かぎろひ(2) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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★「阿騎野の朝」5m×2.5mフレスコミ画/作:中山正實

中央公民館の大ホールに飾られている壁画「阿騎野の朝」。柿本人麿が今まさに、西を振り向き、”かぎろひ”を背に落ちかけている月を見ている様を描いているようで、凍てつく日の出前の寒さと狩猟前の緊迫感が伝わってきます。この壁画は昭和15年(1940)に制作され、当初は奈良県の大和国史館万葉室に展示されていましたが、その後大宇陀町に寄贈されたものです。製作にあたり、画伯はあらゆる見地から研究され、阿騎野の位置、作歌の地点などの地理的考証、軽皇子阿騎野猟の時期、当時の風俗、猟の模様など歴史的考証のほか、自然の情景をよんだ歌として天文学考証を加え、文献実地踏査と科学的実証との幅広い解明を試みられました。

その結果、

(1) 阿騎野の宿営地点を、大宇陀町★阿紀神社付近と推敲された。

(2) 人麻呂が朝空けの実感を得た地点は、阿紀神社前面の小丘、すなわち現在の★「かぎろひの丘」の上と想定された。

(3) 背景は秋山城跡の南麓あたりで見える情景とし、右肩方向に高見山を描かれた。

(4) 壁画に描かれた情景の日時は、東京天文台の天文の立場からの協力を得て、持統天皇6年★陰暦11月17日午前6時前後とした。

(5) 馬の大きさや骨格は、関保之助博士の指導援助によって決定された。

 

 

・・・このような時間帯の公開は、まさしく「特別公開」なのです。

 

 

・・・ここまで考証して壁画を描かれたとは、脱帽です。残念ながら「撮影禁止」でした。さて、次の「かぎろひを観る会」、旧暦「2017年11月17日」は★「2018年1月3日」になります。

 

《参考》旧暦変換表

http://www.calc-site.com/calendars/old_calendar

 

【中山正實】(1898~1979)

1898年(明治31)年1月3日神戸市に生れ、1919年神戸高等商業学校(現神戸大学)を卒業した。同年東京商大専攻部に学ぶ傍ら、川端画学校で藤島武二の指導を受けた。1921年第3回帝展に「鉱山の夕」が初入選し、24年に渡欧した。パリでアカデミー・グラン・ショミエールに学び、またルーブル美術館で模写をすすめ、サロン・ドートンヌに入選した。翌年壁画研究のためイタリアに旅行し、サロン・ドートンヌに再入選した。27年帰国し、第8回帝展に「古都礼賛」、以後31年まで毎年帝展出品をつづけた。32年神戸商大の壁画を依嘱され、以来壁画制作に専念し、前後6年を費やして神戸商大附属図書館の大壁画「青春」、及同大学講堂壁画三部作「光明、富士、雄図」を完成した。39年橿原神宮外苑★大和国史館の壁画「阿騎野の朝」を制作依嘱され、翌年これを完成、更に41年には神戸裁判所調停会館壁画「正義」「平和」を完成した。そのほか銅板画を制作し、わが国でのカラーエッチングの創始者でもある。1979年1月7日永眠(81歳)。

 

《参考》大和国史館(現・奈良県立橿原考古学研究所)

634-0065奈良県橿原市畝傍町1番地/0744-24-1101

http://www.kashikoken.jp/index.html

昭和13年(1938) 「皇紀2600年記念事業」の橿原神宮外苑整備事業に伴い、奈良県史蹟名勝天然記念物調査会委員の故末永雅雄博士が橿原遺跡の調査を担当。奈良県工事事務所の一画に調査事務所を設け、9月13日より末永博士が現地で調査指揮にあたったことから、この日をもって橿原考古学研究所の創立記念日とする。

昭和15年(1940) 11月、原田積善会などの寄付により大和国史館が設立される。

昭和24年(1949) 7月、大和国史館を大和歴史館と改称。

昭和45年(1970) 4月、大和歴史館を橿原公苑考古博物館と改称。

昭和48年(1973) 4月、奈良県立考古博物館条例(奈良県条例第31号)により、橿原公苑考古博物館が奈良県立考古博物館として橿原公苑事務所から独立。

昭和49年(1974) 奈良県立考古博物館が研究所附属考古博物館となる。

平成9年(1997) 10月、附属博物館リニューアルエ事完成。

 

 

・・・いろいいろな資料に掲載された画像を、せめて紹介しておきます。そして、館内の写真だけでもと、撮ってきました。

 

 

《宇陀市阿騎野「人麻呂公園」》

633-2164奈良県大宇陀拾生76番地の1

http://www.city.uda.nara.jp/kouen/kyouiku/leisure/kouen/akinohitomaro.html

平成7年の発掘調査により、弥生時代、飛鳥時代、中・近世の3時代にわたる遺構が発見されました中ノ庄遺跡で、いにしえの生活の痕跡が残る重要な遺跡として公園整備されています。周辺は飛鳥時代「阿騎野」と呼ばれ、大和朝廷の狩り場(薬猟)であったと伝えられています。園内には、故中山正實画伯による壁画「阿騎野の朝」を元にした柿本人麻呂像が建ち、掘立柱建物や竪穴式住居が復元されています。

 

 

・・・早朝からの訪問で、まだまだ時間がありますので「針テラス」に寄ってみました。