《山田工務店》
651-0096神戸市中央区雲井通4-1-3/078-232-1800
http://www.yamada-komuten.co.jp/
都市は生き物です。その中にある建築物は、さまざまな要因をふまえて存在しなければなりません。当社は大正十四年の創業以来、神戸という都市の中で共にその歴史を体験しながら成長してきました。戦後の痩せた大地の中から人々が立ち上がり、無我夢中に走り抜けた高度成長期。経済が安定した後にも、政治・社会環境など都市を取り巻く背景は刻々と変化し、人々が建築に求めるものも変わってきました。また、それは社会的背景だけでなく、人と自然が共存し時代という流れの中で生き抜くための大切な空間でなければなりません。当社は常に人とその環境を広い視点で捉え、社会に貢献できるものづくりに勤めてきました。 創業100年に向け、またそれから先も、地域と常に関わりながら、皆様のニーズに応え続けることができるように精進してまいりたいと考えています。「御影公会堂」耐震工事の進捗状況ついてお声かけいただく機会も多く、国道沿いに透明の囲いを設置し★見える化を一部施しております。長年支えた外壁もめくると傷みもあり、優しく手を加えていきます。中のホールの天井は全て耐震としてやり換えます。
※「建設ニュース」 https://www.constnews.com/?p=18545
《参考》厚生労働省「見える現場・見せる現場」
http://anzeninfo.mhlw.go.jp/anzenproject/concour/2011/sakuhin/n284.html
仮囲いの内側で作業する我々の安全・安心は、外側で見守る発注者や近隣住民の安全・安心と決して別物ではなく、一体の物であり、我々の安全と安心が、地域社会の安全と安心につながっているとの認識の元、『見える現場・見せる現場』をキーワードに日常の安全衛生管理活動を推進してきた。 今後も、労働災害撲滅のため、安全と安心を関係者全員で築き上げると共に、建設業の社会での役割と、望まれる期待を再度認識し、日々の活動を社会に対して積極的に情報発信することで、建設業に対する理解と信頼を得て、魅力ある建設業の実現のため「魅せる現場」をめざして努力していきたい。
・・・私は昔から「工事現場」が大好きで、進捗状況というか建物などが出来上がっていくプロセスをワクワクしながら「のぞき見」してきました。これから「見える・見せる」現場が増えていくことを、本当に心から嬉しく思います。
《NEWS》2017.4.5神戸新聞NEXTより
おかえり御影公会堂/80年超えオムライスも復活
阪神大水害、神戸大空襲、阪神・淡路大震災と三つの災禍を耐え抜いた“歴史の証人”は、昭和初期の姿を取り戻した。1年間の耐震改修を終え、10日リニューアルオープンする神戸市東灘区の御影公会堂。オムライスで知られる地下の老舗食堂も看板メニューそのままに営業を再開する。3代目店主の鈴木真紀子さん(54)は「これまで通り、変わらぬ味と憩いを地域の皆さんに届けたい」と意気込む。御影公会堂食堂は、1933年(昭和8)真紀子さんの祖父が創業し、公会堂と同じ年を刻む。2代目の父利裕さんが長く店を切り盛りしたが、2015年秋に急逝し、真紀子さんが後を継いだ。店は昨年4月から耐震工事のため長期休業に。父を亡くした喪失感に加え、備品保管などに経費もかさむことから、「一時は再開することに迷っていた」と真紀子さん。しかし、多くの客から「やめんとって」とラブコールを受け、再開を決意した。工事前に食堂を片付けた際、戦前のメニュー表やあいさつ状、パーティーの写真などを多数発見したことも背中を押した。「いい店をつくるという先々代、先代の意志を感じた。私がつぶすわけにはいかない」。真紀子さんは力を込める。今回の改修では、★焼きむらがあり、れんがの色が微妙に違っていたという昭和初期の建物外観に近づけようと、焼く温度などを変えたれんがを組み合わせた。建物内で唯一、建築時の意匠を残す食堂の壁も、白く塗り直され、阪神・淡路大震災などでゆがみ、開きにくくなっていた窓枠も調整された。発光ダイオード(LED)になった照明は、創業当初の写真を参考に、昔のデザインであつらえた。祖父、父と80年以上にわたって受け継がれてきた自家製デミグラスソースを使ったオムライス(800円)やハヤシライスなども健在だ。当面はランチタイム限定の営業で★午前11時~午後2時、火曜休み。(食堂078-851-2959)
