歴史館訪問 | すくらんぶるアートヴィレッジ

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《常翔学園》

1922年9月7日、本庄京三郎が設立者・校主として創立した「関西工学専修学校」が母体。学園紛争の激しかった1969年、旧日本労働組合総評議会議長で参議院議員であった藤田進が学園の理事長に就任してから積極経営の方針を貫き、大工大の2学部設置の他、1975年に「摂南大学」、1998年に「広島国際大学」を開設した。校舎の意匠がしばしば話題を呼ぶことがあり、1992年に大学OBが設計した大阪市中央公会堂をモチーフにした校門(★片岡安メモリアルゲート)が大宮キャンパスに設置された。また北山キャンパスの校舎は国会議事堂をモチーフにしたものである。これは藤田の国会へのオマージュ、あるいは設置認可を得るにあたって国会議事堂であれば文部官僚も横槍を入れにくいからだという説がある。同様に、広島国際大学の黒瀬キャンパス1号館も国会議事堂に酷似している。2008年に少子化が進んで、学生・生徒を確保することが難しくなっており、中学から大学までの「一貫教育体制」を実現して教育機関としての魅力を高め、勝ち残りをめざすために学校法人啓光学園との経営統合をした。

【片岡安】(1876~1946)

大阪で活躍した建築家。金沢市長(1期)。東京帝国大学工科大学造家学科卒業。1905年(明治38)辰野金吾と辰野片岡建築事務所を開設。1912年(大正1)大阪市中央公会堂指名コンペの一員に選ばれる。1922年(大正11)片岡建築事務所を開設。関西工学専修学校(現★大阪工業大学)初代校長。1940年11月~1943年9月まで大阪商工会議所会頭。

 

・・・卒展で「大阪工業大学」大宮キャンパスまで来ましたので、「歴史館」にも訪問したいと思います。オープン間もない頃にも一度訪問しています。

 

 

◆【常翔歴史館】◆

535-8585大阪市旭区大宮5-16-1/06-6955-7762

http://www.josho.ac.jp/ayumi/

常翔歴史館は2014年5月に大宮キャンパスの一角で産声をあげました。ちっちゃいミュージアムですが、とっても大きな志を抱いています。ご承知の通り、常翔学園が設置する3大学、2中学校・高等学校には、共通の「建学の精神」があります。すなわち、「世のため、人のため、地域のために、理論に裏付けられた実践的技術をもち、現場で活躍できる専門職業人の育成を行う」常翔歴史館は、学園設立の高邁な理念であるこの「建学の精神」を、いろいろな形で末永く学園関係者や地域のみなさまに伝え、それぞれの方が関係する各設置学校に対する理解を深める役割を果たすもの、と考えております。「温故知新」という言葉がありますが、まずは生徒・学生のみなさんが常翔歴史館に足を運び、展示物や映像を通じて、先人の足跡を辿り、歴史と伝統を肌で感じることによって、自校生であることに誇りを抱くこと、がとても大切なことだと思います。自校に誇りを抱くことができれば、学園生活は自ずと楽しく充実したものとなり、未来に向かって羽ばたくチカラが湧いてくるはずです。そのために、常翔歴史館は、各設置学校で取組んでいる「自校教育」と連携し、自校理解を進めるサポートができるように運営してまいります。

 

 

建物は4階建で、その1階2階が常翔歴史館です。1階は「常設展示室」で、学園創設期から現在・未来へと至る流れを、史料・パネル・模型・映像を立体的に用いてお示ししています。特に、最新のデジタルサイネージを用いた映像展示システムを導入していますので、分かりやすくご覧いただけると思います。2階には、特定のテーマに絞って企画展示を行う「会議室兼企画展示室」を設けております。各種史料の保管庫もこのフロアにあります。今は全国の大学・学校法人で博物館を設置する動きが活発になっています。常翔歴史館も「かんさい・大学ミュージアムネットワーク」に加盟し、近隣十数大学と連携しながら、地域に根ざした文化遺産を地域のみなさまに還元できるような情報発信を行ってまいります。生まれたばかりの常翔歴史館です。これから順次収蔵史料の整理を行い展示物の充実に努めると共に、地域のみなさまにも参加していただける講演会や、各設置学校の特色を描き出す企画展などを開催してまいります。学園関係者ならびに地域のみなさまには、常翔歴史館の運営・活動にご理解ご協力いただきますよう、お願いいたします。なにはともあれ、とにかく、一度は常翔歴史館に足をお運び下さい。

 

