川合敏久 | すくらんぶるアートヴィレッジ

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《暗越奈良街道(大阪と奈良を結ぶ最短の街道)》

http://www.pref.osaka.lg.jp/doroseibi/kakusyusesaku/rekishikaidou.html#nara

 

・・・東成区「暗越奈良街道」を散策していると、東成警察署前に気になる彫刻がありました。

 

《東成警察署》

537-0014 大阪市東成区大今里西1-25-15/06-6974-1234

https://www.police.pref.osaka.jp/04shikumi/ps/117higashinari_1.html

 

 

《東成区保健福祉センター分館》

537-0014大阪市東成区大今里西1-19-29/06-6977-9973

 

・・・さらに「保健福祉センター分館」にも、川合さんの作品がありました。これまでも川合さんの彫刻と出会っているのに、きちんと調べていませんでした。反省、そして探偵アートスクープすることにしました。

 

 

1994「永遠に煌く」美空ひばりブロンズ全身立像(京都嵐山美空ひばり館→太秦映画村内「美空ひばり座」)

 

《参考》美空ひばり記念館

http://www.misorahibariza.jp/

嵐山にオープンしたのは1994年(平成6年)のことで、その時には「美空ひばり座」ではなく、『美空ひばり記念館』としてオープンしました。オープンした1994年の入場者数はなんと100万人を超える入場者数となって、美空ひばりファンの凄さを感じました。京都の嵐山には渡月橋に天龍寺や常寂光寺といった、嵐山を代表する名所がありますが「美空ひばり座」は4年目には300万人を超えた入場者数を突破したことから、嵐山の新名所とも言われたほどです。

http://www.toei-eigamura.com/event/detail/24

2008年(平成20年)に『京都嵐山美空ひばり座』として、リニューアルオープンして、現在は嵐山から東映太秦映画村へと移り『京都太秦美空ひばり座』となりました。東映太秦映画村ということもあって美空ひばりが東映映画に出演していた黄金期の映画館の風景が、とってもリアルに再現されています。展示物には、美空ひばりが出演した時に着用していた衣装や、その当時の台本なども展示されています。

 

1996★「緒方洪庵」等身大座像(適塾・大阪市)/2000★「いたせんぱら」ねんりんぴっく2000大阪記念メダル(大阪府)「フェニックス特別賞」(大阪学院大学・高槻市)高橋尚子選手シドニー五輪女子マラソン金メダル受賞記念。

http://www.osaka-gu.ac.jp/campuslife/2016/campus4/daigaku1/index08.html

 

《適塾》

大阪市中央区北浜3-3-8/06-6231-1970

http://www.osaka-u.ac.jp/ja/guide/about/tekijuku

適塾は昭和15年に大阪府の史跡、翌16年には国の史跡として指定され、昭和39年に重要文化財として指定された。昭和17年緒方家から国(大阪帝国大学)に建物が寄贈され、今日にいたっている。適塾は現存するわが国唯一の蘭学塾の遺構であり、江戸末期の大阪の船場町屋の遺構としても貴重なものであって、昭和51年から実質5年を掛けて解体修理を行い、修復を機に広く一般に公開している。

 

・・・「適塾」の南側(※愛珠幼稚園前)にある「除痘館」レリーフも川合さんの作品です。

※大阪市立愛珠幼稚園は耐震改修工事のため、大阪市立開平小学校内の一部において仮園舎として一時的に園運営をおこなっていましたが、工事の一部が完了したため、★平成28年9月1日(木)より、愛珠幼稚園園舎にて園運営をおこないます。

http://www.city.osaka.lg.jp/hodoshiryo/kyoiku/0000231820.html

 

《除痘館記念資料室》

541-0042大阪市中央区今橋3-2-17緒方ビル4F/06-6231-3257

http://www.klinik-ogata.or.jp/ogata_building/floor/4f-01html.html

江戸末期に天然痘(疱瘡)予防の普及活動の拠点となったのが、緒方洪庵を核とする大阪の「除痘館」です。緒方ビルはその跡地にあたります。当資料室は、「除痘館」の活動と足跡を記念して、資料の展示、公開をしております。ぜひお気軽にお立ち寄りください。

 

 