・・・ただ一つ心残りは、「食堂」のランチタイムに間に合わなかったことです。でも、また訪問する理由ができたので次の楽しみにとっておきましょう。
・・・外に出て建物の隅々を観察しているとスタッフの方が声をかけてくださり、わざわざ細部の説明さらに資料までいただくことができました。次に訪問した際には「屋上」も見せてくださるとのこと、本当にありがとうございました。この後、JR住吉駅まで歩いてみることにしました。
《本住𠮷神社》
658-0053神戸市東灘区住吉宮町7-1-2
神功皇后が御鎮祭になったと伝えられている。即ち『日本書紀』巻九に、『「摂政元年」皇后海路よりして京にいでます。時に皇后忍熊王師を起して待てりと聞しめして、武内宿禰にみことおおせて、皇子を懐きて、横しまに南海より出でて、紀伊の水門に泊らしむ。皇后のみ船、直に難波を指す。(中略)表筒男・中筒男・底筒男、三はしらの神、おしえまつりてのたまわく、「吾が和魂をば大津の淳中倉の長峡に居さしむべし。すなわち因りて往きかよう船をみそなわさん」とのたまう。是に、「神の教のまにまに鎮めすえまつる。則ち平らかに海を渡ることを得たまう。」』とある。(中略)としたところには、広田神社・生田神社・長田神社御鎮祭についてのことが述べられており、当時の(大阪)湾西部北岸に四社が祀られたものであろう。 当社の社名「本住吉」は、本居宣長翁が『古事記伝』(1798)の中で、「大津渟中倉長峡は菟原郡の住吉である」と説かれたはるか以前の貞永2年(1233)の文書にも既に書かれているから、大阪住吉大社の本(もと)の神社の意で「本住吉」と往昔より称せられていたものと思われる。
《参考》東灘区のだんじり
http://www.city.kobe.lg.jp/ward/kuyakusho/higashinada/shoukai/shoukai/danjiri.html
《東灘区民センター》
658-0052神戸市東灘区住吉東町5丁目1-16/078-822-8333
http://www.kobe-bunka.jp/facilities/higashinada/
《JR住吉駅南地区再開発事業「KiLaLa住吉」》
http://www.city.kobe.lg.jp/information/project/urban/redevelop/jl02sumi-s.html
震災前の当地区は駅前に立地しているにもかかわらず、土地の利用が低利用にとどまっていた等のため、地区の住民等からも必然的に再開発に対する気運が盛り上がり、平成元年3月に再開発準備組合が設立されてその活動を継続していました。ところが、当地区は先頃の阪神・淡路大震災で壊滅的な被害に遭い、特に木造家屋の95%以上が倒壊するという状況となりましたが、準備組合時から地元権利者のまちづくりに対する意識も高かったこともあり、いち早く都市計画決定、再開発組合設立を行い、震災復興事業として早期に完成しました。平成10年7月より★古墳調査がはじまり、平成11年1月21日に神戸市教育委員会より発掘調査の結果の発表がありました。その後に建設に取り掛かり平成13年12月17日に「KiLaLa住吉」が竣工しました。
《「住吉宮町遺跡」発掘調査》
古墳時代の5~6世紀に造られたと考えられる古墳(方墳)が8基見つかりました。また、同じ頃の石棺墓が7基、横穴式石室を持つ古墳が1基、その他にも弥生時代や室町時代の生活の跡が見つかっています。なかでも古墳に伴って発見された馬の歯は注目すべきものでした。歯が見つかったのは、今回の調査では最も大きい古墳(一辺14メートル)の周りに巡る濠の底からでした。歯の根の部分には顎の骨が残っており、全身であったかどうかは不明ですが、少なくとも頭は置かれていたようです。村の有力者と共に葬られた愛馬だったと思われます。このように、古墳に葬られた死者の魂をなぐさめるために馬を道連れにする(殉葬)例は、北九州や長野県に幾つか見られますが、近畿では稀で、特に兵庫県下では初めての発見です。他にも古墳に関わるまつりのあとが多く発見され、この地に住んだ祖先の歴史を知る貴重な成果を得ることができました。
・・・やさしい表情の石彫群が「KiLaLa住吉」を取り囲むように設置されており、圧巻です。