■建物名:ベル・パークシティANNEX/都島区友渕町1丁目
元々カネボウの大阪・淀川工場が位置していたが、1982年に長浜工場に移転したことを受け大阪市が都心へ通勤するサラリーマン家庭を市内に居住させることを目的として第1期(A、B棟)造成を開始する。主に1987年ごろから本格的な入居が始まり、1995年までにはほぼ開発が終了した。建設は三井建設ほか共同企業体。ベルパークシティという名前はカネボウ(鐘=英語でベル)および、三井系のブランドであるパークを合わせたものである。この団地が開発された背景には、大阪市が1970年以降ドーナツ化現象により郊外への人口流出に悩まされ続けていたため、市内の定住人口を少しでも確保したいという切迫した事情があった。また地価の高騰により市内各地で工場や事業所の郊外移転が進み、空き地となった場所の有効な土地利用を進めようという市当局の狙いも加わった。
【中島幹夫】
1933岐阜県生まれ
1959東京芸術大学美術学部彫刻科卒業
1961東京芸術大学美術専攻科卒業
1965~(株)つばさ工房
(131-0042東京都墨田区東墨田1-3-1/03-3617-4066)
1966~1971、1985~1989 東京芸術大学美術学部彫刻科 非常勤講師
1971千葉ガーデンタウン集合住宅
1979~1986千葉大学工学部意匠学科 非常勤講師
1973板橋サンシティ集合住宅(東京)
1980「風の肖像」千葉県立美術館買上蔵
1982ベルパークシティ(大阪)
1992「芽」ベルパークシティ アネックス(大阪)
1993「フェイス」ベルパークシティ アネックス(大阪)
1987「ウォーター・アイ」パークシティ新川崎 宇宙の広場(神奈川)
1991「鳥の景」能登島ガラス美術館(石川)
1991~2002 日本大学生産工学部建築学科非常勤講師
◆【大阪都島工芸美術館】◆
534-0016 大阪市都島区友渕町1-5-102ベルパークシティ内/06-7860-1020
http://www.task.ac.jp/miyakojima/index.html
当館は平成22年に京都伝統工芸大学校の付属施設として、★旧「鐘紡繊維美術館」の建物を利用して誕生しました。本校生の作品を常設展示する他、本校生をサポートする様々な展示会、イベント、体験教室などを開催しています。
《参考1》「石の銀行(阪神間)」
http://www.ishi-bank.net/10results/miyakojima/index.html
都島工芸美術館(旧鐘紡繊維美術館)の200平方mに、利用された小振りな御影石。オープンして間なしで芝が生え揃ってませんが、それでも緑と御影石のコントラストが美しい。四角ばった建物の周りを波状に飾る石が、「自然」を強調して見え、都市の真ん中のオアシスを感じさせます。
《参考2》2007.12.22産経新聞より
産業再生機構の支援を受け、事業譲渡後に解散したカネボウが所有する染織コレクションを公開してきた「鐘紡繊維美術館」(大阪市都島区)が、12月末で閉館することが17日、分かった。9年前に休館したが、カネボウの清算業務を行っている海岸ベルマネジメント(東京)が正式に閉館を決定した。収蔵品も価値を確認した上で売却などで処分されることになる。同美術館は昭和61年、カネボウ淀川工場跡地に再開発された商業施設や高層マンションのなど一角に設けられたカルチャースクール施設内に展示室として開館。毎年春と秋に企画展として、カネボウが収集した国内外の染織コレクションを公開してきた。収蔵品は日本の小袖(こそで)、能衣装などの端切(はぎ)れや能面、中東、南米、欧州、アジアの染織裂など約1万点。繊維業界関係者や研究者らに活用されていたが、運営費や維持費が負担となり、平成10年に休館した。同年4~6月に開かれた最後の春季展には、2カ月間の会期中、1日平均20~30人が訪れた。その後、収蔵品の約6割は京都国立博物館(京都市東山区)、国立能楽堂(東京都渋谷区)、女子美術大学(神奈川県相模原市)に寄託され、個別に展示などが行われたが、約4割は大阪府内の貸し倉庫に眠るままになっていた。海岸ベルマネジメントによると、カルチャースクール施設を今月末で閉鎖することになり、美術館閉館を正式決定したという。同社では「収蔵品は端切れなどが多く、美術的、文化的な価値などは不明だが、専門家らに鑑定してもらい、売却などの処分を進めたい」と話している。