【川合敏久】

1935千葉県松戸市に生まれる/1963京都市立美術大学(現 芸術大学)彫刻科卒業/1964京都市立美術大学(現・芸術大学)彫刻専攻科 10月まで修学/日本美術家連盟会員・日本藝術メダル協会会員・大阪彫刻家会議副会長・大阪府美術家協会副代表・★摂津市美術協会副会長・全関西美術展審査員・摂津市展審査員・民族芸術学会会員・★魚類自然史研究会会員・京都市立芸術大学美術教育研究会会員等。

《西谷でつくる会》

669-1211宝塚市大原野船岡10(西谷でつくる会事務局)0797-91-0875

宝塚市大原野字炭屋1-1(西谷会館展示ギャラリー)0797-83-5810

http://nishitani-art.com/index.html

西谷とよばれる宝塚市北部の里山に囲まれた土地では、あちらで、こちらで創作活動がおこなわれています。今まで、お互いを知ることもなく過ごしてきた者が連絡をとって集まったのが2011年の秋でした。それぞれの仕事におどろき、目をみはり、つくる喜びでつながりました。2012年4月、第1回『西谷でつくる展』をひらき、11人で発足した「西谷でつくる会」も会員が15人になりました。励ましあい、刺激しあってそれぞれの作品世界を充実したものにしていく会です。

 

《魚類自然史研究会》

http://www.fish-water.jpn.org/index.html

《参考》うなぎミュージアム&cafe雑魚寝館(南海高野線浅香山駅前)

590-0011堺市堺区香ヶ丘町1-10-8/072-233-8831

http://zacconekan.net/index.html

毎週金曜日、15時より22時まで。金曜日のみの営業ですが、夜は遅くまでオープンしています。

【館長:亀井哲夫】

昭和22年12月29日生同志社大学法学部政治学科卒業。追手門学院大手前中・高等学校校長。平成7年淡水魚ミュージアム茶論「雑魚寝館」開設。北海道から沖縄まで日本産淡水魚の展示と、その魚にゆかりのアートやクラフトもあわせて展示。淡水魚の研究セミナーや紅茶・日本茶のセミナーを実施。特に、イタセンパラ・モロコ等、日本産淡水魚の魚名を研究し、さらに平成18年からは、アオウナギの食文化の研究をしている。日本産淡水魚にこだわり、自然を想う都会派の美意識がつくりだした“市中の隠”あるいは”大人の童話”―――それが1995年(平成7年)開設した淡水魚ミュージアム茶論・雑魚寝館。日本の河川ではアマゴやアユなどの放流魚やブラックバスなどのゲームフィッシングに関心があっても、在来魚は雑魚としてあまり省りみられなくなっています。その河川、その地域の自然史を背負っている在来魚・雑魚の価値と魅力を知ることで、身近な自然への関心もふくらむと思います。雑魚寝館はそうした雑魚たちに思いを馳せるとともに『雑魚寝』の言葉通り、魚や自然、アートや遊びに関心のあるさまざまな人々が気軽につどい、飲食をたのしみ、それぞれの世界にそれぞれの”こだわり”を大切にした”自然遊泳スペース”―――それが淡水魚ミュージアム茶論・雑魚寝館。その後13種類の日本産淡水魚の調査研究をするなかで、そのつど対象魚と関連魚中心の展示をするとともに、北海道から沖縄までの淡水魚を採取展示。70余りの水槽に充実した展示を続ける。特に日淡四大怪魚としてイトウ、ビワコオオナマズ、アカメ、オオウナギの展示にこだわる。ところが2006年頃から一転汽水域のアオウナギにハマり、「雑魚寝館」はウナギミュージアムになりました。

 

 

《摂津市役所》「平和をよぶ手」作:川合敏久

566-8555摂津市三島1-1-1/06-6383-1111

http://www.city.settsu.osaka.jp/

 

・・・川合さんは、摂津市美術協会副会長をされています。そしてこの作品は、

 

 

