具体美術(3) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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《精道村役場》

http://www.city.ashiya.lg.jp/kouhou/omoide/omoide-cyoshya.html

明治22年に「精道村」が成立しました。大正12年、現在の市役所北館の北側に鉄筋コンクリート造3階建て、総工費約63,000円(当時の価格)の精道村役場が新築されました。当時、日本一の村役場と称されました。

昭和15年「芦屋市」は全国で173番目の市となりましたが、その直後に第2次世界大戦の影響を受けるという波乱のスタートでした。昭和20年に終戦を迎え、戦災や風水害で受けた大きな爪あとも、市民の手で力強く復興されてきました。以後、市勢の発展に対応するため、新庁舎建設の計画がたてられました。昭和34年10月、旧庁舎(精道村役場)の南で新築工事に着手し、35年8月に落成市制施行★20周年記念として落成式が行われました。

 

 

《芦屋公園》

http://www.city.ashiya.lg.jp/kouen/kouenichiran.html

国道43号から芦屋川の左岸沿いに河口付近まで続くこの公園には、150年余の市木・クロマツが420本ほど茂り、白砂青松の昔を偲ばせます。芦屋交番の裏、公園の道路に面した所に、京都より丸木舟で流された鵺の祟りを鎮める塚があります。京都から川を流された鵺の亡骸は、大坂の都島に一旦漂着し、それから芦屋へと流れてきたのだといいます。亡骸とはいえ、触る者全てに祟りを及ぼし、終いには地域一帯の全ての人々に災いを成したという伝説が残っています。

★「ぬえ塚」伝説

およそ600年ものむかし源頼政が二条城にまねかれ、深夜に宮殿をさわがしていた怪鳥を見事に射落とした。それはぬえ(鵺)といって、頭はサル、体はタヌキ、手足はトラ、尾はヘビという奇妙な化鳥であった。その死がいをウツボ舟(丸木舟)にのせて、桂川に流したところ、遠く大坂湾へ流され芦屋の浜辺に漂着した。浦人たちは、恐れおののき芦屋川のほとりに葬り、りっぱな墓をつくったという。ぬえ塚伝説は、「摂陽群談」「摂津名所図会」などに記されているが、古墓にまつわる伝説の一つと思われる。現在の碑は、後世につくられたものである。平成17年3月芦屋市教育委員会

 

 

《参考1》「丸型ポストマップ」

http://www.city.ashiya.lg.jp/kouhou/marupost.html

今ではあまり目にすることもなくなった丸型ポストが、芦屋市内には19カ所設置されています。(平成24年11月現在) このページでは、市内に設置している丸型ポストの紹介をしています。丸型ポストを探しに市内を散策してみてはいかがでしょうか。

 

《参考2》震災モニュメントマップWEB版

http://www1.plala.or.jp/monument/all.html

★震災に 耐へし芦屋の 松涼し

http://www1.plala.or.jp/monument/m-asiya.html

樹齢60年を超えるクロマツの林の中。石碑は、芦屋川を抜ける涼風を受けて、空を見上げるように建っている。芦屋市役所の南側、海岸近くまで松並木が続く芦屋公園の一角に、御影石を組み合わせて造られたモニュメント。形も大きさも違ういくつもの石が支え合い、空に向かって伸びるデザイン。同市在住の俳人、稲畑汀子さんが震災の年の夏に詠んだ句が彫られている。被災地の中でも家屋の倒壊率が最も高く、443人もの人が犠牲となった芦屋。大正から昭和初期にかけ、モダニズム文化が花咲いた情緒ある街並みも、多くが失われた。しかし、松並木は激震を耐え、その年の夏も、すっかり変わってしまった街に、昔と変わらぬ木陰のやすらぎを与えた。松のりんと立つ姿に、稲畑さんは震災に立ち向かう人々の姿を重ねた。「震災がもたらした恐ろしさも、松並木の美しさも、ともに自然が生んだもの。どちらからも目をそらさず自然を見つめることで、震災を乗り越えていけるのでは」碑の下には、芦屋の震災犠牲者の名を刻んだ銅版を安置するための場所が設けられているが、まだ納められてはいない。市は、震災復興土地区画整理事業が進む芦屋・中央地区に、2002年春ごろ完成する「大桝公園」への移設を検討している。移設後は周りに木を植える計画もある。

http://www.city.ashiya.lg.jp/hisho/1-17-2011.html

https://nippon1000parks.blogspot.jp/2014/06/7061000.html

 

《参考》【寺田武弘】(1933~)

http://www.mannari.sakura.ne.jp/public_html/terada.htm

1933大分県生まれ、小学校は北朝鮮

1949岡山県津山成美高(現津山高)中退後、郵便局勤務を経る

1956芸術活動に専念

1973~岡山を中心に大分、兵庫、静岡で石彫を中心にした環境造形・記念碑を数多く制作

1987第1回倉敷まちかどの彫刻展大賞

1994第14回神戸須磨離宮公園現代彫刻展、土方定一記念賞 他受賞6回

1995岡山県文化賞、個展9回

2003岡山「武田石材」の山にアトリエを構える

2008岡山まちづくり賞

2010山陽新聞文化功労章

 

 

《広報あしや》平成2年5月15日号

「あしやウォール・ペインティング街をキャンバスに夢や自然を描く」

http://www.city.ashiya.lg.jp/kouhou/kensaku/h2/05_15.html

一流アーティストから日曜画家まで、お年寄りから幼稚園児まで、あるいは、海外アーティストからファミリーまでとさまざまな人たちが参加して、この600メートルにもおよぶ大絵巻ができあがりました。今後も、これを継続していき、芦屋の市民芸術の表現の場として、市民のみなさんで育てていただきたいと思います。平成2年5月芦屋市このイベントは、関西ペイント株式会社にご協力をいただきました。

 

 

《小出楢重アトリエ》

http://ashiya-museum.jp/guide

洋画家、小出楢重のアトリエを復元。オリジナルは建築家★笹川愼一によって1927年に現在の川西町に建てられました。1987年(昭和62)取壊され、1990年(平成2)に芦屋市立美術博物館敷地内に復元されました。作家が使用し、作品のモチーフにした調度類を展示しています。

《参考》楢重雑筆(青空文庫)

http://www.aozora.gr.jp/cards/000259/files/3552_8139.html

 

 

《坂倉建築研究所》

http://www.sakakura.co.jp/

1990Ashiya City Museum of Art and History芦屋市立美術博物館

http://www.sakakura.co.jp/info/works/museum/

図書館、谷崎潤一郎記念館と共に芦屋文化ゾーンを構成する。中央の吹抜け円形ホールは様々な展示やイベントを可能とするとともに、エントランスと展示室、研修室等を結びつける、動線上の結節点となっている。

建築面積: 2,275㎡/延床面積: 3,530㎡/階: 地上2階/構造: RC造+S造

 

《参考》芦屋市立美術博物館ミュージアムショップ「ROOM」

設計: NO ARCHITECTS/施工: 宮下昌久/竣工: 2016年4月

http://noarchitects.jp/news/818/