・・・昨年の船場「シキボウ」のマーメイド以降、建築探遊が滞っていました。今回、「帝人ビル」からの帰りに「船場センタービル」を東から西へと観察しながら、「心斎橋」までやってきた理由は、「大丸」の工事が気になったからです。
《HARD ROCK CAFE OSAKA ハードロックカフェ大阪店》
大阪市中央区南本町3-6-14イトゥビル1階
(RESTAURANT)06-6120-5711(SHOP)06-6120-5713
http://hardrockjapan.com/location/osaka/
1992年、東京店に次ぐ国内第2号店として、大きなギター型のバーカウンターを携え、なんば・大阪球場跡にオープン。地域再開発のための2000年12月31日クローズを経て、2001年9月本町の銀行跡地にリロケーション、装いも新たに生まれかわりました。白・赤・シルバーを基調にした新感覚の店内インテリアや、銀行だった当時、金庫室があった場所に配した本物の金庫扉を再利用した個室感覚のバー、ライブが楽しめる常設のステージなど、違ったシーンをお楽しみ頂けます。そして、なんばでの8年間の歴史が染み込んだギター型バーカウンターは、バーコーナーの天井で今もご覧いただけます。
・・・ついつい、ロックなウィンドウに目を奪われてしまいます。
・・・ついついカエルに目を奪われてしまいます。
《「いきいき」活動》
http://www.city.osaka.lg.jp/kodomo/page/0000002468.html
大阪市では、市内の市立小学校において、平日の放課後、土曜日・長期休業日に小学生の健全育成を図るため、遊びやスポーツ、主体的な学習などを活動内容とする「児童いきいき放課後事業」(愛称:「いきいき」活動)を実施しています。「いきいき」活動は、大阪市から運営・管理委託を受けた団体が実施校ごとに設置されている「いきいき活動運営委員会」と連携して地域の実情に合わせて運営しています。
《三木楽器「開成館」》
541-0057大阪市中央区北久宝寺町3-3-4/06-6252-1820
https://piano.miki.co.jp/kaiseikan
三木楽器の前身は江戸時代の文政8年(1825)、大阪で書籍商として勢力のあった河内屋総本家から分家独立した「河内屋佐助」の貸本を主とする書籍業を祖としています。1859年、農家出の友吉が8歳にして「河内屋佐助」に奉公しました。日本が新たな時代を迎える少し前の事です。友吉は時代のニーズを敏感に感じ取りそれを商売に転ずる商才に長けていました。商売熱心が認められ友吉は1884年に河内屋佐助の家督を継いで、四代目佐助となり、ヤマハの創業者・山葉寅楠は佐助の商才を見込んで自ら開発したリードオルガンを販売する西日本の元締めを依頼しました。これが三木の楽器創業となります。(「三木」姓は初代佐助の郷里の姓)(ヤマハ創業は1887年、三木の楽器創業は1888年)
・・・やっぱり「三木楽器」の前は素通りできませんね。そして「セイコーエプソン」、
《1994御堂筋グランタワー》(旧:エプソン大阪ビル)
541-0059大阪市中央区博労町3-5-1
セイコーエプソンの自社ビルで大阪でのグループ拠点となっている。支店機能のほか、セイコーエプソンのレーザープリンタ事業の国内設計拠点としてLP設計部が置かれる。 ほかに勘定奉行で有名なオービックの大阪本社、プルデンシャル生命保険大阪中央支社、最上階には「梅の花」が入居している。 完成当初の名称はセイコー大阪ビルだった。ドイツの年金基金のBayerische Versorgungskammer (BVK) が購入したことがわかった。購入額は明らかにされていないが「数億ユーロ(140億円前後)」という。
《報道発表》「エプソン大阪ビル」売却のお知らせ2015.4.1
http://www.epson.jp/osirase/2015/150401.htm
セイコーエプソン株式会社(社長:碓井稔)は、このたび、当社が保有していた「エプソン大阪ビル」(所在地:大阪府大阪市)の土地および建物を売却したことを、お知らせします。エプソンは現在、「SE15後期 新中期経営計画」に基づき、将来の事業成長の実現に向けて、事業構造の転換を進めています。これらの取り組みに加え、経営資源の効率化および財務体質のさらなる強化を目的とした施策の一つとして本不動産を売却しました。売買契約締結日★2015年3月16日/物件引渡日:2015年3月31日
