・・・「リニューアル」を待ちかねていた建物があります。
《NEWS1》2009.10.28朝日新聞デジタルより
「白洲次郎」御影公会堂(神戸市東灘区)街の記憶刻む昭和モダン
ミシッ、ミシ。木の床がきしむ。角部屋の壁は曲線を描き、高さ約2メートルの大窓が輝く。御影公会堂(神戸市東灘区)の内部は、そんなレトロな雰囲気に包まれている。1933(昭和8)年に建てられ、太平洋戦争の空襲には内部を焼失しながらも耐え、この地の暮らしを揺さぶった阪神大震災の激震にも生き残った。9月に放送され、3回シリーズが完結したNHKのドラマ「白洲次郎」。主人公の白洲を伊勢谷友介、妻の正子を中谷美紀が演じた。激動の昭和史の中、独自のダンディズムを貫いた人生を描いた。その第1回で、公会堂3階にある一室が開戦後まもなく白洲が勤めていた統制会社の会議の場として登場した。ほんの2分ほどだが、大窓から差し込んだ日光が、登場人物の陰影を浮かび上がらせ、同僚の指摘に激しく応じる白洲の姿を活写する。「高い天井、窓のしゃれたシルエット……昭和モダンですね」とNHKの鈴木圭チーフプロデューサーが評する。50カ所ほどのロケ地は約1年かけて探し、「どうしてもないもの」以外は、セット撮影を避けたぜいたくな作品だった。公会堂で撮影されたシーンは、さりげなく進む場面だが、戦争に反対した白洲の心情を示すポイントとなる。「味のある雰囲気が欲しかったので、この部屋を選んだ。狙い通り、“役者のひとり”として、歴史の経緯のにじむ迫真性を示してくれました」 テレビや映画のロケ地紹介を支援する「神戸フィルムオフィス」が、1940年代の設定にぴったり、とNHKに推薦した。重厚な構造が重宝され、極東軍事裁判の傍聴席として描かれたこともある。ホテルなどでの挙式が一般的になるまで、50年代から結婚式場として約2万組が利用した。550人収容のホールもあり、各部屋は習字教室などの会場にもなっている。95年の震災後1年近くは避難の場とされ、約350人が身を寄せた。地下に構える食堂は、昔ながらの洋食屋。一番人気は、トマトソースのオムライス(680)という。近くに住むフィルムオフィス職員、三宅千佳さんのお気に入りはハヤシライス(800円)。「Tシャツでふらりと入れるような気軽な食堂だけど、味が良いのが神戸らしい。震災のころの思いもあって、通りかかると、何か安心させられる」と話す。お目見えした頃、さぞ注目されただろうデザイン。76年間、風雪にたえてきた歴史が、そのユニークな外観に、すっかり和みの風合いを感じさせるようになっている。
《NEWS2》2015.10.3神戸新聞NEXTより
昭和初期に建てられ、神戸大空襲や阪神・淡路大震災をくぐり抜けた神戸市立御影公会堂1(同市東灘区)が、初の大規模耐震改修工事を行う。来春から休館し、2017年春の再開予定。地元住民などの要望を受け、市は外観や内装を極力変えない方針で、戦争や震災の記憶を残す“シンボル”として次代に受け継がれる。地元住民が使う公会堂として誕生。1945年の神戸大空襲では内部は焼け落ちたものの、外壁や地下食堂は残った。野坂昭如さんの小説が原作のアニメ★「火垂るの墓」でも焦土にぽつんとたたずむ姿が描かれたことで知られる。阪神・淡路大震災でも倒壊を免れ、ピーク時には約400人が身を寄せる避難所となった。震災前には地元出身の柔道家、嘉納治五郎を記念する武道館に建て替える構想があったが、立ち消えになった。再開した後も老朽化がひどく、床を張り直し、水回りの不具合を直してしのいできた。しかし、2008年には耐震強度を満たしていないことが分かり、改修方針が決まった。12年から管理を担うようになった地元の「御影自治会連絡協議会」は、「見た目を変えないでほしい」と市に要望。話し合いを重ねてきた。工事費総額は15億9700万円。エレベーターを新設し、地下1階には展示スペースを設ける。市は「張り替える外壁のタイルも、なるべく現在の色に近づけたい」とする。戦後70年、震災20年。公会堂の存在感は年々増している。「公会堂は戦災、震災からの『復興』の象徴」。火垂るの墓を歩く会実行委員会の辻川敦さん(55)=尼崎市=は語る。毎年8月に、公会堂など小説の舞台を訪ねる催しを開いており、「古い形のまま保存され、使用できる建物は貴重だ。戦争を語り継ぐ場としてもふさわしく、これからも使っていきたい」と話している。