・・・歴史館での最大の発見は、新たに寄贈された「近代建築画譜」が展示されていたことでした。特別にお願いをして、実際に中身を見せていただくことができました。なんと、見返し画は藤田嗣治★「巴里所見」でした。期待した「府立大阪博物場」の画像は掲載されていませんでしたが、どれもこれも貴重な写真ばかりで、帰宅してから調べたら「復刻版」が出ていました。

 

 

★近代建築画譜[近畿編]全1巻【復刻版】2007.6/48000円+税

《不二出版》113-0023東京都文京区向丘1-2-12/03-3812-4433

http://www.fujishuppan.co.jp/

監修:橋爪紳也(大阪市立大学教授)

推薦:陣内秀信(法政大学教授)初田亨(工学院大学教授)

【原本発行】近代建築画譜刊行会/編:佐々木武一/発行:昭和11年9月15日

編集顧問:武田五一/葛野壮一郎/飯高達夫/今林彦太郎/鷲尾九郎

http://www.fujishuppan.co.jp/books/history/%E8%BF%91%E4%BB%A3%E5%BB%BA%E7%AF%89%E7%94%BB%E8%AD%9C%E3%80%94%E8%BF%91%E7%95%BF%E7%B7%A8%E3%80%95%E5%85%A81%E5%B7%BB%E3%80%80%E3%80%90%E5%BE%A9%E5%88%BB%E7%89%88%E3%80%91/

明治・大正・昭和の三代にわたって関西に建設された主要な建築物を紹介。公共施設に限らず、キャバレーやカフェー、商店、料亭や映画館といった当時多くの人が集い、楽しんだ施設も取り上げ紹介している。掲載された概観および内観写真と図版・図面は、貴重な系統的な記録資料であり、また明治の和洋折衷の様式からモダニズムの最盛期までの主要な建築物が網羅され、日本の近代建築の誕生からの歩みを読み取ることもできる1冊である。

 

・・・歴史館に展示されていた「原本」は布製の立派な表紙でした。「復刻版」もかなり高価な本なので、図書館で観るしかありませんね。続いて訪問したのが、「病院アート」で訪問した「関西医大病院」横にある「関西医大」です。

 

 

《関西医科大学》

573-1010枚方市新町2-5-1/072-804-0101

http://www.kmu.ac.jp/

昭和3年6月30日に関西医科大学の前身となる「大阪女子高等医学専門学校」が設立、同年7月10日に開校式が挙行され本学の歴史が始まりました。昭和7年4月9日に大阪府守口市に附属病院を開設、翌年の10月4日に附属看護婦養成所が設置されました。昭和22年6月18日に大阪女子医科大学予科を開設、同年7月25日に財団法人大阪女子高等医学専門学校から財団法人大阪女子医科大学に法人名が改称されました。さらに同年8月1日には大阪府寝屋川市に附属香里病院が開設されました。昭和24年3月25日に大阪女子医科大学学部が開設され、昭和26年2月28日に財団法人から学校法人へ組織変更が行われました。昭和29年12月1日に「大阪女子医科大学」から「関西医科大学」と改称し男女共学制となりました。

平成25年4月1日附属枚方病院の隣接地に「グリーン&エコ」のコンセプトで新学舎を建設し、全キャンパスと大学機能を集約しました。この学舎は学生数や教育内容、学問の方向性に応じて変化する柔軟さや拡張性を備え、かつ、隣接する附属病院との調和を保っています。

 

 

★「歴史資料室」

本学創立70周年記念事業の一環として、1999年11月滝井学舎に設立されました。1928年6月創設の大阪女子高等医学専門学校以来、88年におよぶ本学の歴史と伝統を物語る貴重な資料を収蔵・展示し、建学の精神の明徴と先人の顕彰に資することを目的としています。2013年の学舎移転に伴い移設され、現在は枚方学舎3階で公開されています。室内には、歴代の理事長、学長、校長の紹介のほか、草創期から現在まで節目ごとに区分して、歴代の建物の門標、制服などの資料や写真が展示されています。

 

・・・ここでの最大の収穫は、「府立大阪博物場美術館(貿易館)」から「牧野大講堂」に移設された天井画について、パネルで紹介されていたことです。

http://www.kmu.ac.jp/new/new20130325.html

本学教養部学舎(牧野学舎)大講堂に掲げられている天井画「双龍鳳凰」が2013年3月30日(土)午前10時から正午まで、一般公開されました。当日は橋爪節也・大阪大教授(日本美術史)の説明が行われました。現在は、「附属看護専門学校」が使用しています。

 

《関西医科大学附属看護専門学校》

573-1136枚方市宇山東町18-89/072-856-2121

http://www.kmu.ac.jp/nurscoll/index.html