《セイコーエプソン》
創立以来、エプソンは、ものづくり企業としてのDNAを受け継ぎ、発展してきました。ウオッチ開発で超微細・精密加工技術を磨きあげ、これを多彩な分野に展開したことが躍進につながりました。その発端となった小型軽量デジタルプリンター「EP(ELECTRIC PRINTER)-101」の子供たち(SON)のような製品群を世に送り出したいという想いから、1975年、「エプソン」ブランドが誕生しました。以来、より高品質、高付加価値の"子供たち"が続々と誕生し、社会のさまざまな場面で活躍をつづけています。
★三越伊勢丹プロパティ・デザイン
http://www.impd.co.jp/news/2016/161117_kd_2/index.html
御堂筋沿いにそびえるオフィスビルを、新コンセプトによりリノベーション。デザインコンセプトは人と人とのつながり、時代の流れやスピード感を表現した「LINE」。交わる/囲む/連なるをキーワードに、★2016年10月上質で洗練されたオフィス空間に生まれ変わりました。
《参考》建装・デザイン事業の歴史
http://www.impd.co.jp/business/kd/history.html
《参考》「博労町」(ばくろうまち)
博労町通、御堂筋に面して西側に難波神社がある。江戸時代に主に牛馬の売買を生業としていた博労に由来する。伯楽または馬喰とも書く。伯楽は古代中国の馬の鑑定の達人とも,また馬を守護する星の名ともされ,転じて村々を回って農家から牛馬を買い集め,各地の牛馬市などでこれを売りさばく者をさして呼んだ。
・・・フェラーリ、ここも素通りできません。
《コーンズ・アンド・カンパニー・リミテッドコーンズ大阪ショールーム》
541-0059大阪市中央区博労町4-2-15/06-6226-8961
コーンズが創業したのは、江戸時代末期、文久元年(1861年)のことでした。当時24歳のフレデリック・コーンズがイギリスより来日して、同郷のパートナーであるW.G.アスピノールと横浜で事業を創めて以来、1世紀半余りが経ちました。創業当初は絹と茶を中心とした貿易でしたが、7年後の1868年には日本初のロイズ・エージェントに選任され、検査海損業務を開始しました。「物」が貿易の主流だったこの時代、保険という知的サービス業に着目したことは、コーンズの企業理念である「先進性」を象徴していると言えます。その後も「先進性」の追求という精神はコーンズグループに脈々と受け継がれてきました。近年では、欧州より逸早く自動車、海図・海事関連書籍、キッチン用品をはじめとした一般消費財を輸入し、また海外の最先端技術を駆使したエレクトロニクス製品や酪農・農業機械を日本市場に紹介してきました。さらに、未来のエネルギー需要を支えるバイオガスプラント事業へ参入するなど、新たなビジネスも手掛けています。このように数多くのフィールドを通じて、コーンズは常に「先進性」を追求し続け、最高品質の商品とサービスを日本市場に浸透させるべく邁進してきました。今後もこの精神を堅持しながら、お客様のより豊かな生活のために、また日本と海外の文化交流にも寄与していきたいと考えています。
私どもコーンズ・モータース株式会社は、1964年にロールス・ロイスとベントレー、1976年にはフェラーリのインポーターを経るなどして、日本国内のハイエンドカー市場発展の一翼を担ってまいりました。そして、2013年には新たにランボルギーニの取り扱いを開始し、現在4つのブランドの正規販売代理店として、新車ならびに中古車の販売・メンテナンスをご提供しています。
・・・なんと、そんなに歴史ある会社だとは知りませんでした。
《難波神社》
541-0059大阪市中央区博労町4-1-3/06-6251-8000
反正天皇が大阪府松原市に★「柴籬宮」を開かれたとき、父帝の仁徳天皇をご祭神として創建されたと伝えられる。その後、天王寺区上本町に遷り、豊臣秀吉が大阪城を築城したのち天正年間(1583)現在地に遷座。昭和20年(1945)第二次世界大戦大阪空襲により全焼したため、仮宮によっていたものを昭和49年7月(1974)再建され現在に至る。★植村文楽軒が当社の境内で人形浄瑠璃小屋を開いた(1811~71)ので、文楽発祥の地と云われる。境内東門外に「稲荷社文楽座跡」の碑があります。