《参考3》カネボウ収蔵品と長尾美術館
http://nagao-bekkan.image.coocan.jp/index.html
カネボウ株式会社は所蔵する約12,000点の染織品を鐘紡繊維美術館で公開を行っていましたが、会社の経営不振により美術館は1998年(平成10)に休館しました。2007年(平成19)12月、カネボウの清算業務を行っていた海岸ベルマネジメントは正式に鐘紡繊維美術館の閉館を決定し、収蔵品は売却処分されることになり、これらの内大凡6割を文化庁、女子美術大学他が購入しました。鐘紡繊維美術館が所蔵した長尾美術館旧蔵の能装束類(含重要文化財4点)は文化庁が購入し、東京国立博物館と国立能楽堂に移管されましたが、文化庁関係者によると購入に際し、長尾美術館側より所有権に関わる申し立てがあったとの事です。この時期、前理事長である青柳峻は既に死亡しており、後任の山田敏夫氏は同財団の活動を休止しています。このため、申し立ては青柳前理事長の意を汲んだ何れかの理事により行われたものと推察されますが、今日それを確認する手立てはありません。なお、現在長尾美術館旧蔵の能衣装の多くは国立能楽堂が管理し、その幾つかは付属の資料室で展示を行っています。 また、女子美術大学が購入した染織品は江戸時代の小袖類が中心ですが、これらは現在同校美術館が所蔵し、時折公開を行っています。
《参考4》女子美アートミュージアム(神奈川県)
http://artscape.jp/report/review/10103366_1735.html
生命力の源泉、豊饒や生産のシンボルとして古代オリエントで発生し、世界各地で染織の文様に用いられてきた「生命の樹 tree of life」をテーマとしたコレクション展。花を咲かせて人々の目を楽しませ、実をならせて生き物の飢えと渇きを癒す。岩の上に落ちた植物の種は芽を出し根を這わせ、やがて岩をも砕いて成長する。コンクリートやアスファルトの隙間に生えた草花に生命力の強さを感じるのは現代でも変わらぬ私たちの植物に対するイメージであろう。ただし地域によって生命力の象徴となる植物は異なる。旧約聖書では「生命の樹」はエデンの園で知恵の樹と並んで立つ聖樹として描かれ、仏教では釈迦は無憂樹の下に生まれ、菩提樹の下で悟りを開き、沙羅双樹の下で入滅する。ヒンズーの神クリシュナはカダンバの樹の下に立ち、古代エジプトでは無花果が死者に永遠の命をもたらす生命の樹とされた。日本でも巨木はそれ自体がしばしば信仰の対象となり、また松竹梅のように吉祥の象徴にもなってきた。出品されている「生命の樹」の染織品の産地はインドやペルシャ、ヨーロッパとトルコ、そして日本。時代としては、紀元4世紀から5世紀のコプト織り、18世紀から20世紀につくられた更紗や織物、刺繍である。興味深い作品としては、18世紀インドの「クリシュナ物語図模様更紗 壁掛」がある。クリシュナ神のさまざまな物語とともに、樹木や草花、動物や鳥、魚や虫たちが 235×253センチの大きな一枚の布に鮮やかな色彩で描き込まれているもの。ロビーではこの更紗に描かれた物語を元に女子美OGが制作したアニメーションが上映されている。インド・カシミール地方のショールに織り込まれた花模様を源泉として各地で展開された、いわゆるペイズリー柄の変遷も興味深い。女子美術大学の染織コレクションは、旧カネボウが大正末から昭和にかけて蒐集してきたもの。コレクションはフランスの地質学者フーケ博士(Ferdinand André Fouqué, 1828-1904)の遺品であったコプト織を大正12年に購入したことから始まり、第二次世界大戦前には南米プレインカ帝国の古代染織品、ヨーロッパ・中近東の織物、日本の染織裂が、戦後は能衣装を中心に日本の伝統衣装が蒐集され、1980年からは大阪市の鐘紡繊維美術館で保存、公開されてきた。カネボウの解散を受けて約12,000点の染織品が2009年に女子美術大学に収蔵されて調査研究が行なわれ、定期的にコレクション展が開催されている。
・・・残念ながら平成11年度(第10回)「工事用仮設塀」の表彰はありませんでした。