富田林市 | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・南河内には小さな市町村が多く、残念ながらこれといった大きな博物館や美術館はありません。唯一、2004年(平成15)3月30日に「美原町立みはら歴史博物館」が開館しましたが、2005年(平成17)2月1日に隣の堺市に編入合併されました。

 

《参考》◆【堺市立みはら歴史博物館(M・Cみはら)】◆

587-0002★堺市美原区黒山281/072-362-2736

http://www.city.sakai.lg.jp/kanko/mcmihara/

、『カタチ造りの達人』をグランドコンセプトに、「河内鋳物師」と「黒姫山古墳」を、メインテーマとした常設展示室、およびミニ展・特別展が開催できる特別展示室と、講演会・音楽会・映画会等の催しや、研修会・レセプション等の催しなど、文化・芸術にふれ、交流できるホールとの複合施設です。(平成15年3月30日に旧美原町立みはら歴史博物館として開館しました。愛称のM・Cみはらは、Museum(博物館)と、Community(交流)をイメージしたものです。)

 

・・・先日「南河内府民センター」に用事で行きましたので、南河内で一番大きな「富田林市」から紹介していきます。

 

 

《大阪府南河内府民センター》584-8531富田林市寿町2-6-1

★おおさかカンヴァス推進事業

http://www.osaka-canvas.jp/boshu/collabo/53.html

府民センタービルは、府税事務所や土木事務所、府民お問合せセンター情報プラザなどが入居している大阪府の庁舎で、地域住民の方が多く訪れます。また、各府民センタービル1階ロビーでは様々な展示や発表が行われています。

★第2回「私の水辺」大発表会・展示会

http://www.pref.osaka.lg.jp/kasenkankyo/gakushu/2tenjikai.html

★百舌鳥・古市古墳群パネル展

http://www.city.sakai.lg.jp/smph/kanko/rekishi/sei/ayumi/mozufuru-paneru.html

 

 

《富田林市》

https://www.city.tondabayashi.osaka.jp/

富田林は先史時代より人々の暮らしが営まれ、弥生時代には二上山周辺に産出するサヌカイトを利用した石器が喜志や中野において大量に生産され、交易を通じて近畿地方に広く流通していたものと思われます。また石川を望む丘陵上には石川流域に繁栄したであろう氏族の首長たちの古墳が多く造営されています。大陸から伝えられた仏教文化はこの富田林にも花開き、★新堂廃寺等の寺院が建立され、また織物などの新しい文化を伝えてきた人々が、富田林の地に暮らしていたであろうことが推測されています。平安の時代には、今も秋祭り等でにぎわう美具久留御魂神社や佐備神社があり、室町時代には錦織神社も創建されています。太平記の時代においては楠正成の山城が築かれ、足利軍を迎え撃ちました。応仁の乱においても、いくつかの山城が築かれ、群雄割拠の後、治世が落ち着き始めた16世紀の中頃の永禄年間に、京都興正寺門跡第16世証秀上人が「富田の芝」と呼ばれていた荒地を買い受け、寺と町衆の協力によって寺内町が造営されました。浄土真宗の御坊を中心に形成された★寺内町「富田林」は、江戸期には周辺地域の商品・産品流通の中核地として発展し、明治期には郡役場や税務署、旧制中学校、高等女学校等の施設が整備され、★南河内地域の中心地として発展してきました。昭和25年の市制施行の後、高度成長期には大阪市近郊の住宅地として大規模な住宅開発が進み人口が急増し、これにあわせて都市基盤整備も進展してきました。近年は、施設や基盤の整備も一段落し、人口増加も落ち着き、良好な自然環境を有する郊外都市として成熟しつつあります。富田林は、歴史的経緯のなかで、古の時代においては、大陸の新しい文化を積極的に受け入れ、中世以降の封建的な時代においても一定の自治権を有し、寺内町を中心に独自のまちづくりを進め、大阪府内でも有数の集積を誇る南河内地域の中核を担ってきたまちです。また近代においても、石川や、田園地帯に広がる農地、山林等、自然の恩恵を受け、身近なみどりを整備し、自然環境と人々の暮らしが共存してきたまちといえます。

★「富田林きらめきミュージアム」

https://www.city.tondabayashi.osaka.jp/museum/

 

 

★文化財課(内線507)