http://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000009614.html
《御堂筋ミュージアム》
541-0059大阪市中央区博労町4-4-1/
http://midousuji-museum.jpn.org/index.html
最高240色を駆使した緻密画のようなファンタジーあふれる絵画は数多くの人々に愛され、海外でも絶大な人気を誇るヒロヤマガタ。御堂筋ミュージアムは、彼の代表作を中心に数多くのオリジナル絵画を余すところなく展示する美術館としてオープンいたしました。ぜひ、ごゆっくりとご鑑賞ください。※当館ではシルクスクリーンは一切展示しておりません。
《報道発表》2016.11.17
http://midousuji-museum.jpn.org/Leica.html
ライカ特別限定モデル「ライカ ゾフォート"ヒロ・ヤマガタモデル"」誕生。ヒロ・ヤマガタ作品より、「キャピタルヒルズ200周年記念」をモチーフにしたライカ ゾフォートの販売を開始しました。 価格41,580円(税込)御堂筋ミュージアム500台限定。
《ライカカメラジャパン》
ライカ初のインスタントカメラ「ライカ ゾフォート」2016年11月発売
斬新なデザイン、スマホとは違う写真を撮る楽しさが味わえる。そして「Leica/ライカ」が3万円台で買える。ライカ初のインスタントカメラ「Leica Sofort(ライカ ゾフォート)」が11月に発売、早くも話題になっている。
<ライカ>ならではのスタイリッシュなデザイン。ライカで撮れば、どんなシチュエーションでも、誰とでも、手で触れることのできる小さなアート作品に――インスタントカメラとは、その場で簡単に写真を撮影し、撮影後すぐに撮った写真を見たり共有したりすることができるもの。
ライカのデザインチームが本モデルのために特別に開発したライカならではの特徴的なデザインの外観に加え、ファッションなどに合わせて気軽に楽しめるオレンジ、ホワイト、ミントの3色展開も魅力。
自動モードでは自然光を活用し、被写体を自然な雰囲気で撮影
「ライカ ゾフォート」は、各種の基本撮影モード(自動、パーティー&人物、スポーツ&アクション、接写など)や二重露光、長時間露光というクリエイティブな撮影モードに加えて、セルフィーモードおよびセルフタイマーも完備。自動モードでは、できる限り内蔵フラッシュを作動させずに自然光を活用するため、被写体を自然な雰囲気で写し撮ります。また、毎回確実にベストな結果を出せるようにするため、ユーザーが選んだモードに従って露出時間や絞りなどの設定値を自動的に調整。フラッシュは、オートのほか、撮影状況に合わせてオン/オフを手動で切り替えることもでき、「ライカ ゾフォート」のボディ前面には、セルフポートレ-トの撮影に便利な長方形のミラーも付いています。
「ライカ ゾフォート」では、選択したプログラムモードに関係なく、標準または遠景に設定するか、焦点距離を選ぶことが可能で、どのモードを選ぶかによって、撮影時の創造性の自由度がよりいっそう広がります。
鮮やかなカラー写真と、今また新鮮なモノクローム写真が楽しめる
「ライカ ゾフォート」のフィルムは、カラーフィルムに加えて、モノクローム写真を好むユーザーのためにモノクロフィルムも販売。インスタント写真のノスタルジックな雰囲気にマッチする、温かみのあるクリーム色のフレームを採用しています。カラーおよびモノクロフィルムは、10枚1組のパックで提供し、カラーフィルムには20枚分のダブルパックもラインアップ。
さらに、持ち歩きに便利な専用ストラップや専用ケースをはじめ、撮った写真をさまざまにディスプレイできる実用的なオプションも登場。スマホで撮った写真とは違う、よりプライベートな写真体験を楽しめます。
ライカ ゾフォート 各34560円(税込)カラー:ホワイト、オレンジ、ミント
・・・いつものことながら(寄り道)、なかなか目的地にたどりつけません。
・・・ようやく「解体」が終わった、という感じですかね。どんな状態か、上から見てみたいものです。