本町ビル | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・長らく滞っていましたが、ようやく頭角を現してきましたので、

 

《NEWS1》2014.6.30建設通信新聞より

http://kensetsunewspickup.blogspot.jp/2014/06/blog-post_4062.html

安藤忠雄「生きた建築ミュージアム」継承/大阪商工信金の新本店ビル

大阪商工信用金庫(大阪市中央区、小林良彦理事長)は、新本店ビルの建設に着手する。現在同ビルの設計を、安藤忠雄建築研究所に委託して進めている。既存建物の屋上部にある建築家・今井兼次がデザインしたレリーフを保存再生しながら、ガラス張りの現代的な建物に生まれ変わるという。解体工事は竹中工務店が担当、解体後引き続き竹中工務店・鴻池組JVで本体工事に着手する予定だ。★2016年12月の供用開始をめざしている。大阪市中央区本町2にある現在の「本町ビル」を解体、同信金の本店ビルとして建て替える。日本建築協会発行の『建築と社会』によると本町ビルの規模は、SRC造地下2階地上9階建て延べ約1万5000㎡。東洋紡の子会社だった東邦商事(現東洋紡不動産)の社屋として建設され、日建設計工務(現日建設計)が設計、大林組の施工で1961年に完成した。屋上には“日本のガウディ”と呼ばれた★今井兼次がデザインしたモザイクタイル貼りのレリーフ「フェニックス」があるほか、東北側外壁部(1-2階の間)には彫刻家★植木茂の手による石彫レリーフがあしらわれていることから、大阪市が都市魅力を発信する取り組みの一環で実施している「生きた建築ミュージアム」のひとつにも選ばれている。新本店ビルの設計は★安藤忠雄建築研究所が担当。同信金によると規模は地下2階地上12階建て、外観はガラス張りで開放的なイメージを演出する。構造や延べ床面積などは現在も検討中で、現時点でまだ確定していないという。屋上部のレリーフは解体後、新本店ビルの西側に設けられる予定のパブリックスペースに設置し市民に公開するなど、「旧建物の遺産の継承を図る」(同信金)方針だ。8月ごろから解体工事に本格着手し、15年2月めどに終了。同年4月から新築工事に着手、1年半の工期で建設し16年12月の供用開始をめざす。

 

 

《大阪商工信用金庫新本店ビル》

大阪市中央区本町2-2-7

本町通と堺筋が交わる本町1交差点の南西角、地下鉄堺筋本町駅直結の本町ビルディング★(旧東洋紡ビル:1961年竣工)が立っていた場所に、大阪商工信用金庫の新社屋が建設中です。同金庫は大阪市内を中心に17店舗を展開。現本店は中央区松屋町住吉にある。

 

《NEWS2》2007.9.22日経ネットより

東洋紡「本町ビル」売却──大阪・堺筋本町、周辺再開発に弾み

東洋紡は9月中にも地下鉄堺筋線堺筋本町駅の真上にある「本町ビル」(大阪市中央区)を売却する。百数十億円で不動産関連会社に売却、2007年度中に引き渡す。同ビルの周辺には老朽化したビルの売却や高層化計画が増えており、御堂筋中心に進む本町の再開発の流れがさらに広がる可能性がある。同ビルは地上9階、地下2階建てで、賃貸面積は約1万200平方メートル。築46年と老朽化は深刻で今年5月に火災が発生したこともあり、資産価値の下落が懸念されていた。同物件の簿価は50億~60億円前後とみられ、売却により50億円以上の利益が出る見通し。本町ビルが面する本町通り沿いでは、堺筋本町駅の隣の地下鉄御堂筋線本町駅の真上に積水ハウスが高層ビル「本町ガーデンシティ」を開発中。最高級ホテルのセントレジスが進出する予定だ。19日に大阪府が公表した基準地価調査では近隣の中央区瓦町2丁目地点の地価が前年比約3割上昇。開発業者の取得意欲も高まっている。大阪駅北ヤードの開発が始まるなど、2010年ごろから梅田地域にオフィスや商業ビルの開発が集中する。老朽ビルの売却や改築が進まない限り、梅田の中心部からの交通の便が悪い堺筋一帯が地盤沈下する可能性が指摘されている。堺筋沿いでは、近隣の北浜にある三越跡地に日本一の超高層マンションができるなど開発が進みつつある。