《NEWS3》2017.2.17神戸新聞NEXTより
神戸の御影公会堂、レトロに再出発へ/あの食堂も
神戸市東灘区の御影公会堂が4月、1年がかりの耐震改修を終えて開館する。建設された1933(昭和8)年当時の雰囲気をよみがえらせ、地元出身の柔道家、嘉納治五郎の資料を展示。館内の老舗食堂も再び営業する。戦災や震災をくぐり抜け、街の記憶をとどめたランドマークとして、神戸市は文化財登録の申請を検討する。御影公会堂は、神戸市の初代営繕課長だった故清水栄二氏が設計。故野坂昭如氏の小説をもとにつくられたアニメ「火垂るの墓」では、戦争の焦土にたたずむ姿が描かれた。阪神・淡路大震災でも倒壊せず、避難所として被災した人たちを支えた。レトロな雰囲気が人気で約2万組が結婚式を挙げ、ドラマや映画の撮影に使われた。耐震強度が不足していたため、市は約12億8千万円を投じ改修。柱など骨格部分は残しつつ耐震性を高めた。焼きムラがあり、レンガの色が微妙に違っていたという昭和初期の外観に近づけようと、焼く温度などを変えたレンガを組み合わせた。講道館柔道の創始者嘉納のコーナーを地下に開設し、銅像も置く。嘉納の銅像は和服姿が多いが、柔道着姿でほぼ等身大という。本人直筆の書の複製など資料もそろえる。震災の直前、市は公会堂を建て替え、嘉納と、公会堂の建設資金を提供した白鶴酒造7代目社長、嘉納治兵衛にちなんで「嘉納記念館(仮称)」とする構想を決めていた。道場も備えた“柔道の殿堂”を目指したが、震災で凍結された経緯がある。オムライスやハヤシライスが看板メニューだった館内の「御影公会堂食堂」も再開する。市は地元の歴史や嘉納のイベントを計画。東灘区役所の担当者は「歴史的、文化的な価値をブランドとして全国に発信し、国の文化財に登録をしたい」としている。
【嘉納治五郎】(1860~1938)
講道館柔道の創始者で、「日本体育の父」と呼ばれる。摂津国御影村(現神戸市東灘区)生まれ。さまざまな流派に分かれていた柔術を学び、柔道として確立した。1909年には日本人として初めて国際オリンピック委員会(IOC)の委員に就任。人気柔道漫画「YAWARA!」の登場人物、猪熊滋悟郎のモデルの1人ともいわれる。柔道家で知られるロシアのプーチン大統領は尊敬する人物として名前を挙げる。昨年12月の日露首脳会談の共同記者会見では安倍首相が「自他共栄」という嘉納の言葉を取り上げた。
《NEWS4》2017.4.9神戸新聞NEXTより
神戸・御影公会堂、新たな一歩/改修完工祝い式典
神戸市東灘区の御影公会堂が1年間の耐震改修工事を終え、9日、完工式典が開かれた。自治会や行政関係者約120人が集まり、建築当時のレトロな雰囲気と安全性を兼ね備えたランドマークの再出発を祝った。利用開始は10日から。公会堂は1933(昭和8)年に旧御影町の集会施設として建てられ、阪神大水害や神戸大空襲、阪神・淡路大震災にも耐えた。耐震工事に伴い、エレベーター新設でバリアフリー化。外観は建設時の色彩を復元し、郷土資料室や地元輩出の柔道家嘉納治五郎の展示コーナーも設置した。式典で久元喜造市長は「歴史を刻み、苦難を乗り越えた建物。御影、神戸はもちろん日本を代表する建築で、全国に向けて情報を発信し、たくさんの人に親しんでもらいたい」とあいさつした。御影地区まちづくり協議会の高嶋良平会長は祝辞で「東京五輪は嘉納氏が見直される機会。国内外から多くの方が来館されるはずで、末永く公会堂を守りたい」と話した。
《御影公会堂》
658-0045神戸市東灘区御影石町4-4-1/078-841-2281
http://www.city.kobe.lg.jp/life/registration/room/mikage-koukaido.html
【清水英二】(1895~1964)
東京帝国大学出身の建築家で、大学卒業後は神戸市役所に勤務、初代の営繕課長として小学校校舎の鉄筋コンクリート造化をになった。大正15年には清水建築事務所を開設し、★御影公会堂をはじめ公共建築と住宅を中心に設計活動をおこなった。その生涯ですくなくとも87件の設計をおこなったことが確認されている。当社ビルは大正12年が施工年となっているので、清水氏が神戸市役所で勤めながら「発亥会」を設立し、私的な設計業務を行っていた時に建てられたものだということが言えるでしょう。
・・・まるで完成当初を彷彿させる、古くて新しい見事なリニューアルです。