584-8511富田林市常盤町1-1富田林市役所/0721-25-1000

https://www.city.tondabayashi.osaka.jp/index.html

●「すばるホール経由・遺跡ブラ散歩」

平成29年1月21日(土)~2月22日(水)於:すばるホール2階ロビー

https://www.city.tondabayashi.osaka.jp/public/section/bunkazai/event.html

富田林市には、1万年以上前から現在に至るまで、人々の歴史が重なり合い、暮らした痕跡が遺跡として数多く広がっています。そうした中から、すばるホールを経由して市役所と金剛連絡所を結ぶ“レインボーバス”のルート沿いにある遺跡を取り上げ、今回は大阪府教育委員会が実施した発掘調査によって見つかったさまざまな遺物を展示します。遺物はまさに人々が生活していた証拠の品々です。そして中には、“これはちょっと珍しい”とか“昔の人の技術もすばらしい”という飛び切りのものもあります。すばるホールの展示で情報を仕入れ、東方面でも西方面でも気の向くままにブラっとバスで散歩がてら遺跡に立ち寄り、地域の過去、かつての人々の暮らしに思いを馳せてはいかがですか。意外と身近なところにも遺跡はあるのです。

●「府市連携事業/戦国時代末の都市・まちサミット~富田林寺内町と大坂城下町~」展示会

平成28年9月21日(水)~平成29年3月15日(水)/於:寺内町センター

富田林市教育委員会と大阪府教育委員会では、文化財について皆様にもっと知っていただくために、富田林寺内町遺跡の発掘調査成果と府内の戦国時代末頃の都市やまちの遺跡の発掘調査成果を展示しています。この機会にぜひ、お越しください。

★富田林市立埋蔵文化財センター

584-0031富田林市 寿町1-3-5/0721-24-3201(富田林市立第一中学校)

https://www.city.tondabayashi.osaka.jp/contents5/category01/maizou.html

埋蔵文化財センターは、中学校★余裕教室を利用した、市内の歴史を探求する施設です。市内で出土した遺物の洗浄や整理、展示を行っています。展示室では、アケボノゾウの足跡化石をはじめ、市内の遺跡を紹介しています。施設の見学については、事前に文化財課(内線507)申し込みが必要です。

 

 

《すばるホール》富田林市文化振興事業団

584-0084富田林市桜ケ丘町2-8/0721-25ー0222

http://subaruhall.org/

★「すばるホール経由・遺跡ブラ散歩」すばるホール2Fロビー

平成29年1月21日(土)~2月22日(水)

http://subaruhall.org/event/7301.html

すばるホールを経由して市役所と金剛連絡所を結ぶ“レインボーバス”。そのルート沿いにある遺跡から見つかったさまざまな遺物を展示いたします。すばるホールで事前に情報をしいれて、散歩がてらブラっとバスで遺跡に立ち寄り、地域の過去、そしてかつて暮らしていた人々について、思いを馳せてはいかがでしょうか?

 

 

・・・富田林市の美術文化に関する施設等は上記のとおりですが、幸い「大谷大学」があり「博物館」が設置されていますので、大いに活用すべきでしょう。

 

《参考》「大阪大谷大学博物館」

584-8540富田林市錦織北3-11-1/0721-24-0381

http://www.osaka-ohtani.ac.jp/

本学では昭和48年に学芸員課程が設置されました。その当時は、大阪市立博物館、天理参考館、大和文華館、大阪府立泉北考古資料館、観心寺などの諸施設に依頼して、館務実習の受け入れをお願いしていましたが、学芸員課程履修生の増加とともに、学内で博物館実習を行うため資料館建設が具体化するようになりました。そのようななかで、河内長野市滝畑のダム建設に伴って、特色あるこの地の民家が水没する運命にあることを聞き、その民家を大学構内に移築して、そのまま博物館の施設として利用する構想もありましたが、さまざまな問題点から沙汰止みとなりました。昭和53年7月に開始された資料館建設工事は、同年11月に完成し、12月11日には開館の運びとなりました。「くらしと道具」と題する開館記念展示がおこなわれ、好評を博しました。あわせて「資料館だより」第1号を発行するとともに、同年夏に実施した四天王寺境内の発掘調査報告書を「大谷女子大学資料館調査報告書」第1冊として刊行しました。この段階での資料館は、鉄骨平屋建て構造で、館内の面積は201.65m²、館内は展示室(81.0m²)、収蔵室(60.5m²)、整理室(60.5m²)、研究室(24.75m²)、暗室(8.25m²)などから構成されています。昭和54年2月14日には教授会の承認を受けた資料館管理規定などが公布の運びとなり、昭和55年からは各学科の資料館運営委員の協力を得て、ユニークな企画展示が実施されることとなりました。同年秋には国文学科の協力を得て「住吉のまつり」と題する企画展示を行い、昭和56年秋には英文学科の協力を得て、「ゴードン・グレイグとそのコレクション」と題する企画展示を実施しました。

