守口市(2) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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【松下幸之助】(1894~1989)

パナソニック(旧社名:松下電気器具製作所、松下電器製作所、松下電器産業)を一代で築き上げた経営者である。異名は経営の神様。自分と同じく丁稚から身を起こした思想家の石田梅岩に倣い、PHP研究所を設立して倫理教育に乗り出す一方、晩年は松下政経塾を立ち上げ政治家の育成にも意を注いだ。

1989年★4月27日午前10時6分に気管支肺炎のため、松下記念病院(★守口市)において死去した。享年94。法名は光雲院釋眞幸。死亡時遺産総額は約2450億円で、日本で最高とされている。

 

 

・・・つい先日、ご命日だったのですね。

 

《NEWS》2016.10.27

「松下幸之助に出逢える場所」をコンセプトにパナソニックが新歴史館を建設へ

http://news.panasonic.com/jp/topics/149607.html

パナソニック株式会社(以下、パナソニック)は、創業100周年にあたる2018年に向けて、「パナソニックミュージアム 松下幸之助歴史館」の建替えを予定しており、2016年10月27日、西門真拠点構内(大阪府門真市)で、新歴史館(仮称)の地鎮祭を実施しました。現歴史館は、パナソニック(当時は「松下電器産業株式会社」)の創業50周年を記念して1968年に開館した企業博物館で、一般にも公開されています。今回、2018年に迎える同社の創業100周年を一つの節目ととらえ、次代に継承可能な歴史館にすることを目的として、「松下幸之助に出逢える場所」をコンセプトに建替えします。現歴史館と同様、1933年当時の第3次本店社屋の外観を復元するとともに、場所を第3次本店の跡地(現歴史館の東側空地)に移して新築します。新歴史館では、創業者・松下幸之助ゆかりの品や創業期から現代までの特徴ある製品・資料映像の展示とともに、創業者の生い立ちや会社の歴史を、同社の映像・音響技術を活用して分かりやすく案内します。また、現歴史館にはなかった多目的スペース等を新設し、企画展示の充実を図ってまいります。竣工は、2017年9月を予定、開館は2018年3月7日を予定しています。なお、新歴史館の建設に伴い、現歴史館は2017年★10月末に閉館の予定です。

■新歴史館の概要

【場所】大阪府門真市大字門真1006番地(第3次本店跡地:現歴史館の東側空地)

【開館】2018年3月7日(2017年9月竣工)

【外観】1933年に大阪市内から門真市に移転した際の、同社第3次本店社屋を復元

 

 

・・・「新歴史館」、また楽しみがふえましたね。

 

《参考1》京阪「西三荘駅」

守口市橋波東之町と大阪府門真市元町(表記上の所在地は後者)にまたがる。当駅が開設されるまで、当駅の京都寄り約200m(門真元町郵便局の南西あたり)に旧「門真駅」があった。当駅は新駅の扱いであるが、実質的には高架化に伴う門真駅の移転といえる。

 

 

《参考2》守口市「西三荘ゆとり道」

http://www.city.moriguchi.osaka.jp/kakukanoannai/toshiseibibu/koenka/1445415466992.html

《参考2》2010.4.15毎日新聞より

わが町にも歴史あり・知られざる大阪「西三荘」

地名にない駅名、なぜ?2市の境界線上に、開業時互いに綱引き

「普通、駅名は町名から付けるんやけど、西三荘は地名にないんです」。地図を見ると、駅を守口市と門真市の境界線が突っ切っている。門真市側は本町、守口市側は橋波東之町で、確かに西三荘という地名はどこにもない。この駅は1975年3月に開業した。目の前に松下電器産業(現パナソニック)の工場などがあったから、京阪電鉄は開業まで、仮称を「松下前」と名付けていた。当時の記事(他社)によると、門真市は「新駅名も松下前駅に」と要望したが、京阪は「一企業の名を冠するのはよくない」と拒否。それではと、門真市が「西門真駅」を提案すると、守口市は「東守口駅か橋波駅」と対抗し、綱引き状態とあいなった。京阪が「橋波本町駅」という折衷案を出すも、両市とも折れず、そこで京阪がひねり出したのが「西三荘」だった。「『松下幸之助さんの別荘でもあったんちゃう?』って言う人もおったけど、違います。西三荘とは、新駅の下を流れている用水路の名前なんです。知恵者がいたんですな」と西俣さん。両市とも「それなら仕方なかろう」と、駅名が決まったのだが、用水路の名前はそんなに知られてはいなかったので、開業当初は「西三荘ってなんや」と問い合わせが相次いだという。改札を通って駅前に出る。電車の高架以外に目立ったものはなく、お店がポツポツとある程度だ。西俣さんが高架の下を通る道路上で、「この下を西三荘水路が流れてるんです」。その道をぶらぶら南へ歩くと、植栽された遊歩道が現れた。「西三荘ゆとり道」は、1997年、水路上に整備された。花博記念公園まで1・85キロ続いている。下を流れる水路は1959年に用水路として整備され、1979年に都市下水路となった。正式名称は「西三荘都市下水路」といい、守口市の大日町のあたりにある府庭窪浄水場から南下し、鶴見緑地を経て、大阪市鶴見区で寝屋川につながっている。全長約6・6キロ。もしも駅の開業時に下水路だったら、西三荘は駅名になっただろうか。浄化した水を流しているとはいえ、下水路はイメージが良くないし--などと考えてしまう。西俣さん「このあたりは田園地帯で、水路は江戸時代から流れていて、明治~昭和の時代に改修されたんです。では、なぜ西三荘というか?」荘という字から察するに、荘園だったとか?「正解!」。戦国時代末期、門真庄(今の門真市)、九箇庄(寝屋川市)、五箇庄(守口市)が存在した。「この三つの荘園をカバーする水路で、荘園の西を流れていたから西三荘というわけ。だから、読み方は『にしさんしょう』が正しいんです」先の新聞記事によると、駅の開業後に読み方の正解がわかったが、京阪側は「もう変更できない」として、「にしさんそう」で通しているという。見過ごしてしまいがちな駅名一つにも、長い長い歴史の背景があるのだ。