★「平和のアート(彫刻)戦争の記憶」写真集(核のない未来へ)/著:藤田観龍

私は、野外彫刻の芸術と環境芸術・モニュメンタルに惹かれ、人々の平和への願いや、想いが形象化された彫刻の普遍的な社会性に視点を置き撮影を続けてきました。本書は、北は北方領土を望む日本最東端の根室から、南は強制疎開で戦争マラリアの犠牲になった最南端・沖縄の波照間島まで(全47都道府県)、私が、この間くまなく歩いて撮りためた国内外の戦争に関わる平和のモニュメント・祈念碑(570点余を総頁322頁(別帖2頁)写真275頁掲載)をまとめたものです。記念・祈念碑の撮影では、どこに行っても、日本の戦争死者310万人の声なき声を聴く思いがして、居住まいを正さずにはいられませんでした。同時に、これらの碑に託された遺族や関係者の象徴的な思いが強く胸に迫りました。2010年は日本の敗戦、戦後65年でしたが、1941年12月8日に日本軍がハワイ島真珠湾の米艦隊を奇襲攻撃し始まった太平洋戦争の開戦から2011年は70年になります。とはいえ今では、かつて日本で戦争があり、アジア各地を侵略し、2000万人の犠牲者を出し、戦争の惨禍をあたえたことを知らない若い世代も少なくありません。世界中で、平和が脅かされている今日、先の15年戦争を振り返り、過去の記憶に想いを馳せ、この教訓を平和な明日を築く力とすることこそ、現代を生きる私たちの責任ではないでしょうか。

 

・・・すごい写真集です。購入して、じっくり観ているところ。

 

 

【藤田観龍】2014.9.26(追分町在住71歳)川崎区版タウンニュースより

報道カメラマンとして日本各地を飛び回り、49年。集大成となる写真展「写真リアリズムの軌跡」をアートガーデンかわさきで10月7日から開催する。「現場には必ず人間のドラマがある。それを写真として切り取り、記録することで、その事件や事故、災害の教訓を後世に残したい」。そんな信念で、御巣鷹山★日航ジャンボ機墜落事故、雲仙・普賢岳火砕流、阪神淡路大震災など、数々の歴史的事件の現場でシャッターを切り続けてきた。

○福岡県出身。中学卒業後に上京し、東京都港区の工場に勤めた。カメラ部品の製造にかかわったことから、撮影にも興味を持ち、25歳で新聞社の写真部に転身した。撮影時には「希望」に光を当てることを忘れない。どんなに悲惨な事件・事故現場でも、遺体の写真は一切撮らなかった。生存者が必死で生きようとする姿、救助活動にあたる自衛隊員や消防隊員の姿をフィルムに収めた。

○報道写真とともにライフワークとしているのが、全国各地のモニュメントの撮影だ。「自然災害もそう、戦争もそう。繰り返してはいけないというメッセージを伝える意志が結集している」。自身の写真哲学にも通じるモニュメントのあり方に魅了され、約30年かけて4000点以上を写した。彫刻や碑にテーマを絞った写真集も5冊刊行している。現在は東日本大震災の被災地に新たに設置された慰霊碑などを撮影。6冊目の写真集としてまとめあげるのが、次なる目標だ。

○川崎区に住んで50年。幼少期から好きな野球を観に、川崎球場(現・川崎富士見球技場)には足しげく通った。「報道で入ると好きな角度から観戦できる。楽しかったね」と笑う。村田兆治や落合博満のプレーに息をのみながら、夢中でカメラを構えた。大阪球場で「江夏の21球」を撮ったのも自慢の一つだ。名前に入る「龍」にちなみ中日ファン。現在も息子や孫と年7、8回は球場に通う。

 

・・・ぜひ、写真展を観たい。大阪でやってくれないかなあ。

 

《NEWS》2016.8.13毎日新聞より

事故から31年「代わりに誰かが」乗り遅れた大網白里・清水さん複雑な胸中、石像制作し慰霊/千葉

520人が犠牲となった1985年の日航ジャンボ機墜落事故の発生から31年を迎え、墜落現場「御巣鷹の尾根」(群馬県上野村)に遺族らが慰霊登山に訪れた12日、県内では、事故機に搭乗予定だった男性が船橋市内の川のほとりで静かに「空の安全」を願った。男性は大網白里市在住で、同市や船橋市で絵画教室を開く★清水敬由さん(67)。同日夕、船橋市市場の海老川沿いに建つ犠牲者を慰霊する石像を一人訪れた。石像は事故翌年の86年に清水さんが制作したもので、天に向かい泣き叫ぶ犠牲者たちの表情が彫られている。せみしぐれが響く中、ヒマワリを供えて線香を手向けると、じっと手を合わせた。