昭和57年秋から開始された資料館増築工事は、昭和58年2月5日に竣工を迎えます。新資料館は鉄骨造り一部2階建てで、建築面積は458.85m²、延べ床面積は524.32m²をはかります。館内は第一実習室(42.8m²)、第二実習室(64.35m²)、展示室(169.3m²)、収蔵庫(105.54m²)、研究室(26.75m²)、暗室(11.85m²)、準備室(19.0m²)などから構成されています。この増築工事により、初代館長橘茂の当初計画した規模の資料館が完成しましたが、その完成記念展示を見ることもなく橘茂は他界されました。昭和58年4月16日、小川修三が第二代館長に就任し、同年4月21日には博物館相当施設の認定を受けています。昭和58年春には、近隣の自治体や大阪大学考古学研究室などの協力を得て、「南河内の考古遺物」と題する企画展示をおこないました。また、同年秋には「日本の陶磁器の源流を探る」と題する企画展示を行うとともに、期間中に同名のシンポジウムを開催して、全国各地から数百名にものぼる参加者を得たのです。その後は、毎年春・秋に企画展示を実施するとともに、期間中には博物館(資料館)講座を行っています。また、博物館実習の一環として行われる発掘調査や古文書調査の成果は「博物館(資料館)報告書」として継続的に刊行されています。

http://www.osaka-ohtani.ac.jp/facilities/museum/

平成に入る頃になると、学芸員資格課程の受講希望者が年々増加するようになり、設置当初は数十名程度であったものが、平成8年度には150名ほどに達しています。このような状況のなかで、平成9年3月、大谷学園90周年記念施設として、旧資料館の北側にあらたに博物館を建設することが決定されました。平成10年9月に着工してから、建設工事は順調に進み、★平成11年9月には無事竣工の運びとなりました。10月5日には多くの関係者の来席のもと開館記念式典が挙行され、開館記念展示「東アジアの造形Part1」がお披露目されました。新しい博物館は、4階建てで、建築面積578.24m²、延べ床面積2270.88m²をはかり、従来の資料館とは規模も内容も一新されることとなりました。1階には展示室、事務室、館長室など、2階・3階には教室、大学院講義室、資料室、4階には文化財学科の共同研究室のほか、個人研究室、保管庫などがあります。旧資料館も改装工事が実施され、新たに文化財科学実験室や文化財科学測定室が設けられたほか、暗室も拡張し利用し易くなりました。平成12年4月には、文化財学科がスタートいたしましたが、文化財学科の講義、実習、研究活動などはほとんどこの博物館内で行われています。今後は大谷学園が所蔵する各種文化財資料の展示・公開施設としてばかりでなく、河内飛鳥における地域文化研究の拠点として、あるいは文化財学科の教育・研究活動の拠点として、この博物館がひろく活用されていくものと思われます。

★2014年度より「歴史文化学科」(2013年度まで「文化財学科」)

http://www.osaka-ohtani.ac.jp/department/literature/history/

人類の残したモノや痕跡をもとに過去の歴史を明らかにし、その成果を私たちの生活にどのように生かして行くのかを考えるのが「歴史文化学」です。歴史文化学科は歴史学領域・美術史学領域・考古学領域という3つの領域から構成されており、各分野をカバーする領域横断型のカリキュラムを通して、歴史的な視野と教養を身につけた現代社会に貢献しうる人材を育成します。カリキュラムの特長の1つは、1・2回生から基礎ゼミがあり、3・4回生のゼミナールへと続く徹底した少人数制の一貫教育を施し、学生みずからが興味のあるテーマを選択し、継続して勉強できる体制が整えられていることです。もう1つは、実習科目の充実です。1回生には必修科目としてフィールドワークがあり、また領域ごとに歴史学実習・美術史学実習・考古学実習が用意されており、ホンモノの文化財を前にして教員から直接指導を受けることができます。