 

 

【今井兼次】(1895~1987)

2012.9~10多摩美術大学美術館「今井兼次の世界」展より

http://www.tamabi.ac.jp/museum/exhibition/120915.htm

今井兼次は、早稲田大学図書館をはじめ東京地下鉄道銀座線(上野ー浅草間各駅)、岸田國士山荘、多摩帝国美術学校、日本中学校、航空記念碑、カトリック成城教会聖堂、跣足男子カルメル会修道院聖堂、日本26聖人殉教記念施設など優れた建築作品を設計、我が国のモダニズム建築の流れからは離れたところで独自の内面的な世界を築いた建築家であり、エストベリ、ガウディ、シュタイナーらをいち早く日本に紹介したことでも知られています。また早稲田大学、日本美術学校、帝国美術学校(現武蔵野美術大学)、多摩帝国美術学校(多摩美術大学の前身)、多摩美術大学、関東学院大学、浅野学園(現浅野工学専門学校)、文化学院などで教鞭をとり、教育者としても大きな足跡を残しました。多摩美術大学美術館では今井兼次共同研究会を中心にして、すでに2005年の「建築家 今井兼次の世界」と2007年の「建築家 今井兼次の世界II-初期作品から航空記念碑まで-」、2009年の「建築家 今井兼次の世界III-祈りの造形-」を開催しました。それらに続く第4弾の多摩美術大学今井兼次共同研究会の成果を示す展覧会として、今回は、今井兼次の戦後の公共建築を中心とした作品に関する設計図面、エスキース、スケッチ、模型などを展示します。今井兼次の第二次大戦後の作品の中から、ユネスコ村、碌山美術館、東洋女子短期大学(現東洋学園大学)モザイク、糸車の幻想モザイク、大多喜町役場庁舎、大室高原ヘルスホテル設計案、桃華楽堂(香淳皇后還暦記念ホール)、大隈記念館、遠山美術館など、教会建築と同時並行で創られた公共建築の中に、建築を通しての今井兼次の「社会への奉仕」を見ることができます。本展覧会の開催を通じて、今井兼次の世界がより多くの方々に理解されることを願っております。

 

 

【植木茂】(1913~1984)

2014.9~11島根県立美術館「植木茂」展より

http://www.shimane-art-museum.jp/exhibition/backnumber/exhibition/ueki.html

北海道生まれ。はじめ同郷の洋画家・三岸好太郎に師事。1935年唐招提寺に旅行し大日如来の印を結ぶ手を見て感銘を受け、独学で彫刻をはじめる。1937年自由美術家協会第1回展にはじめて抽象彫刻を発表。以後日本の抽象彫刻を牽引し、1950年代にはサンパウロ・ビエンナーレやヴェネツィア・ビエンナーレといった国際展でも広く活躍した。また、デザインの仕事も多く、洋酒ボトルや店舗、家具、遊具、照明器具、アクセサリーなども手がけた。私はいつも彫刻家でない事を願い、彫刻でない彫刻を作ろうと夢見て過ごしている・・・植木茂。

 

 

・・・「本町ビル」交差点北西角にあるのが、

 

《「千鳥宗家堺筋本町ビル」(旧ワセダヤビル)》

541-0053大阪市中央区本町2-1-2/06-4705-1588

ビルの上に早稲田大学の大隈記念講堂を模した塔屋が載っている堺筋本町のワセダヤビルが、千鳥屋宗家ビルという名称に変わって、1階がその店舗になっています。ワセダヤビルは、もともとシャツのメーカーだった早稲田屋の本社社屋だったビルで塔屋の下には、シャツを着た男性のステンドグラスが残っています。

 

 

・・・船場・本町からどんどん「イトヘン」が姿を消していく。せめて記録・記憶にとどめ、「大阪」らしさを見失わないようにしていきたいものです。