました。
【田村能理子】
http://tamuranoriko.yukigesho.com/
1944愛知県生まれ。愛知県立旭丘高校美術過程を経て
1966武蔵野美術大学油絵実技専修科卒業。
1969~1973インドに滞在し、大地に生きる人々を描く。
1986文化庁芸術家在外研修員として北京中央美術学院に留学。中国・西域地方滞在。
1988中国・西安のホテル「唐華賓館」を第一作目として、中山競馬場、客船「飛鳥」、横浜コンサートホール、名古屋セントラルタワーズ、青梅慶友病院、テルモ株式会社、銀座のファンケルスクエア、京都嵐山天龍寺塔頭宝厳院、ホテル椿山荘東京など、これまで壁画・障壁画など59作を制作。昭和会展優秀賞、現代の裸婦展グランプリ、日本青年画家展優秀賞、前田寛治大賞展佳作賞などを受賞。
1989中国政府より壁画作品に対し軒轅杯国際特別賞受賞。
1995年から3年間タイ(バンコク)に滞在、アジアの風土をモチーフとした制作を続ける。現在まで壁画制作の合間を縫ってインド・タイ・中国などアジア各地への旅をくり返し、大地にしっかりと足を踏みしめて凛として生きる「アジアのひとのかたち」をテーマに描き続けている。