宇陀の蛙(1) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・テーマ「奈良」で宇太水分神社(中社)の「手水舎」にカエルが、と書きながらあえてふれなかったのは、雨が降っていたことと、もう少し調べてから報告しようと思ったからなのです。

 

 

■宇太水分神社(中社)

633-2226奈良県宇陀市菟田野★古市場245/0745-84-2613

http://www3.pref.nara.jp/miryoku/megurunara/inori/syaji/area06/udanomikumarijinjya02/

当神社の創記は太古まで遡ることができ、第十代崇神天皇7年2月の勅祭と伝えられている。また、大和朝廷の勢力範囲の東西南北に祀られた水分の神の東に当たるのが、当社である。平安時代以降も朝廷の崇敬篤く、「新抄格勅符抄」によると、平城天皇の大同元年(806)の牒に神封一戸が奉られており、承和7年(840)、貞親元年(859)それぞれ神位を進められた。貞観元年9月8日には、奉幣使を派遺して風雨を祈られている。醍醐天皇の延喜の制で大和四水分杜は大社に列せられ、祈年祭・新嘗祭・月次祭の案上官幣に預かり、祈年祭には座別に絁三尺木綿二両以下を、また特に馬疋が献上された。そして醍醐天皇の御代に編纂された「延喜式」には以下のような記載が見られる。臨時祭式には、祈雨神祭85座の一座に列せられ、座別絹五尺、五色薄絁各一尺、絲一絇、綿一屯、木綿二両、麻五両、白馬等が献上されたと明記されている。祝詞式には、祈年祭の祝詞として、水分坐皇神等能前爾白久。吉野、宇陀、都祁、葛木登御名者白氐云々。神名式には、宇陀郡17座 大1座 小16座の中の大社。中世に入ると朝廷から賜った物の記録は殆ど見られなくなるが、南北朝時代の正平6年(1351)5月、後村上天皇は唐招提寺より三輪を経て宇太水分宮に移られ、さらに吉野に遷幸されたと興福寺金蔵院實厳の日記「細々要記」にある。また、後村上天皇皇孫堯成親王が応永18年(1411)当杜に梵鐘を寄進されている。今その鐘の所在は不明であるが、「菟田野町史」(昭和43年出版)金石文の項によれば、寛永9年(1632)大宇陀町岩室の徳源寺に売却されたことが知られる。なお、鐘銘の拓本は同町の森野家が保存している。その後、近代になると大正11年(1922)5月19日に、伏見宮文秀女王が御榊を奉られ、黒松を植樹された。また、昭和天皇の御代には、高松宮殿下が昭和30年(1955)5月12日に参拝され玉串料を奉られ、銀杏を植樹されている。現存する本殿は鎌倉時代末期の元応2年(1320)2月に造営された。また、年代は詳らかではないが室町時代には、境内社の春日神社・宗像神社の杜殿の建造が行われている。

 

 

★宇太水分神社と蛙(手水舎)

蛙は湿地帯にいる両棲動物で水田耕作に深いつながりがあり、水の神さまの神使ともいえます。殿様蛙、森青蛙、雨蛙、赤蛙、河鹿蛙等々あり、虫をとるので人に益することも多く、前肢の指は四本、後肢の趾は五本で当神社の国宝御殿組のうちにある蟇股は蛙の座した形を模したものであります。古池や・・・・の俳句や、道風の柳に飛びつく蛙はあまりにも有名ですが、最近農薬の影響で少なくなるのは淋しいことです。(宮司代口述)

 

 

《お渡り(秋祭り)》

http://www.city.uda.nara.jp/sin-kankou/guide/shrine_temple/s14.html

10月の第3日曜日には、醍醐天皇の時代、昌泰元(898)年から始まった由緒ある「お渡り(秋祭り)」が行われます。五穀豊穣、水配りに感謝するお祭りで、惣社水分神社(上芳野)から出発する鳳輦神輿を中心に、芳野川に沿って宇太水分神社まで往復12kmを練り歩きます。この日は、惣社水分神社の女神(速秋津姫神)と宇太水分神社の男神(速秋津比古神)が年に1度だけ会える日といわれており、女神は鳳輦神輿に乗って渡ります。昔、芳野川上流の入谷には水銀鉱があり、水銀は大変貴重なもので、男神は水銀で化粧品をつくり女神にプレゼントしたという伝説もあります。「お渡り」は、すべて拍子木の合図で進行し、はんてんを着用した先供(子ども)がそれぞれ小鉾・立傘・台傘・弓・鉄砲・薙刀・赤槍・次槍を持ち、後供(大人)の手振役2人によって先頭をきり、先箱役が先祓いをして、長柄・花籠・花籠持・御鉾・鉾持・獅子頭・獅子頭持・御輿太鼓・太鼓持・太鼓打・金弊・金弊持・白弊・白弊持・立札・立札持・大榊・大榊持・賽銭箱・賽銭箱持・杓ふり・宝箱・宝箱持・鳳輦神輿・神主・役員とそれぞれの衣装をつけた行列が延々と続きます。途中、太鼓台6台や子ども御輿が合流し、宇太水分神社境内になだれ込み、祭りは最高潮に達します。

 

 

【瑞垣内特別拝観】

宇陀水分神社の「本殿」は、3棟が並ぶ春日造りです。1320年の墨書が発見された鎌倉時代の建物で、国宝に指定されています。2003年の社殿の塗り替えの際には、わずかに残された色彩をもとに、それを復元。とても鮮やかな色彩が蘇っています。本殿に向かって右から、それぞれ第一殿「天水分神」、第二殿「速秋津彦命」、第三殿「国水分神」が祀られています。本殿(三社造)、外部の朱塗り部分には極彩色が施され、壁板にも★花鳥風月が描かれています。さらに、その右隣の摂社「春日神社」には天児屋根命が、「宗像神社」には市杵島比売命が祀られています。かつてこの一帯は、興福寺と春日大社の荘園だったため、室町時代に勧請されたそうです。室町時代の建築で、国の重要文化財に指定されています。社務所で★特別拝観(500円)を申し込めば、本殿などの貴重な建築物を間近に「瑞垣内特別拝観」が可能です。

 

 

・・・じっくり細部まで見学・観察させていただきました。こういう「特別拝観」を、多くの寺社で実施してほしいとつくづく思います。ありがとうございました。