 

 

《西三荘ゆとり道の紹介》

守口市菊水通1丁目2番地先〜南寺方東通4丁目136番地先

http://www.city.moriguchi.osaka.jp/kakukanoannai/toshiseibibu/koenka/1445415466992.html

遊び心と花・緑、自然いっぱいの遊歩道。南は花博記念鶴見緑地公園から北は京阪電車西三荘駅の手前まで、市のほぼ中央部を南北に貫く、全長約2キロメートルにわたる散歩道です。四季折々に花や樹が心を和ませてくれます。南の端には、釣り池のある公園「世木公園」もあります。5つのゾーンにわかれ、ぶらぶら歩いていくと、それぞれに違った顔を見せてくれます。子供と一緒に、ご家族で、友だちと、はしからはしまでそぞろ歩きもよし、お気に入りのゾーンを見つけてたたずむのもまた楽し…です。

●花のゾーン

春はサツキ、夏はアジサイ、秋にはキンモクセイ、冬には寒ツバキなどなど、いつも花いっぱい。市制施行50周年を記念して造られたモニュメント★「市民の輪」はここにあります。北の端、出発点(終点)です。

●水のゾーン

ダイナミックな滝が出現。街の流れを表現した流れに沿って行きます。

『昔、守口には多くの水路がありました。これらの水路は単に田畑に農業用水を供給するだでけでなけでなく、舟を使って田畑へ出かけ、取り入れた農作物を運搬するなど、交通の手段としても有効に利用されて今いた。また、守口は低湿地であったため、蓮池が多いことで有名でした。当時、蓮根を収穫する際には、よく「田舟」と呼ばれる四角い舟を使っていました。』

●フィットネスゾーン

歩くと不思議に足に優しい木で舗装された道。 ちょっと身体を動かせる器具がいっぱい。散歩の途中でフィットネス。

●文化・教養のゾーン

音とかたちの道(音の反射するパラボラボイス、木製で叩くと音階の変わるハンドドラム)、 風の通り道(風で動くオブジェ)、河川の道、水路の道(桟橋や樋門など古き良き風景をイメージ、再現)、再び音とかたちの道(時の記念日6月3日午後3時に守口市の形をした影が浮かびあがる日時計)と続きます。

●緑と空間のゾーン

花博のエントランスロードでもあった、広々と開けた空間。

 南の端、終点(出発点)です。東側は世木公園。

 

★「太陽の子」「月の舟」「雪の輝き」

 

・・・せっかくの素晴らしい作品なのに、作者がわからないなんて、残念です。

 

 

★「市民の輪」/作:【多田千明】(1956~)

1956大阪府に生まれる1982嵯峨美術短期大学総合美術研究所研究生修了1979「守口市展」守口市長賞(1980年も同賞受賞)1984「全関西行動展」全関西行動美術賞1984 「行動美術展」大阪市長賞(1986奨励賞・会友推挙・大阪市長賞、1989京都府知事賞、1990奨励賞、1993会友賞、1995会友賞.会員推挙)1987「第12回現代日本彫刻展」模型入選1994「KAJIMA彫刻コンクール作品展」模型入選 1994「大海」龍谷大学瀬田キャンパス/滋賀1994 綺羅」明治生命備後町ビル/大阪★1997「市民の輪」守口市制施行50周年記念モニュメント/大阪2001「ジオラマ」枚方市立鍵屋資料館/大阪2002 「レリーフ」広島国際大学/広島2005「綺羅」ホテル阪急エキスポパーク/大阪