平成12年度(第11回)4 | すくらんぶるアートヴィレッジ

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■建物名:ベイシティ大阪/港区池島3-5-1

作品名:宇/所有又は管理者:ベイシティ大阪管理組合/制作者:青木秀憲

http://www.osakacity-mansion.jp/letter/letter-13

地下鉄朝潮橋駅から徒歩約10分、★三十間堀川沿いに建つベイシティ大阪は、1992年から1994年にかけて建てられたデザイナーズマンションのはしりであり、モダンな外観がひときわ目を引きます。また公開空地をたっぷり採り入れ、自然環境にも配慮されています。築後10年経った段階で、防犯や景観などさまざまな問題に取り組むと同時に、公開空地である故の悩みにも直面されています。

 

・・・大阪市都市工学情報2次情報集(平成13年度開発行政関係資料)では、作品名「字」となっていたので、いったいどんな作品だろうかと興味津々だったのですが、実際は「宇(構築)Ⅴ」でした。

 

 

【青木秀憲】(1934~)

http://aoki-hidenori.com/

1934栃木県に生まれる

1965メタル・アート・デザイン工房設立[東京]

1966通産省グッドデザイン賞 1967、1968、1969年にも受賞

1967日本貿易振興会(ジェトロ)デザインハウス選定賞受賞1968、1969年にも受賞

1968日本デザインコミッティー選定賞

1970第2回ユーロ・ドムス展(招待出品)イタリア建築家ジオ・ポンティーより賞を受ける[トリノ・イタリア]

1973横浜市地下鉄建設設計 横浜国大:河井正一教授 デザイナー:柳宗理計画設計・金属造形に参加する

1975「メタル世界への挑戦」と題してSD誌(鹿島出版会)に特集される。この頃より彫刻家★流政之先生の知遇を得、金属造形作家としての途を選ぶ。

1976工芸財団国井喜太郎産業工芸賞受賞

1978八重洲ブックセンターでS・D・A賞

1981第1回びわこ現代彫刻展「IZUMI」を出品、永久コレクション[委員長:イサム・ノグチ、会場構成:安藤忠雄]

1982サウジアラビア国王のモニュメント計画 石油記念碑二基制作設置

1983大阪ソニー・タワーにて個展「金属造形2」(ソニー本社企画)

1984栃木県立美術館美術家展に招待出品「IZUMI」美術館庭園(屋外)常設展示となる

1988財団法人南大阪地域地場産業振興センター玄関前広場モニュメント〈宙〉設置

1989泉北急病診療センターモニュメント〈宙〉センター前に設置(堺市)

1992 福井市緑道のシンボルモニュメント〈樹〉構築模型完了、現地制作に入る

1992ベイシティ大阪、大集合住宅玄関ホールに、モニュメント★「宙」を制作(大阪)ベイシティ大阪、大集合住宅玄関広場に★モニュメント「宇」高さ15メートルの制作にはいる(大阪)

1993福井市シンボルモニュメントの制作過程を福井テレビにて放映される

1994福井市市制100周年記念モニュメント〈樹〉制作設置 [福井県]

1995建設省1995年度都市景観大賞(福井市代表)受賞

1995-2001東京ガス本社、ソニー本社モニュメント〈炎〉設置

2000 ベイシティ大阪(広場)モニュメント★〈宇〉が都市景観の貢献で表彰

2003 日本文化振興会・国際芸術文化賞受賞、国際文化栄誉賞・勲章授与

2004 栃木県立美術館 作品〈宙〉美術館蔵・室内常設展示となる

2006 大阪辻学園 (各門料理学校)玄関ホールにレリーフ〈宙〉を設置する

2009 その他作品多数制作する

現在、日本文化振興会永久名誉会員、日本インダストリアルデザイナー協会名誉会員

 

 

・・・「宇」の意味を調べてみました。

 

《宇》

①「のき(軒)、ひさし(屋根の下端で、建物の壁面より外に突出している部分)」

②「家」、「屋根」(例:屋宇)

③「無限の空間」(例:宇宙)

④「天」、「空」

⑤「ところ(所)」、「辺り」(例:眉宇)

⑥「心」、「魂」、「物事を成し遂げようとする心の働き」(例:気宇)

 

《三十間堀川(港水道橋)》

水道橋は、川や谷を超えて水を運ぶための橋であり、水路橋や水管橋とも呼ぶ。

 

 

《参考》西大阪治水事務所が管理する三大水門(安治川水門・尻無川水門・木津川水門)が、大阪ミュージアム"大阪のいいもの・いいところ"として平成21年1月27日に登録されました。

http://www.pref.osaka.lg.jp/nishiosaka/information/osaka-museum.html

尻無川水門(撮影:小林哲郎)10年間保育士として保育園に勤務後、写真家へ転身。主な被写体は、巨大建造物、工場、産業遺産、地下空間などで、日常にある非日常感をテーマに撮影。尼崎運河クルーズを始め、関西各地の工場、産業観光ツアーの講師としても活動。また、芸術新潮、エルマガジン、関西ウォーカーなどの雑誌の建築物、工場の写真の寄稿多数。

 

 

《池島公園「勝利の女神像」VITTORIA》作:新谷琇紀

http://www.city.osaka.lg.jp/minato/page/0000193186.html

http://www.city.osaka.lg.jp/minato/page/0000196300.html

港区は太平洋戦争で空襲にみまわれ、一面焼け野原になりました。また、戦後は地盤沈下のためジェーン台風などで大きな水害にもあいました。そのため災害に強いまちをつくるために、平均2メートルの地面のかさ上げ(盛土)や道路・上下水道工事など大規模な土地区画整理事業が、45年もの歳月をかけて行われました。これを記念して「勝利の女神像」が、池島公園に設置されています。同じ作品が、神戸市中央区ポートアイランドにも設置されています。

 

【新谷琇紀】(1937~2006)

「愛」をテーマに精緻で柔らかな作風を持つ。女性を中心とした人物像などを発表、その多くが神戸市内に野外彫刻として設置されている。1937年7月、新谷英夫の長男として、兵庫県神戸市に生まれる。父を師として彫刻を始めた。 兵庫県立御影高等学校、金沢美術工芸大学を卒業後、イタリアのローマへ留学し、エミリオ・グレコらに師事する。神戸女子大学で教授職の傍ら、彫刻家として作品を発表してきた。 1971年12月28日、イタリア人モナイ・パトリツィアとイタリアにて結婚。ほとんどの女性の彫刻はパトリツィアがモデルになっている。1973年に長女、1975年二女が生まれ、二人が新谷彫刻研究所を引き継いでいる。2006年8月31日、肝不全のため69歳で死去。

《NEWS》2017.2.16神戸新聞NEXTより

彫刻家の新谷英子さん死去/神戸市出身、74歳

生きる喜びを表現した女性像などで知られる彫刻家で神戸女子短期大学名誉教授の新谷英子(本名映子=えいこ)さんが死去したことが15日までに分かった。74歳。神戸市出身。自宅は神戸市中央区。葬儀・告別式は親族のみで済ませた。父や兄、姉も彫刻家という芸術一家に育ち、神戸市内各地の野外彫刻などを数多く手掛けた。阪神・淡路大震災で自宅が全壊し、親族を亡くしたが、震災後、復興モニュメントの制作にも携わった。2014年には、朝来市のあさご芸術の森美術館で大規模な個展が開かれた。兵庫県文化賞、神戸市文化賞などを受賞。

 

・・・平成12年度(第11回)受賞作品の最後、梅田「HEP FIVE」へ。

 

 

【打浪隆夫】(1947~2004)

大阪市生まれ。梅田HEPFIVEビルの外壁、ステンレスで出来たモニュメント『HEP』が代表的な作品である。吹田の済生会病院にあるモニュメント『かけ橋』は、大阪パブリックアート賞受賞。万博記念公園の資源リサイクルセンターにあるモニュメント『もう一つの輪廻』。他にもたくさんの作品を残された金属彫刻家、残念ながら2004年9月(57歳)で突然亡くなられました。大阪と京都の間の山中にあった「タロー美術工房」で金属の彫刻やモニュメントを制作。作品は、公共スペースなど関西のあちこちで見ることができます。